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2019年12月13日 (金)

2019年冬長野(13)12月3日のボランティア体験

今日は令和元年12月13日。

  

昨日の記事に引き続き、12月3日のことを書いていきます。

  

ボランティア活動1日目。5人のメンバーが決まりました。

リーダーは、京都から日帰りの女性。

タイムキーパーは、ボランティア経験豊富な足山田の男性。

飯田から来たものしずかな若者。

山好き、そして冬はスキー好きの男性。

そして私。

 

簡単に自己紹介の後、装備チェック。

「長ぐつの中にインソールが入っているか」と尋ねられました。

現場では、くぎを踏んでしまうことがあるため、

丈夫なインソールを敷く必要があるそうです。

入ったいない。

それなら借りるといいということで、センターで貸してもらい

長ぐつの下に敷く。

こういうことからも、現場のたいへんさが予想されました。

山好きの人も敷いていないということで、

借りていました。

5人の中では2人がボランティア未体験者。

 

センターから被災地に出発するバスに乗り込みました。

行き先は「津野」だと言われました。

初めて聞いた地名であり、どのあたりか皆目わかりませんでした。

  

10分ほどでバスは到着。

ここからサテライトセンターまで徒歩8分。

私はここで初めて被災地を見ました。

背丈以上の水が流れたのでしょう。

1階部分が壊滅した家がいくつかあり、

柱だけで立っている家がありました。

土台ごと40メートルほど流されて、

それでも立っている家がありました。

倉庫の1階部分がつぶれ、2階部分が下まで落ちていました。 

一見して、決壊した川が運んだと思われる土が多く、

当たりの風景は、基本濃い茶色が多かったです。

前日の12月2日は大雨だったので、より濃い土の色でした。

  

サテライトセンターに5人で向かい、そこで道具を借りました、

スコップは山のようにありました。

スコップと一輪車を借りて、係の人の後に付いて、

現場に向かいました。

  

今日の仕事は、Aさんのお宅の裏庭の土の運び出しでした。

Aさんの裏庭には、コンクリートの塀があったようですが、

家と塀の間に濁流と土砂が押し寄せ、

塀がこわれてしまったそうです。

その塀は、先日松商学園高校の生徒たちが、

とりのぞいてくれたけど、土砂は残されたとのこと。

その土砂・・・雨で湿っていたため泥土を運び出すことが

私たちの仕事となりました。

  

いよいよボランティア活動が現実となりました。

「さあやるぞ」とやる気一杯で、スコップで泥土を一輪車に

いれました。泥土を持って行く場所は、Aさんの畑です。

すでにたくさんの泥土が畑に山となってありました。

家の周りの土はこうやって片付いても、今度は畑にたまった

土はどうするのだろう。重機でならしてもらうのか。

それもまた大仕事だなと、そう思いつつ、泥土を運びました。

 

川の水がどこまで泥土を運んできているか考えながら

掘っていきました。

植木鉢とかが出てくると、きっともともと置いてあったものだから、

ここまでだなと思います。

泥土はやわらかいけど、もともとの地面は固いと予想されるので、

スコップの土に触れる感触でも見当をつけました。

もちろん、Aさんにもおよその高さを聞きました。

  

畑までは50メートルくらいあって、

泥土をたくさん入れた一輪車はフラフラでした。

特に畑内は轍ができていてハンドルがとられたり、

進行方向に垂直な溝は、一輪車の写真がはまってしまって

動けなくなってしまいます。

そのような時には、廃材の板を轍や溝に載せてしのぎました。

 

「北部は重たい仕事」というのを痛感しました。

足山田の人が知恵を紹介してくれました。

一輪車の左右の持つところに、タオルの両端を巻いて、

上から手でしっかり握ります。

タオルがピンッと張るようにします。

そうするとタオルが腰部分に当たり推進力が出るというのです。

やってみたところ良好でした。

  

重たい仕事が多いので、20分ごとに休憩を取ろうと

提案されました。確かにそれがいいです。

 

厚手のビニール手袋が役立ちました。

最初は軍手のつもりでしたが、経験のある息子から、

「これを貸してあげる」と貸してくれた手袋がよかったです。

泥土を扱うので、軍手では沁みて大変だったでしょう。

   

泥土の中から、1万円札がでてきたときには、大騒ぎしました。

もちろんAさんに渡しました。

  

仕事時間は午前10時くらいから始めて12時までやって

昼ご飯でした。

家の表の庭で食べました。

お湯が沸かされていて、お茶を飲んでくださいと勧められました。

Aさんは、奥さんでした。

ニコニコして、今日はありがとうございますと声をかけてくれました。

その明るさに救われました。

  

 

洪水の時には、庭で飼っていた烏骨鶏の親、

3羽のうち2羽が死んでしまい、1羽が生き残ったけど、

水害のショックのせいか、卵を産まなくなってしまったそうです。

8羽いたひなは、飼っていた籠ごと流されてしまったけど、

流れた先で奇跡的に生きていたそうです。

1羽の親鳥と8羽のひなは、現在は近くの小学校で

飼ってもらっているそうです。

  

  

休憩中に、遠くの山に雪が降っているように見えました。

山好きのメンバーが、「あれは苗場方面」だと教えてくれました。

Aさんが、「山に3回雪が降ると、里に下りて来る」という言葉を

教えてくれました。

雪が降る前に、少しでも片づけたいとも言っていました。

  

 

午後の仕事は午後1時から2時半です。

重労働なのでちょうどいい時間ですが、

ここで仕事の内容を相談して変えました。

泥土を掻き出す範囲をもう増やさずに、

今日やった範囲の中を丁寧にきれいにしようという方針です。

足山田の男性の提案ですが、とてもいいと思いました。

泥土の積もった範囲は広いです。

時間内に全て片付けるのは無理なことです。

なので、今までやった範囲は、とにかく薄皮をはぐように

きれいに泥土をはがし、土の中から出てきたコンクリや

植木鉢の破片などは分別して捨てる作業です。

 

こうすることで、どこまで作業が進んだのかが明確になり、

次の日に他のボランティアが来た時に、どこからやればいいか

明確になります。

Aさんにも、今日のボランティアがどこをやってくれたかが

わかって、報告しやすいです。

なにより!私たちが「今日はここをやった」と目に見えてわかるので、

達成感がありました。

  

  

作業終了。Aさんに喜んでもらい、ホッとしてサテライトセンターに

戻りました。

やっぱり、午前10時~午後2時半でできたことは

微々たるものだと思いました。

この微々たるものを毎日積み重ねていくしかないのだなと実感です。

  

現場で使った道具の水洗い。長ぐつの水洗い。

長ぐつについた泥土は、なかなかしつこかったです。

水圧で落としたと思ったけど、ふと見ると落ちていない。

泥土の中で何度も踏ん張って仕事をしたので、

泥土はしっかりはりついていたようです。

 

手洗い。うがいもしました。

何が落ちているか、舞っているかわからない被災地です。

これも必要なことと思いました。

  

 

津野のバス停からバスに乗った時の会話で、

今日の被災地は、堤防が決壊したすぐ近くだったことを

教えてもらいました。

そうだったんだ。

だからあの惨状だったんだと思いました。

 

  

行きと同じルートで戻りました。

柳原総合市民センターにもどり、

長野運動公園東側駐車場まで今日のメンバー5人で移動。

駐車場で別れました。いい出会いでした。

平日に同じ時間の使い方をしたメンバーとの別れは淋しかったですね。

  

山好きの人が、12月5日に登るといい山を紹介してくれました。

小淵沢の日向山です。

景色がよく、登山道がふかふかしていて、心が温かくなる山だよと。

実際に12月5日には登りました。

  

 

つづく

 

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