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今日は3月26日。
先日「パンダの日」にちなんで少しパンダのことを書きました。
今日、ほぼ2年前に放送された「世界ふしぎ発見!大熊猫 世界を変えたパンダ物語」(2009.1.31放映)を見ました。
勉強になったことを箇条書きで。
・パンダは800万年前からいた動物だと考えられている。
・マンモスなどが絶滅した氷河期も生きのびた。
・もともと肉食だったパンダは、氷河期でも育つ竹を食べるようになったため生きのびた。
・白黒模様も、氷河期の保護色という説が有力。
・肉食の名残りで、腸が短いので、消化が悪い。
・なので、竹を毎日20㎏も食べる。
・竹を常につかむために、指が6本ある。
・固い竹を食べるためにパンダは下あごが発達。
・したがって同じ仲間の熊よりも顔が丸っこい。
・中国に生息するパンダが世界に広がったきっかけは、1869年のこと。
・フランス人宣教師がパンダの毛皮を発見したため。
(これが3月11日であって、そこから「パンダの日」が生まれました)
・パンダの毛皮を手に入れるために、欧米からたくさんのハンターが中国に。
・20世紀になった頃には、パンダ絶滅の危機に。
・そんな事態を変えることになったのが、アメリカ人ルース・ハークネスという女性の行動。
・彼女は中国の山中でパンダを探しだし、生きたままアメリカに連れて帰る。
・これは彼女の亡き夫がやろうとしたことであった。
・アメリカではパンダブームが起こる。
・パンダのかわいらしさと、絶滅の危機に瀕していることが知られることに。
・パンダ狩りの熱は冷め、動物愛護の気持ちが育ってくる。
・WWF(世界自然保護基金)のマークにパンダが使われている。その理由は?
・WWF設立の1961年、ロンドン動物園にパンダの子が来ていた。
・WWF創立者の一人イギリスピーター・スコット卿が、
パンダが愛くるしくて、自然保護のシンボルになるとしてロゴマークに選んだ。
・中国もパンダの保護に力を入れることに。
・1963年、パンダの生息する臥龍(四川省)を保護区に指定する。
・中国は友好のしるしとして、他の国にパンダを贈ることをする。
・日本には1972年に、カンカン、ランランが贈られて大ブームになる。
・中国ではパンダのことを「大熊猫」と書いて「ダーシュンマオ」と言う。
以上。肉食だったパンダが、なぜ竹を食べるようになったか疑問でしたが、
氷河期生き延び説は、なるほどと思いました。
今日は3月26日。
日めくりより。今日は2枚紹介。
なるほどね。
焼肉ではないけど、今度いつもの焼き鳥屋に行ったら、この知識の踏まえて、
「塩でお願いします」と言おう。
これは面白い話です。
こうなるとジョン・オルコットとアーサーブラウンについて調べたくなります。
※http://www.moonage.info/entertainer/lovers/alcoch&brown.html
しかし、脱線。
ブログ「送信完了」に行きついて、
1931年に世界で2番目に「大西洋単独横断飛行」をしたバート・ヒンクラーという飛行士を知りました。
バート・ヒンクラーは、オーストラリア人。
彼の最大の功績は、1928年に「世界ではじめて英国~豪州間を単独横断飛行した」こと。
数々の飛行記録を打ち立てたオーストラリアの航空のパイオニア。
1933年にイタリアのトスカーナ山中で墜落事故死した際、ムッソリーニの指示でイタリアで国葬される。
当時有名で英雄であったことがうかがい知れます。
「送信完了」ではヒンクリーの遺品にまつわるお話を紹介しています。
この記事からの引用。詳しくは上記サイトを見てください。
さて時は流れて1970年代。
ヒンクラーの生家を買い取っていた人が改築のためガラクタの山を片づけていたら、
なんと60年前にヒンクラーが自作したグライダーの断片が出てきた。
これを地元の飛行クラブが譲り受けてレプリカを製作するのだが、
大事なのはその後である。
1986年初頭、前年のシャトルミッションに搭乗したアメリカの宇宙飛行士ドン・リンドが、
バンダバーグを訪れて子供相手の特別授業を行った。
彼はその際、地元民から「航空史上のパイオニアのよしみとして、
これを宇宙に持っていってほしい」と、ヒンクラーのグライダーのパーツを渡される。
帰国したリンドは、シャトルミッションを間近に控えた同僚の宇宙飛行士ディック・スコビーに
このパーツを託す。
打ち上げ当日、オービターに乗り込んだスコビーは、
ビニール袋に入れたパーツを棚にしまった。
時は1986年1月28日、ミッションナンバーはSTS-51-L、
オービターの名は〈チャレンジャー〉。
打ち上げから73秒後――オービターOV-099は宇宙飛行士7名を乗せたまま、
空中分解した。世にいう、チャレンジャー爆発事故である。
残骸は大西洋上に散乱し、すべての回収には数ヶ月を要した。
そんなある日、引揚げ作業に従事していたダイバーの一人が、
波間に漂うビニール袋を見つける。
中には、無傷の小さな木片が入っていた。
チャレンジャー爆発については以前いろいろ調べたことがあります。
その事故とつながったこともあって、興味深い話です。