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2012年4月

2012年4月18日 (水)

清和天皇→「清和源氏」

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

  

興味関心は広がる。

前投稿の続き。藤原良房が初めて摂政になったことを書きました。

   

藤原良房が摂政になった時の天皇は清和天皇

この清和天皇の名を聞いて思い出すのが「清和源氏

「清和源氏」って何だ?

調べてみました。まとめます。

   

今の天皇家も世継問題がありますが、平安時代も同じ。

たくさんの世継ぎをと思っていた清和天皇にはたくさんの皇子がいました。

第六皇子貞純親王(さだずみしんのう)もその一人でした。

その貞純親王の子に「源経基(みなもとのつねもと)」という人がいて、

この人の代にて源姓を賜り、家臣となったそうです。

この源経基に始まる源氏が、「清和源氏」だそうで、この人の子孫には有名人がたくさんいます。

他にも村上天皇を祖とする「村上源氏」とかもあるそうです。

   

「清和源氏」の系図は、次のサイトがわかりやすかったです。

「清和源氏から出た戦国武将」html

「清和源氏」html  

   

源義朝、源頼朝、木曽義仲、足利尊氏、新田義貞、細川勝元、山名宗全、

徳川家康、今川義元、武田信玄、明智光秀、森蘭丸、柳沢吉保、吉良上野介などなど・・・

有名な人が確かに多い。本当だろうか?

   

平安時代は、貴族と武士がまだまだ上下関係のあった時代。

清和天皇が祖とは言え、源氏は武士。家臣。

そういうことが起こるんだと思いました。

皇子の息子・・・源経基は複雑な気持ちだったでしょうね。

   

平氏は「桓武平氏」が有名。

   

    

藤原氏については、まだまだ調べましたが、

後日投稿します。

 

   

藤原良房が摂政になる

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

   

2月28日放映「さかのぼり日本史 平安時代 藤原氏はなぜ権力を持ち続けることができたのか 

④ 応天門の変 藤原良房摂政となる」を見ました。

    

応天門の変はちょっと気になっていた事件。

この事件があって、藤原氏のライバルがいなくなり、

藤原良房が皇族以外で初めて摂政になったことを知りました。

現在の応天門。

Heian18
http://www.geocities.jp/kyobura5/07heian/heianjingu.html

  

応天門の変とは・・・・

次のサイトが詳しく、面白いので紹介し、そこから引用します。

「伴大納言絵巻 応天門の変 2008.1.1NHK BS特集」html

   

応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866)に起こった政治事件である。

応天門が放火され、大納言伴善男(ばんのよしお/とものよしお)は

左大臣源信(みなもとのまこと)の犯行であると告発したが、

太政大臣藤原良房(ふじわらのよしふさ)の進言で無罪となった。

その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。

これにより、古代からの名族「伴」氏(大伴氏)は没落した。

藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。
   

      

ここでさらに興味が向いたのが、この事件のことを描いた「伴大納言絵巻

平安時代末期の絵巻物。

応天門の変の約300年後、後白河法皇が「年中行事絵巻」とともに常磐光長に描かせた、と言われているそうです。

ここにも絵を転載してみます。

Dainagon48
   

これはまだ一部。

事件に関する出来事がいくつも描かれています。

この絵についてもじっくり調べてみたい。またいずれ。

上記のサイトはお薦めです。

 

 

メヒカリの唐揚げ

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

   

夕飯シリーズ3本目。

メヒカリの唐揚げを作りました。

冷凍のメヒカリを油で揚げるだけだから簡単。

一緒にナンコツの唐揚げも作りました。

  

「メヒカリ」・・・語源が予想がつく名前。

調べてみたら、けっこう話題の多い魚でした。

Gamagourinomehikari_aichi_p_1
「ぐるなび 蒲郡めひかり」/

  

やっぱり、目が大きく、光を反射して光ることから、この名がついたそうです。

すぐ近くの町、蒲郡市では、県内の9割を水揚げしていて、

市を代表する魚のようです。

蒲郡市では、メヒカリのキャラクターも作るそうです。名前は公募して「ぴか丸くん」だそうです。

一度どんな様子か、蒲郡に行ってきたいです。

  

次のサイトもすごく参考になりました。

メヒカリの絵が楽しい。

Bottommehi
「メヒカリ information」html

ふらっと調べたら、こんなこだわりの人のサイトに出会えて、すごく得した気分です。

 

最後に魚屋三代目さんに許可をいただいて、

素晴らしいメヒカリの写真を掲載します。

おいしそう!

D0069838_20173677
http://nsakanaya.exblog.jp/4628264

 

 

 

COOKPAD/鶏肉料理に挑戦

   

今日は4月18日。再スタート5日目。   

 

前投稿に引き続き、夕食シリーズ2本目。

夕飯づくりをよくするようになり、面白いサイトを教えてもらいました。

手近にある材料をうちこむことで、

その材料を使ったメニューを即座に紹介してくれるサイトです。

「COOKPAD」/

   

先日は、鶏肉が食べたいと思い、鶏肉をうちこみました。

たくさん出てきたメニューの中で挑戦したのが、

チキンのハニーレモンチーズソース」です。

(なんかこのタイトルの日本語、おかしいぞ)

D9ece5cee7a061fb82b713d9d6ae9cd3
http://cookpad.com/recipe/1706031

   

写真とは、似ても似つかない?ものができましたが、

味は家族に好評でした。

レシピに書かれている通りに作るのですが、

なぜ「みりん」を入れるの?

なぜここで「片栗粉」?

疑問に思いながらやりました。

とにかく書かれている通り。

先日作った「四日市とんてき」※四日市とんてきに初挑戦同様、蜂蜜が登場。

蜂蜜って、けっこう料理に登場するんだと思いました。

  

まだまだ初心者です。

四日市とんてきに初挑戦/必須

 

今日は4月18日。再スタートして5日目。

   

この休んでいる期間、奥さんが午後働いていることもあって、

夕食を担当しています。

といっても、そんなに体験をしたことがないので、ほとんどが初体験。

発見や疑問の連続でした。そんな体験の報告も書いていきたいです。

    

   

とんてき」を作りました。

次のサイトを参考にしました。

Fe6220a35b971c87bc8587c349e12621
「COOKPAD お店の味!四日市のとんてき☆byでみんご」1

   

  

もちろん初めての挑戦。

ソースを作るときに、ウスターソースとしょうゆを混ぜます。

本当にこれでいいの?と思いながら混ぜました。

こんなの誰が考えたのだろう?

 

  

四日市とんてき

四日市って、「とんてき」が有名なのかな?調べてみました。

そもそも「とんてき」とは?

豚肉のステーキだから、ポークステーキ。カタカナで「トンテキ」と書くと思いますが、

「四日市」がつくと、ひらがなで書くようです。

  

発祥は四日市市内の中華料理店「來來憲」(らいらいけん)である。

とんてきは同店の看板メニューであったが、当時は四日市名物として意識されることはなかった。

2005年(平成17年)秋に四日市市職員の研修会で、

豚肉のステーキに光を当てようと四日市大学の小林慶太郎准教授が発案したことが、

ご当地グルメとしてPRしていくきっかけとなった。

2008年(平成20年)には「四日市とんてき協会」を設立し、

とんてきマップを作成するなどして本格的な広報活動を開始した。

協会の初代会長には発案者の小林准教授が就任している。

また、名古屋・栄や東京・渋谷など四日市市外にも四日市とんてきと出す店舗が進出し始めている。

マスコットキャラクターはテキブ〜。

2010年4月に正会員として愛Bリーグに認められ、同年9月のB-1グランプリに三重県から初参加している。

「Wikipedia 四日市とんてき」D

091116_01_03
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E3%83%86%E3%82%AD%E3%83%96%EF%BD%9E   

   

まだまだ最近のこと。市職員の方たちのアイデアは、どうやら成功したようです。

グローブのように豚肉に切り込みを入れましたが、

これも「四日市とんてき」の特徴でした。

今回はだいぶ焦がしてしまいました。

キャベツが千切りではないと突っ込まれました。(四日市とんてきは千切りが必須)

次回は反省を生かそう。

  

   

う~ん、今気づく。「必須」を今まで「ひっすう」とい読んでいました。

「ひっすう」とうって変換しても出ないので、調べたら「ひっす」!

2012年4月17日 (火)

加藤ゆか選手、日本記録で代表に

 

今日は4月17日。再スタートから4日目。

  

4月はじめ、   水泳では、

オリンピック3大会連続で出場を決めた北島康介さんが注目を集めていましたが、

私の関心は、加藤ゆか選手でした。代表になったかどうか。

調べました。

やったね、ちゃんと通過していました。・・なんて簡単に書いたら失礼ですね。

100mバタフライで日本記録を更新しての出場。素晴らしい。

120404-1
http://olympic-fan.com/topics/120404-1.shtml

このサイトから引用。

4月3日競泳日本選手権女子100メートルバタフライで加藤ゆか(25)が57秒77で、

自身が持つ日本新記録を更新して優勝し、2大会連続の五輪出場を決めた。

加藤選手はこう言っています。

「北京五輪では予選落ちという結果でしたし、(昨年の)世界選手権でも決勝に行けなかったので、

今度は絶対に決勝に行けるように頑張りたいです。

北京五輪の敗因は、通過がギリギリで日本選手権で気持ちが切れてしまって、

五輪まで気持ちが続かなかったことだと思います。

今回は余裕を持って派遣標準記録を突破できたし、これからの3カ月が勝負だと思います。

もう失敗したくありません。もう五輪しか見えてないです」

   

夏が楽しみになりました。

私もその間に復帰して、また頑張るぞ。

  

 

 

ベアトの写真/昔の日本人

  

今日は4月17日。再スタートから4日目。

維新前夜」(鈴木明著)をきっかけに、古写真について書いてきました。

これが6本目。とりあえず最終回。

   

本「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)にもベアトのことが書いてありました。

   

EPSON089
5p

ベアトが撮影した生麦事件の現場。

   

EPSON090
12~13p

この写真の左に立っている大柄な人物がベアトだと石黒さんは推理しています。

ベアトはたくさんの写真を撮った人だけど、肖像写真が皆無なのだそうです。

だから、この写真に写っている大柄な人物がベアトだとしたら、

貴重な写真になるそうです。

   

平成8年10月12日の朝日新聞夕刊に、

ベアトの写った写真が発見されたという記事がありました。

この記事、何となく覚えがあるなあ~。

いつか図書館で手に入れてみたいです。

   

ところで写真に写っている人力車について、石黒さんはこう書いています。

  

旅の外国人と、その荷物を運ぶ人足の写真である。

旅の途次写した記念写真であろう。  (中略)

断髪令発布が明治4年、人力車の普及が明治4,5年ということを考え合わせると、

明治5年頃の撮影と想像できる。

人力車は明治2年、和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の3人の発明になるもので、

明治3年に東京府によって製造及び営業が許可されている。

その後2年くらいで、国内はもとより外国にまで輸出するほどに普及したという。

右に写っている人足2人は腰の入れ方ひとつ見ても、

モデルでなく本物であると分かる。力強いポーズで決まっている。 (7p)

  

   

テレビの時代劇で、幕末や明治の人たちが俳優によって演じられます。

でも、こういう写真を見ると、当時の日本人と現代の日本人は質が違うと感じてしまいます。

体つき、顔つき、目つきなど、違います。

下の写真はもっと感じます。

EPSON091
   

石黒さんも、「鋭い目つきに圧倒されてしまう」と書いています。

確かにそう思います。

駕籠かきや人力車引きだから、体が引き締まっているのかもしれませんが、

たるんでいない体・精神を感じます。

同じ日本人ですが、150年の歴史が日本人を変えてきたのでしょうか。

 

古写真。まだまだこだわりたいテーマです。

屋形船の写真は内田九一撮影

 

今日は4月17日。再スタートから4日目。

前投稿に続いて、本「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)より。

  

EPSON088

28pに載っていた写真です。

ドラマ「JIN ~仁~」のオープニングに出てきた写真でもあります。

「JIN ~仁~」のベアトの写真html   

その時にこの写真はベアトが撮影したものとして書きました。

しかし、この本によると撮影者は違いました。

内田九一(うちだくいち)という人の写真です。

1844年生まれで、1875年没。32歳!

肺病を患っての早すぎる死でした。

※参考:「写真が紐とく幕末・明治 幕末・明治初期の写真師・内田九一の没後と、その妻・おうた」141

あの有名な明治天皇の写真を撮影した人でもありました。

Meiji_Emperor
  

この人が初代の社長である内田写真株式会社が大阪にありました。

HPはここ。http://www.uchida-p.co.jp/

   

上の屋形船の写真は、明治初年の撮影のようです。

本にはこう書いてありました。

  

湿板写真の時代であり、露出には数秒かかるはずなのに、

船が全くブレていないのが不思議だった。  (27p)

  

石黒さんは、骨董市で、屋形船の別角度から撮った写真を手に入れます。

(とにかくこまめに写真を収集している石黒さんに感心します)

その写真からの推理で、この船は浅瀬に置かれた船であって、水に浮かんでいないという考えに至ります。

だからぶれずに撮影できたわけです。

面白い!

   

さらに、屋形船の屋根の上に人が乗っていることについて、こう書いています。

   

屋形船の屋根の上に乗る習慣はあったようだ。

江戸東京博物館で開催された企画展「江戸の夏ーその涼と美」に、

屋形船の屋根に乗っている図が二枚展示されていた。

いずれも男性で、懸命に屋根につかまっていた。

その後気にかけていると、屋形船の屋根に乗ってくつろいでいる絵や写真は度々目に留まった。

明治の隅田川は、今よりずっと波がなく穏やかだったようだ。

今は大きな船が通るようになり、その波がコンクリートで固められた護岸で増幅されて、

大波が出来るようになったのだそうだ。

昔の写真を、現在の目で見て判断してはいけないと反省をした。 (30p)   

   

この本を読み、他にもいろいろ調べてみて、古写真は面白いと思う。

どうする?また好奇心が動く。

忙しくなっちゃうよ。

   

次の投稿のつづく。

 

 

明治7年の金星日面通過観測の写真

   

今日は4月17日。再スタートから4日目。 

  

前投稿で書いた「明治7年神戸における金星日面通過観測」の写真の載っている本を

早速入手しました。

本の名前は「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)です。

「続」ではない本も入手。両方読みました。

51PCC7S6PQL__SL500_AA300_51W3BE8B5PL__SL500_AA300_

   

その写真は70-71pにありました。

EPSON087
  

著者の石黒さんは、古写真をコマめに収集している方のようです。

この写真も骨董屋さんで入手しました。

その時の様子が次のように書かれています。

  

ある骨董屋さんが大砲の写った珍しい写真だと売っていた。

しかしフランス語でObservatoire de Kobe(Japon)、つまり神戸の観測とキャプションがある。

黒い筒は大砲ではなく望遠鏡であろう。

それで私は金星を観測しているのではないかと目星を付けた。

長崎の写真師上野彦馬が明治7年、金星の日面通過を撮影したことを聞き及んでいたからである。

私はこの写真に(大砲でなくとも)うたれた。早速買って帰り・・・・(中略)

数多く焼き付けられ、販売された写真ではないだけに貴重なのである。

金星観測の古写真だけに、金星(きんぼし)を拾った(買ったのだけれど)といえよう。 (74-75p)

    

この写真にももちろん興味がありますが、

古写真を捜し歩くことにも興味あります。

この写真、いくらぐらいの値段がついていたのだろうか。

今年の金星の太陽面通過の頃に、この写真が有名になるような気がします。

石黒さんの名前もきっと出る。

   

   

古写真に関する話、まだつづく。

今年の天体ショー/明治7年の観測の時の写真

 今日は4月17日。再スタートから4日目。

休んでいる間にメモしてあったことを直して、投稿しています。

 

RIMG0572
  

3月31日放映の「ウェークアップぷらす」で、今年の天体ショーが紹介されていました。

キーワードは「

見逃したくいないですね。

金星の太陽通過については、2004年にあったようで、

その時の資料です。

Venustr1 

津村光則氏(和歌山県)作成 (C)Mitsunori Tsumura 2004
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20040608/

    
ここにも歴史あり。

ホロックスはイギリスの天文学者。

友人の協力者クラブトリーと金星の太陽面通過を世界で初めて観測。

その観測結果から、太陽と地球の距離を約1億㎞としました。

ホロックスは22歳(または23歳)で急死。

しかし、名はこうして残っています。

  

1761年の観測がイギリスとフランスの戦争中とあり。

「七年戦争」(1756ー1763年)と呼ばれる戦争の最中でした。

1874年は、明治7年。

日本に外国から観測隊が来ました。

その時の貴重な写真が、次のHPで見られます。

明治7年神戸における金星日面通過観測」htm

HPで紹介されている本「続幕末・明治のおもしろ写真」(平凡社)に興味を持ちました。

あのベアトのことも書いてあるそうです。

図書館にあるようなので、借りてきたいです。

   

    

3月26日の月と金星と木星が並んだのを見逃したのが残念。

20120326

http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2012/201203/0326/index-j.shtml

ちゃんと予定表に書いておいて、どの天体ショーも見逃さないようにしたいです。

   

次の投稿にさらにつづく。

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