「天地明察」・・・「関孝和」に命が吹き込まれた
今日は1月6日。
明日は始業式。
そしておそらく日の出が最も遅い日。
太陽で考えれば、最も底の日。
明日を境に上向きになります。そう考えれば最底(さいてい?)も悪くない。
11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。
※参考:「生き方」を意識したい/冲方丁さんの記事(11月23日の投稿)
この本の主人公は渋川春海(1639年12月27日~1715年年11月1日)です。
そして脇役ながら、しっかり存在感を出しているのが、
関孝和(1642年3月?~1708年12月5日)です。
学生の頃に、江戸時代の和算家として社会科で暗記した人物名に過ぎなかった関孝和。
今でもありそうな名前だと思っていた「関孝和」
「天地明察」を読んで、名前だけだった関孝和に、命が吹き込まれた感じになりました。
稀有(けう!)の天才として描かれていました。そんな一場面。
初めてその男が塾を訪れたのは去年のことだ。
最初は壁に貼り出された問題を眺めたり、
塾の者たちの問答の応酬を横で聞いたりしているだけだったという。
門下に入りたいのかというと、そうではなく、ただ距離を置いたところから、
塾の様子を眺めているという感じだった。
だがそのうち、誰かが、あなたも解答に挑んでみたらどうかと勧めた。
ここでは自由にそれが許されている。誤謬(ごびょう)を恐れるなかれ、うんぬん。
その男は、それでは、と筆を持った。
いきなり全ての問題に、ただ答えだけを書いた。
その場に居合わせた者たちが一人残らず言葉を失うほどの速さだった。
あらかじめ答えを知っていて書いているとしか思えない。
だが塾の師である磯村が、手本として出題した、誰一人解けぬ難題にすら答えをつけた。
その日の内に、全て正解であることが分かった。
塾生全員が言葉を失った。
磯村は不在だったが、代わりに村瀬が、その問題の答えに、
『明察』
の二字を記した。塾に、どよめきが起こった。(106~107p)
「その男」こそ関孝和でした。
関連して調べると、こんなサイトがありました。
※satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から
※satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から(1)
※satokenichilab's blog 『天地明察』騒動:Coming Out m(_ _)m
※satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(1)
※satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(2)
※satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(3)
関孝和を研究している方のブログです。
ブログ本文もコメントも読んでいて勉強になります。(つづく)
コメント