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2014年3月28日 (金)

「戦時徴用船」2/身代わりになって海に飛び込む船員

  

今日は3月28日。

  

前投稿のつづき。

  

2月8日放映の「ETV特集 戦時徴用船~知られざる民間商船の悲劇~」から、

大久保一郎氏の絵をできるだけ載せていきます。

   

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前投稿に書いた「ぶら志る丸」(志に濁点)撃沈後のこと。

船員のうち57人が犠牲になりました。

生き残った人たちも、ボートに乗りこんでの漂流。最長25日間であったそうです。

上の絵は、そんな漂流中の船員を描いたものです。

船底にたまった汚水でのどの渇きを癒し、

ベルトや革靴を食べて、飢えをしのいだそうです。

幸運にも船を見つけて、はじけるように手を振っている絵です。

  

この絵は白黒です。

前投稿に書いたように、昭和57年に37枚の作品が発見されましたが、

それとは別に、白黒フィルムに写された絵が見つかっていました。

残念ながら現物はありません。その中の1枚です。

  

  

  

大久保一郎氏の仕事は、設計図を見て船の宣伝ポスターを描いたり、

進水式に配布する船の絵葉書を描くことでした。

それが戦争が始まり、岡田永太郎社長から命じられたことで、

3年間、沈んでいった戦時徴用船の姿を絵に描くことが仕事となりました。

  

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↑この写真は、船員の撮影した写真をもとに描かれたようです。

元の写真はこれ↓

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↑「ぶゑのすあいれす丸」撃沈後の出来事を絵にしたもの。

漂流する女性の乗客にボートの席を譲り、

身代わりになって海に飛び込む船員の姿が描かれています。

  

大久保一郎氏は、生き残った船員からの話をもとに絵を描いています。

この絵も、大久保氏の想像の産物ではなかったようです。

  

Rimg0172  

この本を書いた野間さんは、「ぶら志る丸」(志に濁点)の事故報告書の中に、

よく似た話を発見しました。

身代わりになったのは3人の16~17歳の若い船員だったそうです。

千葉県、愛媛県、韓国出身の船員でした。引用します。

  

「僕達の代わりに婦人客を乗せて下さい」と嘆願すれば、

やむなく此の婦人客を最後の収容者として現場を離れたり。

別れるに当たり

「僕達は居残って、なお漂流中のこれら多数の人を守り、寂しい思いをさせず、

再度の救出を待っています」と欣然として笑いて居たり。

(瓜田収治二等運転士の報告書より 抜粋)

Rimg0173

  

しかし、救命艇が戻ってきた時には、彼らの姿はすでになかったと報告されています。

  

3人の行為はなかなかできることではありません。

そんなすばらしい行為が失われてしまうのはとっても惜しい。

こうやって絵で描き残すことで後世に伝えられたことは幸いです。

私がこうやってブログに書き残すのもちょっとは貢献になるかな。(次の投稿につづく)

  

  

   






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