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2025年2月20日 (木)

20250211本城山登山⑦ マンホールのデザインが判明

    

今日は令和7年2月20日。

  

2月15日の記事の続きで、

2月11日の登山のことを書いていきます。

ついにこれがラスト。

  

前々回、白滝のことを書きました。

そこで撮った写真を2枚、捨てるには惜しいので、

ここに載せます。

  

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滝の落下部分付近で撮ったもの。

樹木の葉っぱが白く縁取られていました。

きれいだと思って撮ったもの。

  

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滝の落下部分に降りていく道。

わかりにくいですよね。

ロープがあります。

ロープに沿って下ります。

下りたことで、いい景色を見ることができました。

  

本城山を下山。

すぐのところに、井戸跡、石垣跡がありました。

こんな長城直下に井戸があるんだと驚きました。

石垣跡は雪のために不明。

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下山で撮った写真。

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中央付近に、アイスクリームのように、

丸く雪が載った木がありました。

  

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下山時には、頂上で知り合った方が、

私たちのグループと行動を共にしました。

私よりちょうど10歳下の昭和46年生まれ。

登山を始めて3ヶ月。

足の靭帯を伸ばして、お医者さんに行ったら、

周りの筋肉を鍛えることで、痛みは改善されると言われたそうです。

登山も筋肉を鍛えるための一つの手段。

左膝にサポーターを巻いていましたが、

下山時には、膝が痛むそうです。

膝が痛いのは、下山時にきついだろうな。

  

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右の幟。よじれていて「神棚に今日も・・・」続きが気になりました。

捩(よじ)れを直して撮影。

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「神棚に 今日も家族の ありがとう」

私も毎朝神棚にお水をあげて拝んでいますが、

いつも「今日も家族がみんな頑張れますように」と

お願いばかり。

こうやって感謝の気持ちが大事なんだよなと思いました。  

  

「村社白山神社」の名前が気になりました。

「村社」?

コトバンク 村社

このサイトには次のように書いてありました。

 

村の鎮守社など、各地に鎮座する小規模な神社。また、神社の旧社格

の一つで、郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上に位する。

  

「鎮守様」といった感じでした。

「社格」

社格を調べました。

「葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会」

このサイトのスクリーンショットです。

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戦後、社格制度は廃止されましたが、

本城山麓の神社には残っていました。

  

この神社からは舗装道路を歩きました。

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砂防ダムに木材が貼り付けてありました。

なぜ?

「清流の国ぎふ」づくり自然共生写真コンテスト

ここに同じ構造の写真がありました。

Img_0602

写真コンテストの佳作に選ばれた写真です。

添えられた文章を転載します。

  

入賞者

伊尻 正博

土砂災害防止のため、自然環境に配慮し地域の文化や生態系等の特性

を活かし、間伐材を残存型枠として施工した砂防えん堤で丸太がとこ

ろどころ腐り、そこに在来の草が創出し、自然との共生を見ることが

出来ます。

  

同じ岐阜県の話。

間伐材を利用して、自然との共生をPRしたものなのですね。

確かに、私たちが見た砂防ダムも、なかなかよかったです。

  

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葉の長い松。

ダイオウマツ(大王松)。

昔見たぞ。

ここでも道草 20180203観音山報告その1/大王松かな?/花図鑑リニューアル(2018年2月12日投稿)

7年前に、今回と同じメンバーでの登山で

教えてもらっていました。

今回も、すっかり忘れていて、同行者に教えてもらいました。

覚えなくてはな。

英語名も、再び書きます。

longleaf pine(長い葉のマツ)。北アメリカ東南部が原産地。

  

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焼却炉。

ダイオキシン騒動ですっかりなくなった小型焼却炉。

宇宙を連想する形です。

  

Img_0121  

マンホール。

このデザインの意味が、撮影時には解けませんでした。

どっちが上なのかもわからず、とりあえず撮影して、

後に解き明かそうと思っていました。

それが今日。

ふた旅ランド のんびりマンホールカード集め

このサイトの、マンホールのカラー版を見てわかりました。

Img_0605

クリックして、拡大してみてください。

刀剣と鵜飼のデザインでした。

カラーだとよくわかります。

そしてこのカラー版を見た後だと、

写真に撮ったマンホールのデザインも判別できます。

そうですよね、関の刃物は有名です。

  

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中央に見えるのは大仏山。

車が止まって、呼び止められました。

「登山どうでしたか?困ったことなかったですか?」

今日登った付近の山を管理しているグループの人のようでした。

こうやって地元の里山を大切にしている方がいるんだよな。

どの山にも。

この人たちのおかげで、この日もいい登山ができました。

  

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案内の棒には「関市指定文化財 円空作仏像」とあります。

円空が美濃の出身だったので、この地区にもたくさんの

円空作の仏像があるそうです。

この中にはどんな仏像があるのだろう。

  

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この橋を渡って、左に曲がり、しばらくして右に曲がって急登。

登り切って下ると、高澤観音でした。

駐車場に戻ったのは12時50分。

ほぼ4時間30分ほど山の中を歩きました。
  









  

2024年3月17日 (日)

TBS報道特集「安楽死」/スイスで安楽死をした日本人女性

   

今日は令和6年3月17日。

  

昨日のTBS局の番組「報道特集」で、

安楽死が取り上げられました。

安楽死が取り上げられたきっかけは、

ALS患者の女性の依頼を受けて、

医者が薬物を投与して殺害した裁判の判決が出たことです。

医師は、18年の懲役を言い渡されました。

  

番組では、安楽死に賛成で、自ら外国のスイスで安楽死をした

日本人女性のことを紹介していました。

日本では安楽死が認められていないので、

外国での安楽死を望んだのです。

彼女は若い時から海外に出て、

積極的な活動をされていたようです。

しかし、50代でパーキンソン病を発症。

婚約をしていたフランス人男性とは婚約破談。

その後、両親を看取り、1人で生きていくのが

難しいということで、安楽死を選択しました。

  

パーキンソン病の苦しみがわかっていないので、

簡単なことは言えませんが、

1人で生きていくのがたいへんなら、

福祉に頼ればいいのにと思ってしまいます。

他の人たちの助けを借りて生きていくべきであり、

まだそのような仕組みができていないなら、

福祉の充実を進めるべきだと思います。

  

ただその女性は安楽死を実行します。

64歳でした。

  

安楽死の直前に、記者が女性に安楽死について聞いています。

Yahoo!ニュース 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

このサイトから引用します。女性の名前は迎田良子さん。

  

迎田良子さん(64)

「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が

合法化されることを願っています」

パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だ。

ただ、それ自体で死に至る病ではない。

迎田良子さん(64)

Q.安楽死が仮に認められていなかったら?

「辛くて身体が痛みが続きますから、だんだん動けなくなってくるの

で、首を吊って死んだかもしれない」

(中略)

迎田良子さん(64)

「不快さ、体の痛みを代わってくれるわけではないので、進行性の難

病なので、私はもう安楽死を選びますね」 

(中略)

迎田良子さん(64)

「私って用意周到なのよ。ああいう家庭に育ったから。人に甘えると

いうのが下手くそなのかもね」

準備が進む中、あらためて安楽死を思いとどまることができないか尋

ねた。

迎田良子さん(64)

Q.今すぐに死が迫っているわけではないですよね。まだまだ生きられ

ると思うんです 「生きられるけど、何が嫌なのかというと、痛みなん

じゃないですか。痛みと不快感」

  

迎田さんの生い立ちは、両親と兄の4人家族。

両親は不仲で、母親が自宅に連れ込んだ交際相手に、暴力を振るわれ

るなどしたため、迎田さんは小学生の頃から、早く家を出て自立する

ことを夢見ていたそうです。

そして希望通りに、海外に出て活躍しました。

親に頼ることができなかったのは、甘える体験不足かもしれませんね。

福祉の力を借りて、生き延びる手を選べない理由かもしれません。

  

迎田良子さん(64)

Q.難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけど、

安楽死した方がいいのかな」と思ってしまう人が出ると思うがどうで

すか?

「難病だから誰でも(安楽死をして)いいというものではないですよ

ね。病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」

「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死

があるってことだから。そこのジャッジをね、しっかりしないと」

  

迎田さんは、難病の痛みを安楽死の理由にしていましたが、

じゃあ、他の人も安楽死の道を選ぶべきとは言っていません。

安楽死はどのような時に許されるのか。

迎田さんも明確な答えを持っているわけではなさそうです。

そうでしょうね。

安楽死について考える時に、迎田さんの発言は大事と思い、

ここに記録しておきました。

  

  

安楽死に反対する側として、ALS患者が声をあげていました。

次の記事で。

  

  

昨日の「報道特集」ですが、

安楽死に関する部分はYouTubeで早くも見ることができました。

関心のある方は、見てみてください。


YouTube: 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

2010年8月 2日 (月)

川中島古戦場/福島新田/阿弥陀堂

今日は8月2日。

今から書くのは、7月27日のこと。

この日は長野県へ。松代象山地下壕に出かけたのはこの日。

※7月29日投稿「松代象山地下壕見学」

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/07/%E6%9D%BE%E4%BB%A3%E8%B1%A1%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E5%A3%95%E8%A6%8B%E5%AD%A6.html

    

その後のこと。

まずは、20年ほど前に一度行っている川中島古戦場を再訪しました。

有名な信玄と謙信一騎打ちの像を見てきました。

RIMG0128武田信玄 RIMG0129上杉謙信
  

   

この像は、昭和44年放映の大河ドラマ「天と地と」を記念して建立されたものだそうです。

私にとって記憶にある最も古い大河ドラマが「天と地と」です。

     

    

古戦場を後に、次に向かったのが飯山市の福島新田。

日本棚田百選に選ばれた棚田。

RIMG0167棚田1 RIMG0168棚田2 RIMG0174赤とんぼ

 

一時荒廃していた棚田を、10年ほど前に復活させたもの。

こういう風景は落ち着くなあ。

※参考:「日本の棚田百選 福島新田」http://www.pref.nagano.jp/xtihou/hokusin/nochi/fuku/fuku.htm


   

この場所は、映画「阿弥陀堂だより」(2002年)のロケ地であって、

おうめばあさんが住んでいた阿弥陀堂が保存されていると聞いて、

ぜひ見たいと思っていました。

 NP20025amidadoudayori
 

福島新田を見ながら少々登ったところに阿弥陀堂はありました。

記憶に残っていた通りの建物でした。

ただ阿弥陀堂からの景色は、

もっと下界を一望できるようなものだったというイメージでしたが、

それほどでもありませんでした。

ここに北林谷栄さん演じるおばあさんが住み、

寺尾聰さんや樋口可南子、小西真奈美さんらが訪れます。

この場所で演じていたんだあ。

のんびり縁にすわり緑を眺めているのもいいなあ。

映画では、樋口可南子が演じる女性が、

このような環境の中で心の病を癒していきました。

ちょうど映画が上映された頃は、私自身も心の病と闘っていた頃で、

映画を見て救われた気分になったことを覚えています。

それでは写真を掲載します。

RIMG0137阿弥陀堂1 RIMG0142阿弥陀堂2

  

RIMG0143阿弥陀堂③ RIMG0144阿弥陀堂4
  

RIMG0147阿弥陀堂5 RIMG0165阿弥陀堂6

写真に写っている人たちは、

私たちの後に訪れた人たちです。

      

また映画「阿弥陀堂だより」を見てみたいね。