「凱風快晴」はどこから描かれた富士山か?
今日は1月5日。
今日もシングルタスクで行こう!
山のお師匠さんであるNさんの年賀状に、
「6月に富士山を登りましょう」と書いてありました。
6月の富士山。未知です。
新年早々、富士山での滑落死のニュースが続きました。
6月の富士山。不安ですけど、興味もあります。
登れるものなら登りたい。6月の富士山。
昨年の4月16日に放映された「美の巨人たち 葛飾北斎
『冨嶽三十六景 山下白雨』」を見ました。
その番組で印象に残ったことを書きとめます。
↑人気のあった「冨嶽三十六景」の中で、
特に人気のあった3枚を「三役」と呼んだそうです。
それも富士山が描かれています。
そのうちの1枚が「神奈川沖波裏」↓
そしてこの2枚↓
2枚とも目にしたことがある絵でしたが、
それぞれの絵には名前がありました。
「凱風快晴」と「山下白雨」です。
このような名前があるのだと、初めて知りました。
この2枚の絵には、地名が入っていません。
葛飾北斎ははたしてどこから見た富士山を描いたのか?
そのことを番組は追究していました。
まずは「凱風快晴」です。
ヒントを与えてくれたのはこの人↓
田代博さんです。
「赤富士」とも呼ばれるこの絵。
田代さんは朝日で赤く染まることから山梨県側だと
まずは推理していました。
次の視点は、山頂がほぼ平らに見える場所。
さらに、稜線の勾配が右の方がきつく見える場所。
これらの視点から、田代さんは、
北斎が見た場所を三ツ峠と予想しました。
おお懐かしい。
まだブログを始めていない12~3年前に登った山です。
そこからの富士山の写真と「凱風快晴」を並べました。
形が違います。
「凱風快晴」の方が、とんがっています。
田代さんは、北斎が富士山の高さを誇張して描いたと言っています。
田代さんはコンピュータ上で、
実際の富士山の高さを2倍にしてみました↓
とんがった富士山ができました。
これを「凱風快晴」と重ねました。
ほぼピッタリ。
結局、北斎は三ツ峠付近から見た富士山を
描いたという結論になりました。
なるほど。
葛飾北斎は、想像で描いたのではなくて、
実際に富士山を見て描いたのだと知りました。
こうやって視点を見つけて追究したら結果が出るくらい
正確に描いていました。これが意外でした。
次は「山下白雨」です。次の投稿で書きます。
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