「戦時徴用船」3/火のついたドラム缶を放り込む船員
今日は3月28日。
前投稿のつづき。
2月8日放映の「ETV特集 戦時徴用船~知られざる民間商船の悲劇~」から、
大久保一郎氏の絵をできるだけ載せていきます。
昭和17年8月7日。ガダルカナル島に米軍が上陸。
この島を根拠地にしようとして占領していた日本軍とのすさまじい戦いが始まりました。
日本軍は武器や食料、増援部隊をガダルカナル島に送り込むために、
優秀な商船を集めて、大規模な輸送作戦が行われました。
輸送船団は、護衛の軍艦に守られていましたが、航空機の護衛はほとんどありませんでした。
商船の中の1隻が「九州丸」でした。
九州丸は、米軍の飛行機がこない夜中に、ガダルカナル島の沖合に到着。
夜を徹しての荷揚げ作業が行われました。
しかし、朝、事態に気がついた米軍機の猛攻撃にさらされます。
※写真の船が「九州丸」とは番組中説明がありませんでした。
爆撃で火だるまになりながら海岸線に突入する「九州丸」
この時の生き残りの船員、妹尾藤太郎さんの証言。
九州丸にアメリカ軍機の攻撃が集中しました。
私の間近にも爆弾が落下。
パッと赤い閃光がきらめいたかと思うと、大音響とともに周囲のものが吹き飛び、
気がつくと、直前まで言葉を交わしていた同僚が、
血まみれになって傍らで息絶えていました。
攻撃を受けた船内の様子を表した2枚の絵があります。
もっとも攻撃を受けたのは司令室のあるブリッジ。
そこで火に包まれる船員です。
そして機関室にいる船員の安否を確かめる船員。
機関室は、船の奥にあるために、犠牲者が多く出た場所でした。
どちらも船内で起こったであろうことが、リアルに表現されています。
そして最も印象的な絵がこれです↓
米軍機の爆撃により炎上する船の上でなお、補給物資の陸揚げ作業を続ける船員たち。
投げ込んでいるドラム缶には、海に浮かぶように食料や燃料が半分だけ入っているそうです。
せめて食料が島に流れ着くようにと願い、火のついたドラム缶を手にしているのです。
上には米軍機。機銃掃射や爆弾の落下もあったと思います。
船員たちは丸腰。とんでもない状況での作業。
きっと怖かったと思うけど、任務遂行の執念・興奮が、
こんな火のついたドラム缶を投げる姿になったのでしょう。
絵のおかげで、私の胸に、この勇気ある船員の姿、行為が残りました。
ガダルカナルへの輸送作戦は2回行われ、
17隻の商船のうち14隻が沈められたそうです。
無茶な作戦だったのです。
沈む船から脱出して島にたどり着いた船員は、飢えや病気に苦しめられたそうです。
(つづく)
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