「山下白雨」はどこから描かれた富士山か?
今日は1月5日。
前投稿に引き続き、昨年4月16日に放映された
「美の巨人たち 葛飾北斎 『冨嶽三十六景 山下白雨』」より。
番組のタイトルにもなっていたので、「山下白雨」の方が
少々詳しく紹介されていました。
太田記念美術館です。
浮世絵を紹介している美術館だそうです。
HPを見てみました。次のサイトに書いてあったことを引用します。
太田記念美術館は、かつて東邦生命相互保険会社の
社長を務めていた五代太田清藏(1893~1977)が
蒐集した浮世絵コレクションを、広く大勢の方々に
公開するために設立された美術館です。(中略)
五代太田清藏のコレクションは生前ほとんど公開されることは
ありませんでしたが、昭和52年(1977)、83歳で没した後、
遺族たちが広く我が国の美術振興の一助とすることを決意し、
美術館を開館します。
昭和52年(1977)11月、銀座の東邦生命旧本社ビルの7階で
約2年間の活動を続けた後、昭和55年(1980)1月13日、
現在と同じ、東京都渋谷区神宮前1丁目において、
美術館を正式にオープンいたしました。
この住所は、もしや。
↑Yahoo!地図より。
やはりそうです。夏休みに行った場所です。
知っていたら行くことができた場所です。
でも早朝だったからなあ。
この太田記念美術館に「山下白雨」は飾ってあります。
「山下白雨」は「さんかはくう」と読みます。
「山下」は「やました」と読みたくなりますが、
そうではありませんでした。
「白雨」とは、夏の夕立のことだそうです。
ナレーターは次のように説明していました。聞き書きします。
もくもくとたちこめるのは、入道雲でしょうか。
一方で地上近くには、暗雲がたちこめています。
画面の半分をおおう黒の衝撃。
切り裂くように光る稲光の線です。
山の天気は変わりやすいものです。
激しい雨の音が聞こえてきませんか。
それでも森羅万象、いかなることにも動じない、
悠然と構えているのが、山肌が露わになった夏の富士です。
緩やかな稜線。その先にきりりと剣を突き刺す、山の頂。
黒富士の威厳。
このような説明でした。素晴らしい。
ナレーターはさらりと読んで消えてしまいますが、
この原稿もどなたかが頭をひねって書いたものですよね。
聞き書きすると、説明を考えた人のことを思います。
つい太字にしてしまいます。
そうか、この絵は「黒富士」なんだとも思いました。
「赤富士」に対して「黒富士」
「赤富士」の「静」に対して、「黒富士」の「動」なのだそうです。
さて「山下白雨」はどこから描いた富士なのでしょう。
前投稿で紹介した田代博さんの視点です↓
剣が峰が中央に見えることから、
白糸の滝付近を推理しました。
白糸の滝からの富士山の写真と「山下白雨」を並べました↓
確かに頂上付近の形は一致します。
しかし、大きく違うところがありました。
「山下白雨」には、左手に向こう側にある山々が見えています↓
しかし、白糸の滝からはその山々(御坂山地)は見えません。
田代さんは、コンピュータ上で操作をします。
すると・・・
御坂山地が見えてくるのです。
そして、「凱風快晴」と同じように、富士山を2倍の高さにして
「山下白雨」と重ねると、まあまあ一致します。
飛行機、気球すらなかった時代に、
高い場所で見た時のことを想像して描いたという推理でした。
そんなことまでしたのか、北斎。そんな気持ちです。
推理に耐えうる絵であったことがうれしいです。
そうなると他の「冨嶽三十六景」も「どこから見て描いた?」
の視点で見ていきたくなります。
まあ、どなたかが追究していると思いますが。
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