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2012年4月

2012年4月17日 (火)

「JIN ~仁~」のベアトの写真


    

今日は4月17日。再スタートから4日目。

  

前投稿で、写真家ベアト兄弟のことを書きました。

そしたら、日本に来日したフェリーチェ・ベアトの記事を見かけました。

3月21日、朝日新聞夕刊です。

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写真に写っている人が本当に女の人かという記事。

それについても興味はあるけど、

ベアトの写真がドラマ「JIN ~仁~」に使われたと聞いて、

ああなるほど、あの写真かと思い当りました。

「あの写真」もベアトの作品なんだと思い、あらためて見てみました。

昨年放映の「JIN ~仁~」第4話の写真を載せます。

現代の写真とベアトの写真が連続で出てきました。大きな写真です。

  

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以上です。

夕刊の記事を見て、やってみたくなったことをやり通しました。

ドラマでは、面白いことをやっていたんだと気づきました。

    

 古写真に関する投稿、次もつづく。

 

砲台占拠の写真/ベアト兄弟

   

今日は4月17日。再スタートから4日目。

   

維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ」(鈴木明著/小学館)を読んだことから、

南京事件やジョンラーベについて調べたことを書いてきました。

今回は古い写真(古写真)について調べていったことを書いてみます。

    

     

「維新前夜」について、詳しく書いてあるブログを発見。

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その1」html

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その2」html

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その3」html

   

「維新前夜」に書いてあり、このブログでも触れているのがこの写真。

Shimonoseki
    

社会科の教科書でおなじみの写真です。

幕末、長州と四国連合(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)が戦った下関戦争。

1864年8月。

連合軍に長州の砲台を占拠された写真です。

この写真は幕末維新の日本での戦争の唯一の写真だそうです。

撮影者は、フェリーチェ・ベアト。イギリス人。

そして、スフィンクスと武士の記念撮影をしたのが、

フェリーチェ・ベアトの兄弟、アントニオ・ベアト

無題

スフィンクスの写真に、署名が記されています。

EPSON084ベアとのサイン
   

ベアト兄弟は、日本人にとって貴重な写真を残してくれていました。

しかし、日本とエジプトでの写真を、イギリス人兄弟が撮った。

そしてその写真が残っていた。いいなあ、この話。

(次の投稿につづく)

2012年4月16日 (月)

広島カープの野村祐輔投手

   

今日は4月16日。再スタート3日目。

    

広島カープドラフト1位の野村祐輔投手。

446469_c450

実はよく知っていました。

2007年夏の甲子園での広陵高校のエース。

広陵高校と佐賀北高校との決勝は記憶に残っています。

1番打者の櫟浦(とちうら)選手、4番打者の土生(はぶ)選手に注目して、

ブログにも書きました。

駒大苫小牧VS広陵・・気になった苗字「櫟浦」「土生」html

   

あの時、8回に逆転満塁本塁打を打たれたのが野村投手でした。

この映像後半に、その満塁本塁打があります。

 

それ以後頑張って、こうやって広島カープドラフト1位に選ばれた。

素晴らしい。なんかうれしくなってしまった。

4位には土生選手が選ばれています。

あの時の広陵高校は、投打に実力があった選手がいたんだなあ。

あらためてそう思いました。

   

その野村投手。

早くもプロ初勝利を成し遂げました。4月8日DeNA戦のことでした。

これからも注目です。

地元中京高校出身の堂林選手も気になるし、今年は広島カープも楽しみです。

(私は巨人ファンです)   

 

 

2012年のナシの花/季節は廻る

 

今年も梨の花を見ることができました。

写真を載せます。

撮影は4月中旬です。

RIMG0005梨畑全体
  

RIMG0010梨畑全体2
  

RIMG0011花のアップ
   

RIMG0013花のアップ2
   

3年前に観察に行った梨畑。

今年は少々開花が遅めですが、ちゃんと咲いていました。

いい花だなあ。

季節は廻ります。

   

「廻」「巡」・・・どっちの字にするか迷いました。

まわって戻ってくる場合は、「廻」がいいようです。

   

ああ、思い出しました。「季節」「廻る」といったらこの曲。

 

歌詞の漢字はどうなっているかチェックしました。

   

「♪ めぐるめぐる季節の中で 貴方は何を見つけるだろう ♪」

  

ひらがなでした。   

   

    

三明寺にも行ってきました。

桜(サクラ)は少しピークが過ぎてしまいました。

RIMG0020三明寺

定年後に焼き芋専門店

  

今日は4月16日。再スタート3日目。

    

2月29日朝日新聞の記事。

EPSON08焼き芋の記事
  

愛知県の碧南市にある焼き芋専門店の話題。

店主は62歳の方。

「定年後は人と関われる仕事がしたい」ということで、

縁があって焼き芋屋さんになったそうです。

いいなあ、この生き方。

「たかが焼き芋といっても奥が深い」

その通り。

人と関われて、ある程度の収入があって、

さらに追求できるのがうれしい。定年後の仕事としてはいいですね。

   

一度食べに行きたい。

店名は「やきいも丸じゅん

HPもブログもあります。

※HPhttp://yakiimo-marujun.com/about/

※ブログhttp://ameblo.jp/yakiimo-marujun/

月曜定休。・・・定年後も6日間も働いているんだ。

ここにあり。

 

 

映画「ジョン・ラーベ」(2009年)について

   

今日は4月16日。再スタート3日目(10日目まで書こうと思います)

前投稿のつづき。

    

今回、「南京の真実」を読んだのを機会にいろいろ調べました。

映画「ジョン・ラーベ」が2009年に作られていたことが印象に残りました。

ドイツ・フランス・中国の合作映画。

日本での上映はないのですが、youtubeで一部見ることができました。

youtubeに投稿された理由が、この映画に出演した日本人俳優への批判のためでした。

映像と、俳優への批判の文章、そして出演した俳優の1人香川照之さんの発言が載った記事を転載します。

   

 

   

映像投稿者の文章。

香川照之は、中国のプロパガンダ映画「ジョン・ラーベ」に出演した。

演じた役柄は実在の皇族である朝香宮鳩彦王。

伏見宮家出身の宮様だったが、明治天皇の8女と結婚してい­たため、昭和天皇の義叔父にあたった。

この映画によると、日本軍は包囲戦で南京の降伏を促すつもりだったが、

「昭和天皇の叔父」である朝香宮殿下(中将)の命令で、捕虜を認めない皆殺し作戦に変更された。

とこ­ろがARATAが演じる架空の少佐は捕虜を何千人も収容してしまった。

朝香宮殿下(中将)はARATA少佐を叱責し、皆殺しを命じた。

松井石根大将はARATA少佐の所業­に大激怒したところ、

ARATA少佐は実は朝香宮中将の命令だったとカミングアウト(告げ口)する。

このあとの発言がこの映画のキモだ。

「私の甥である天皇陛下は、迅速な勝利を望んでおられます。

現代的な戦争、大日本帝国の優位を反映させます。明日の夜明けに南京を攻撃します」

映画は昭和天皇の叔父の発言を通じ、

30万人(映画のエンディングで30万人虐殺と文字がでる)におよぶ南京における大虐殺は

昭和天皇の意思・命令だったと暗に主張してい­る。

日本と中国は交戦中であり、人が一人も死なないはずはない。

しかし南京入城時、大規模な虐殺があったかどうかは、きわめて疑問が多い。

少なくとも朝香宮殿下が中心になって大虐殺を行ったなどという事実は、どんな資料にも見当たらない。

とんでもない濡れ衣である。冤罪である。香川照之は冤罪に加担した。加­担どころの話じゃない。

香川照之は冤罪の首謀者だ。

香川照之はこの映画の「功績」が認められ、2009年4月28日、中国の北京で第1回ジョン・ラーベ賞を受賞した。

授賞式はドイツではなく、なぜか北京だった。香川はこの­映画の出演を通じ、莫大な財産を築いたのだろう。(中略)

香川照之は「日本国」「日本民族」「天皇家」「日本国民」「日本の歴史」に対する反逆者だ。逆賊だ。

フィルムは永久に残り、香川照之は逆賊としての汚名を永久に払拭できな­い。

香川照之は日本人に何の恨みがあるのだろう?朝香宮殿下に何の恨みがあるのだろう?

   

   

次は中国発の記事。2009年4月1日。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0401&f=national_0401_016.shtml

中国、ドイツ、日本で上映を予定していた中国、ドイツ、フランス合作の『ジョン・ラーベ』が、

日本での公開を断念したことが明らかになった。

この中国版『シンドラーのリスト』は、国際的視点で南京大虐殺という歴史的事件を正面から描いていることから、

日本での上映は全面的に禁止され、日本の映画配給会社も映画を見ることさえ断ったという。

◆日本での上映を断念

日本国内で批判の声を浴びているのが、『ジョン・ラーベ』で朝香宮鳩彦親王役を演じた香川照之さんだ。

「この役は多くの人の批判を招くと思うが、自分がこの役を演じて経験したことはとても意義がある」と香川さん。

また日本国内で上映されないことについては、「日本で南京をテーマとした映画は普通上映できないし、

日本人も撮影しない。しかしこの映画が少しでも中国の人たちの苦しみを取り除いてくれるよう望んでいます」と話す。

映画に出てくる朝香宮鳩彦親王は裕仁天皇の叔父にあたる。

南京大虐殺で重大な責任を負っていたが、戦後は皇族の身分で軍事法廷に出なくて済んだ。

このような非常に敏感な役を、香川さんという日本でもよく知られている俳優が演じたことで、

不快感を示す日本の右翼の人も多い。

『ジョン・ラーベ』は4月2日からドイツ、4月28日からは中国、

11月にはベルギー、フランス、イタリア、スペインでも上映されることになっている。

しかし日本はこの映画に対して沈黙あるいは拒絶の態度をとっていたため、

『ジョン・ラーベ』は日本での上映をあきらめざるを得なかった。

◆日本人役は必ず日本人が演じるべき

『故郷(ふるさと)の香り』と『鬼が来た』などの中国映画に出演したことのある香川さんは、

中国の観客にもよく知られている日本俳優の1人だ。

去年、国内外で多くの賞に輝いた『トウキョウソナタ』にも出演している。

『ジョン・ラーベ』が世界で好評を博した後、日本国内では批判の声が聞かれるようになった。

業界の人たちは、どうしてこの映画に出たのかと香川さんに直接聞くこともあり、

「プレシャーは相当大きかった」という。

「この映画を見て、本当に日本人は残忍なことを多くしたのだということを知りました。

確かにそれを受け入れることは非常に難しい。難しいですが、現代の人たちにこの歴史を語る必要があります。

そういう意味では、私は確かにこのようなテーマの映画が好きです」

ガレンベルガー監督は、朝香宮鳩彦親王役を選ぶ際に多くの日本の俳優と会った。

しかしほとんどの俳優が出演を断り、最終的に引き受けたのが香川さんだ。

「脚本を見た時に、この映画に出るべきだと思いました。

その国際的な視点は現代の観客の反省を促すことができるからです。

多くの人が、日本人としてどうしてこのような日本人を演じることができるのかと言うかもしれませんが、

この役はやはり必ず日本人が演じるべきなのです」

   

この映画についてどう思うか、これだけの情報では難しいです。

歴史上の事件を扱う映画はこういうものなのか。

以前、映画で歴史が勉強できると思って、実行したことがありました。

でも十分気をつけないといけないと思いました。

今までの自分の教え方は良かったのだろうか?一面しか教えていなかったのでは。

ふと、積読(つんどく)してあった本を思い出しました。

その本の名は「映画でまなぶ世界史」(家長知史著/地歴社)。

1995年からの積読。読んでみようかな。

     

次のサイトの映画評も参考になった。

http://yohnishi.at.webry.info/201108/article_12.html

 

2012年4月15日 (日)

「南京の真実」・・・ラーベの心意気

   

今日は4月15日。再スタートから2日目。

前投稿のつづき。久々の投稿なのに、重たい内容が続きます。こんなことも休み中に調べていました。

こんなんじゃ、病気がよくならないよ・・・と言われそう。

今回も「南京の真実」(ジョン・ラーベ著/講談社)より。

   

日本軍が南京に入場して以後の日記を転記してみます。

   

1937年12月13日  ※日本軍が南京入場をした日

(前略)

町を見まわってはじめて被害の大きさがよくわかった。

100から200メートルおきに死体が転がっている。調べてみると、

市民の死体は背中を射たれていた。

多分逃げようとして後ろから射たれたのだろう。

日本軍は10人から20人グループで行進し、略奪を続けた。

それを実際にこの目で見なかったら、とうてい信じられないような光景だった。

彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第盗んだ。

食料が不足していたからだろう。

ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。

(中略)

日本軍につかまらないうちにと、難民を125人、大急ぎで空き家にかくまった。

(※ラーベと同じ会社に勤める中国人アシスタント)は、近所の家から

14歳から15歳の娘が3人さらわれたと言ってきた。

ベイツ(※大学教授)は、安全区の難民たちがわずかばかりの持ち物を奪われたと報告してきた。

日本兵は私の家にも何度もやってきたが、

ハーケンクロイツの腕章を突きつけると出ていった。

アメリカの国旗は尊重されていないようだ。

仲間のソーンの車からアメリカ国旗が盗まれた。 (110~111p)

    

当時の日本は、ドイツと防共協定を結んでいました。

仲間の国でした。そしてラーベはナチ党員だったので、

日本軍にハーケンクロイツを見せたのです。

   

12月18日

最高司令官がくれば治安がよくなるかもしれない。

そんな期待を抱いていたが、残念ながらはずれたようだ。

それどころかますます悪くなっている。

塀を乗り越えてやってきた兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければならない有様だ。

なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、私を見るとすぐにさやにおさめた。

私が家にいるかぎりは、問題はなかった。

やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。

だが、中国人に対してはそうではなかった。

(中略)

危機一髪。日本兵が2人、塀を乗り越えて入りこんでいた。

なかの1人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣をほうり出し、

難民の少女におそいかかっていた。

私はこいつをただちにつまみ出した。

もう1人は、逃げようとして塀をまたいでいたので、

軽く突くだけで用は足りた。 (126-127p)

   

ここには転記するのがはばかれるような状態が、

日記には多く書かれています。

それらの惨状を見てラーベはこんなことを思います。

   

12月24日

(前略)

この1週間、おびただしい数の死体を見なくてはならなかった。

だから、こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。

クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。

いつの日か目撃者として語ることができるように。

これほどの残虐な行為をこのまま闇に葬ってなるものか! (139-140p)     

 

この時のラーベの気持ちはすごく共感できます。

誤訳とか、マイナス情報もありますが、

このラーベの心意気の部分が誤訳でないと信じたい。

南京から逃げようと思えば逃げられたのに、南京にとどまり、

安全区を作って、非戦闘員の難民を助けようとしたラーベの見たことは、

大事にしたいと思う。

戦争が人間を狂わせる現実を。 (まだつづく) 明日の朝、うつことにしよう。

15年ぶりに「南京の真実」読破

   

今日は4月15日。再スタートから2日目。

前投稿に引き続き、南京事件に関する投稿です。

   

                

昨年末から、日中戦争に関するものを目にすることが多く、

いろいろ調べてきました。

特に上海~南京での戦いや出来事に関心があります。

参考までに、年月日を載せます。

1937年 8月13日 上海で、日本軍と中国軍の交戦が始まる。

       8月23日 日本軍上海上陸作戦開始。

              11月12日  日本軍、上海を占領。

              12月13日 南京城陥落。日本軍が南京城内へ入城。

 

たくさん積読(つんどく)してある本の1冊、

南京の真実」(ジョン・ラーベ著/講談社)を読みました。

1998年2月に買った本。15年ぶり。

日中戦争の南京事件を扱った本で、

当時南京にいたドイツ人の視点で、毎日の日記で書かれています。

買ったころはとても話題になっていた本です。

2009年には、この本を原作とする映画が作られています。

ドイツ、中華人民共和国、フランスの合作でした。

しかし、この映画は日本では上映されていません。

日本のどこの映画館も上映を拒否したようです。

とにかく、南京事件はデリケートな事件なのです。

本「南京の真実」も、誤訳がたくさんあると指摘された本のようで、

資料として一級品という人もいれば、フィクションだという人もいる本です。

   

私はぐいぐい引き込まれて読みましたが、誤訳がたくさん!

これにはショックでした。

   

でも印象に残った文章を転記します。

   

1937年11月6日

(中略)

いや、驚いた。新聞によると、中国軍が、強力な日本軍と上海で戦っているという。

ドイツ人の軍事顧問が鍛え上げたえりすぐりの南京部隊が

上海に派遣されていたのだが、すでに三分の二が戦死したらしい。

いくら精鋭部隊といえども、武装が十分でなければどうしようもない。

日本の近代的な軍隊は、巨大な大砲や無数の戦車、爆撃機をそなえている。

中国とはくらべものにならない。  (42p)

   

以前、日本軍に加わっていた人の文章を読みました。

※「上海敵前上陸」(三好捷三著)

※参考:以前の投稿  「上海上陸作戦その1」html

そこでは、日本人も十分な武器も配給されずに苦戦したことが書いてありました。

お互い苦しい戦いを余儀なくさせられていたのでしょう。

   

   

1937年12月10日

不穏な夜だった。きのうの夜8時から明け方の4時ごろまで、

大砲、機関銃、小銃の音がやまなかった。

きのうの朝早く、すんでのところで日本軍に占領されるところだったという話だ。

日本軍は光華門まで迫っていたのだ。

中国側はほとんど無防備だったという。

交代するはずの部隊が現れなかったのに、中隊はいくつか残しただけで、

予定通り持ち場を離れてしまったのだ。

この瞬間に日本軍が現れた。

あわやというところで交代部隊がたどりつき、

かろうじて敵軍を撃退することができたという。

今朝早くわかったのだが、日本軍は昨夜、

給水施設のあたりから揚子江まで迫ってきていたらしい。

遅くとも今夜、南京は日本軍の手に落ちるだろう、だれもがそう思っている。(後略)  (93p)

   

南京で、上海から日本軍が迫ってくる様子を、

ラーベは詳しく書いています。

ラーベは、兵士でない中国人や、外国人が戦いに巻き込まれないように、

南京の中に安全区を設けることに奔走していました。

中国兵が安全区に紛れ込むのを憂い、出ていくように説得しています。

安全区は武装解除していなければ、日本軍は認めないと考えたからです。

(次の投稿につづく)

   

 

 

「百人斬り」は本当にあったことなのか?

   

今日は4月15日。再スタートして2日目。

休み中に書いたメモを手直しして書いています。

     

      

維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ」(小学館)の著者である鈴木明さんの他の著作を調べました。

南京事件について書いた本があり、図書館で借りてきました。

読んだのは2冊。

『南京大虐殺』のまぼろし」(文藝春秋)

新『南京大虐殺』のまぼろし」(飛鳥新社)

この2冊の内容の中で、「百人斬り」に注目しました。

「百人斬り」とは?

   

日中戦争で、上海から南京に日本軍が攻めた時に、

2人の日本軍将校がどちらが先に100人を切り殺せるか競争したという事件です。

私は、今から30年ほど前に、本多勝一著「中国の旅」(朝日文庫)を読んでこの事件を知り、

それ以後、この事件は実際にあったことなんだとず~と思っていました。

  

しかし、2冊の鈴木明さんの本は、百人斬りはなかったことであり、

その事件の責任をとって処刑された2人の将校は無実だという説でした。

これはショックでした。

信じていたことが揺らいだし、

社会科の授業で「百人斬り」の話をしてきたぞと思い出したからです。

ああ、怖い怖い。

ちゃんと勉強して、

未確定なことは未確定であることを言わないといけないなあ。

   

積読してあった本「維新前夜」を読んだことから、

予想外な勉強ができました。

「維新前夜」・・・著者は鈴木明さん

 

今日は4月15日。再スタート2日目。

晩に長野県から帰りました。

親戚のおばあさんが89歳で亡くなり、納棺・通夜・火葬・葬儀に出席してきました。

所変われば品変わる。肩に紐をかけて、親戚みんなで協力する納棺は、初めてでした。

    

  

話変わって、病気で休んでから読んだ1冊目の本のこと。

EPSON084

1864年2月28日。江戸時代。スフィンクスの前で武士の集団が記念撮影。

この写真に誘われて買った本がありました。

「維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ」(鈴木明著/小学館)

買ったのはずっと昔。

1989年11月10日と本にメモが書いてありました。

今は2012年。20年以上の月日が流れました。

今まで積読(つんどく)してあった本を、やっと読みました。

面白い本でした。

作者の鈴木明さんについて調べたら、

1929年生まれで2003年7月22日に亡くなられていました。

間に合わなかった!そんな気持ちになりました。

面白い本をありがとうございます。今頃読んですみません。

   

鈴木明さんに興味を持ち、その他の著作を調べました。

南京大虐殺に関する本があることを知って、さっそく図書館で借りてきました。

少し前に、上海上陸作戦について調べていました。

上海に上陸した日本軍が攻めたのが南京でした。

南京で本当はどんなことがあったのか?

鈴木明さんの本で迫ってみたいと思っています。   (次の投稿につづく)

 

 

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