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2013年1月

2013年1月 4日 (金)

「三人吉三」の名セリフ

 

今日は1月4日。

 

前投稿に書いたことがまだ気になって調べました。

こいつぁは春から縁起がいいわい

このセリフが出てくる歌舞伎を映像で見られないか調べました。

以下、Wikipedia 三人吉三廓初買を参考にして書いてみます。

これは歌舞伎の「三人吉三巴白波(さんにんきちさ ともえの しらなみ)」という演目だそうです。

省略して「三人吉三」とも言います。

「こいつぁは春から縁起がいいわい」は、演目の冒頭で、

吉三の一人のお嬢吉三(おじょうきちさ)が言ったセリフの一部。

このセリフは、「厄払い」という名前のセリフで、歌舞伎の中での名セリフなのだそうです。

それではその名セリフを書いてみます。

 

月も朧(おぼろ)に 白魚の

篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

冷てえ風に ほろ酔いの

心持ちよく うかうかと

浮かれ烏(からす)の ただ一羽

ねぐらへ帰る 川端で

竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)

思いがけなく 手に入る(いる)百両

(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!

ほんに今夜は 節分か

西の海より 川の中

落ちた夜鷹は 厄落とし

豆だくさんに 一文の

銭と違って 金包み

こいつぁ春から 縁起がいいわえ

以上です。

これを読むと、「節分」とあるので、立春の「春」ということ。

つまり旧暦の正月ですね。

では実際に歌舞伎でセリフが言われているところが見られないか。

 

ありがたいことに、youtubeにありました。

よかったら見てみてください。

ちょうど5分くらいのところで、お嬢吉三が正体(お嬢吉三は女装の盗賊)をあらわして、

夜鷹のおとせからお金を盗み、おとせを川に落とします。

そしてこのセリフを言います。

 

「濡れ手で粟」も出てきます。

昔投稿したことを思い出します。

日めくりより・・・濡れ手で粟/通水カップ

濡れ手で「泡」ではなくて、「粟」ですよ。

流れ星を見る/こいつぁは春から縁起がいいわい

 

今日は1月4日。

仕事始め。さっそく自転車通勤で行きたい。

この冷え具合。気合が入ります。

 

昨晩は外で30分も空を眺めていたのに、

しぶんぎ座流星群の流れ星は見ることができませんでした。

しかし、今朝の5時半頃、家の窓を開けて眺めていたら、

上から下に流れる星を目撃。5分で2つ。

ここで浮かんだ言葉が、

こいつぁは春から縁起がいいわい」です。

ここに出てくる「春」はもしかしたら正月のこと?

 

さっそく調べました。

このサイトに正解がありました。

開運招福!祈願倶楽部

一部引用します。

 

よく聞くこのセリフ、実は歌舞伎の中のセリフなのです。

三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)という演目の中に出てきます。

この話は和尚吉三とお嬢吉三、お坊吉三という三人の吉三と名乗る盗賊の物語です。

この中でお嬢吉三が夜鷹から百両もの小判を強奪したときのセリフで・・・(中略)

ちなみに、ここで言う春は、新春、正月のことです

正月から縁起がいい、ということなのですね。

正月に何か縁起が良いことがあったら、ぜひ使ってみましょう。

 

夜鷹は遊女のこと。

夜鷹を川に突き落としてお金を奪った後に言うセリフだそうです。

けっこう卑劣な事件のあとに出てきたセリフでした。

まずはそのことに驚きました。

「春」はやはり正月のことでした。

新年早々、流れ星が見られたのは縁起がいいことです。

2010年に見ることができなかった雪辱を果たしました。

しっぽの先で輝くアルクトゥルス(2010年1月4日投稿)

やっぱりもう一度言いたい。

 

こいつぁは春から縁起がいいわい

 

 

 

 

 

2013年1月 3日 (木)

今晩は流星そしてブロンコビリー

 

今日は1月3日。

 

今晩は流れ星が見られる可能性アリ。

終業式の日にプリントで子どもたちには紹介しました。

忘れないで見ようとしているかな。

しぶんぎ座流星群ですよう。

8月のペルセウス座流星群、12月のふたご座流星群とともに、

三大流星群の一つに数えられています。

見頃は午後10時頃。もうすぐです。

夜明けまで見られる可能性アリ。明るすぎる月がネック。

 

 

今晩は家族でブロンコビリーへ。

名古屋が発祥のステーキレストランチェーンです。

最近、映画「ヤングガン2」を久々に見たので、

「ビリー」と聞くと、ビリー・ザ・キッドのことを連想しました。

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調べてみました。

ブロンコビリー」は、

アメリカ西部時代の暴れ馬ブロンコとならず者のビリーの名前を合わせたものだそうです。

ならず者のビリーと言ったら、ビリー・ザ・キッドでしょう。

予想は当たりました。

東京には、「ビリー・ザ・キッド」という名前のステーキ・ハンバーグ店があるようです。

ステーキハウス ビリー・ザ・キッド

 

ビリー・ザ・キッドは映画でもしぶとかったけど、

現実でもしぶとい。

 

 

 

 

「北条義時」より・・・六波羅探題の場所・義時の死

 

今日は1月3日。

 

「3度目の正直」「2度あることは3度ある」という2つの言葉が頭にあります。

六波羅探題と義時の死について書いた原稿が2回消えてしまいました。

ショック。でもくじけずに再びうとうと思います。

すぐにうつと、まだ内容が記憶に残っているし、

案外最初にうったよりもいい文章になることが多いです。

さあ、最後までうって、投稿まで持ち込むぞ。

 

前投稿に続いて、半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

承久の乱の後、幕府政治の新しい展開がはじまり、

また幕府権力の伸長が見られるが、その具体的表現として、西国に対する行政機関の設置と、

地頭設置範囲の拡大とがあげられる。

前者は、いわゆる六波羅探題の創設であり、

後者は新補地頭の補任である。

京都の治安が恢復(かいふく)するに従って、幕府軍は漸次帰東した。

しかし幕府は、戦後の占領行政にあたっていた南北六波羅の時房・泰時をそのまま京都に駐留させ、

これまでの京都守護に代って、

朝廷の監視と京都の治安警察のことに当らせることとした。

これが六波羅府のおこりであり、六波羅の首脳者は探題と称されるようになった。(222~224p)

 

六波羅探題の起こりは承久の乱でした。

その終わりは、足利尊氏らに滅ぼされた1333年です。

鎌倉時代を象徴する役所だったわけです。

 

六波羅探題があったのは現在のどこか?

北方と南方の2つの役所があったことを知ったのは、この本を読んで。

北方はどこに、南方はどこに?

ヒントはこのサイト。

e-kyoto.net 北条時宗「京紀行」 六波羅北方南方地図

Upload_20100628140845

 

方広寺や豊国神社のような行ったことがある場所も、六波羅に入っていました。

かつては平家の人たちが住んでいた地域だそうです。

まだ勉強不足でわかっていないのは、

六波羅という地名があって、その北側を「六波羅北方」南側を「六波羅南方」というのか?

それぞれの場所に、六波羅探題府が置かれたということか?

それともこの広大な場所が六波羅探題府だったのか?

この辺りがあいまいですが、今回はこの程度。また調べます。

 

北条時房は、北条義時の異母弟。北条泰時は、北条義時の長男。

 

 

 

義時の最期。

義時が亡くなったのは、承久の乱があった3年後の元仁元年(1224年)6月13日。

急死でした。

引用します。

吾妻鏡』『百鍊抄』によれば、その死因は脚気衝心(かっけしょうしん)であったと思われる。

従ってその死は、全く突如として襲ったもののようである。

こうして武家政治の成立期を生きて来た政治家北条義時は、

執権政治を確立するための最後の仕上げをすることなく62年の生涯を終った

しかし彼の遺志は、あとをついで執権となった嫡子泰時によってうけつがれ、

やがて見事に開花するのである。(240~241p)

 

脚気は、ビタミンB1の欠乏により起こる病気。

脚気衝心は、辞典には次のように書いてありました。

「脚気に伴う心臓機能の不全。呼吸困難となり、苦悶(くもん)して死に至ることが多い」

脚気は、最近聞かない病気です。

しかし、日露戦争では、戦死者を大きく上回る脚気での死者を出したと聞いたことがあります。

脚気での死者が減ったのは1950年代後半だそうです。

つまりこの本が書かれた頃には、もっと身近な病気だったのです。

だから著者は、当然のように病名を書いていて、特別に説明をしていません。

50年前に書かれた本ならではの箇所だと思いました。

義時は、承久の乱で命を消耗したのではないでしょうか。

 

 

北条義時が悪者扱いされていた明治時代の方が、

今よりも義時が有名だったと思います。

今はその時に比べて、義時に対する関心が低いと思います。

私も50歳を越えて、関心を持ちました。

そのスタートでこの本が読めて勉強になりました。

 

さあ投稿しよう。

3度目の正直ですね。今度はOKです。

 

 

「北条義時」より・・・調伏・天皇上皇に逆らうこと

 

今日は1月3日。

 

1日~2日は奥さんの実家でゆっくりしました。

1日はドラマ「御鑓拝借」「相棒」を見て、

2日は「箱根駅伝」を見ました。

日体大が往路優勝。じっくり見ました。

なのに、1年経つと「どこが優勝したっけ?」となります。

どういうこと?もう少し記憶さん、しっかりしてよ。

 

 

昨日に引き続き、半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

後鳥羽上皇は、公家社会で最も頼みとした神仏の加護を重視して、

延暦寺・東寺・仁和寺などに命じて、

五月の初めから義時調伏(ちょうぶく)の修法を秘密裏に行わせた。

調伏とは仏の力に頼って怨敵を降伏させたり、

あるいは人を呪詛(じゅそ)して殺すことであって、

そのための祈祷が行われたわけである。

近代人の意識からすれば、呪詛とか調伏とかはおよそ無意味かも知れない。

しかし中世の人々にとっては、公家といわず武士といわず、

また一般の農民・庶民に至るまで、誰しもが、これを信じ、

仏の力によって絶大な効果をあらわすものと考えていた。(190p)

 

これも興味深い話です。調伏呪詛の力が信じられていた時代もあった。

鎌倉時代がそうだった。

そういう前提は、歴史を見ていくときに大事だと思います。

 

 

承久の乱の直前の話。

 

軍事の上からみれば義時の勝算はまず間違いないであろう。

しかしここに一つの、しかも最も重大な障(しょうがい)があった。

それは「一天万乗の君」に向って攻撃をしかけることの不利である。

中世の武士たちの意識の中にも、天皇や上皇に向って弓を引くことを、

道徳的な悪であるとする傾向は強く、また決定的であった。(192p)

 

承久の乱は、今考える以上に、武士にとって勇気のいる戦いだったようです。

 

「障害」ではなくて「障」でした。

「碍」という漢字に馴染みなし。

「碍子(がいし)」は「電柱や鉄塔に取り付ける絶縁体の器具」のこと。

Dzsyg005
AH!電柱好き少年ゴロンディーナー

会社「日本碍子」も1986年に「日本ガイシ」に社名変更しています。

なかなか出会えない漢字です。

 

2013年1月 2日 (水)

「北条義時」より・・・南都北嶺・官打ち

 

今日は1月2日。

 

半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

平氏に対抗する勢力として、14pに「南都北嶺(なんとほくれい)」という言葉がありました。

「南都」は「奈良の興福寺」を指すことは、この投稿をまとめていて知りました。

今晩大仏殿が炎上する

それでは「北嶺」は?

調べてみました。

 

「南都北嶺」について、辞典にこう書いてありました。

 

南都とは、北に位置する平安京に対する平城京すなわち奈良の都をいうが、

とくに、中世になって都市的発展をみせたかつての外京地域に位置する

東大寺・興福寺などの寺院やその周辺地域を指していう。

ひいては、これらの寺院のなかでもとりわけ強大な力を誇った興福寺を、

また同寺およびそれを中核とする寺社勢力を意味した。

一方、北嶺は直接には比叡山延暦寺のことであるが、

南都北嶺と総称する場合には、園城寺(おんじょうじ)(三井寺)などを含むこともある。

 

なるほど~。本を読んだことで、また一つ勉強ができました。

 

 

また官位の昇進を唯一の望みとした実朝に対して、

院当局はその希望にまかせて、しきりに将軍実朝の官位をすすめ、

健保六年正月に権大納言、三月兼左大将、十月内大臣とし、

その十二月には二十七歳の若さでついに右大臣に任ずるに至ったが、

この官位の陞叙(しょうじょ)は、朝廷が実朝をいわゆる「官打ち」にするためであったと言われる。

官打ち」とは、分不相応な官位の昇進を行い、その人が官位の重さに負けて、

生命をちぢめることを期待するという方策であり、当時の社会では、

そのようなことが信じられていたのである。

この「官打ち」を意図したという説は、『愚管抄』の著者慈円が述べたところであるが、

当時の京都側が、皇族将軍の実現のために、

実朝の死の早からんことを望むという客観情勢は、たしかにあったと思う。(167-168p)

 

官打ち」という言葉も知りました。

実朝に朝廷が積極的に官位を与えていたことは知っていました。

でもこんな魂胆があった(可能性があった)とは。

 

2階窓からの初日の出

 

今日は1月2日。

 

昨年パソコンが壊れて、今までの年賀状の住所が消えてしまいました。

探し出せなかったので、今回は住所を打ち直しました。

うった後に「保存」ボタンを押さなかったことがあったようで、

住所が保存されていなくて、

いつも出していた人なのに、何人か年賀状を出さなかった人がいたことが判明。

あわてて今年になって年賀状を出しました。失礼しました。

やっぱり確認が大事です。

 

 

1月1日の初日の出を見ようと思って早起きしました。

我が家の2階の窓から、日の出を待ちました。

どの辺りから出るのかなと思ったら、2本の電信柱の間から出てきました。

 

RIMG2124

RIMG2125

 

雲があって、きちんとした輪郭が見られませんでしたが、

なかなかいい初日の出でした。

来年も、同じ窓から見たら、2本の電信柱の間から出てくるはず。

当たり前のことかもしれませんが、2本の電信柱の間から出るかどうか、

来年も同じ場所から初日の出を見ようと決めました。

 

 

今年は、全国でもあまり初日の出はきれいに見られなかった模様。

残念でした。

2013年1月 1日 (火)

日めくりより・・・最後の1枚・色外に現る・垢(あか)

 

今日は1月1日。

ついに始まった2013年。どんな年になるかな。

ブログは3119本目からスタート。

 

年末に注文した日めくりがまだ届きません。

新しい年が始まってしまったにもかかわらず。

注文するのが遅かったです。

 

昨年の日めくりのラスト1枚はこれでした。

 

EPSON174

終わりよければすべてよし

めくってこれを見たときは笑っちゃいました。

最後の1枚らしい言葉です。

私にとっては昨年はそんな感じです。

10年ぶりに病気でダウンして休みました。

迷惑をかけました。

復活してから、ゆっくりゆっくり離陸。

現在、夢中で飛行中です。

 

 

EPSON156

思い内にあれば色外に現る

物事いいふうにいいふうに考えていきたいです。

不満だらけだと、それが表に出ます。

近寄りがたい人間になってしまいます。

不満をため込まないように。

不満だと思うことがあったら解決を目指そう。

なるべく「うれしいな」「好きだなあ」「面白いなあ」「楽しいな」

といった気持ちが心の中で多くを占めるようにしたい。

 

 

EPSON157

垢も身のうち

どういう意味だろうと思って説明を読みました。

こういう意味だったのですね。

「腹も身のうち」をもじった言葉と聞いてなるほどと思いました。

でもこうやって冷やかすような、度を過ぎた人は、

自分の身のまわりで気がつかないな~。

使わないですんでしまいそうな言葉です。

 

 

 

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