2024年3月14日 (木)

ダウンヒルの様子をドローンで追いかけて撮影

   

今日は令和6年3月14日。

  

テレビ番組はあまり最近は見ませんが、録画はしています。

見ていない録画番組が積もっていきます。

  

ささやかに1本見ました。

1月18日放映の「楽しく学ぶ!世界動画ニュース 2時間SP」です。

2024年チャレンジSPということで、合計70本の動画を見ました。

その中の1本。

写真で紹介。

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ダウンヒルという競技があるのですね。

この映像は、世界一難しいイギリスのダウンヒルコース。

写真のように転倒者も出ます。

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そのダウンヒルをやっている競技者を、

ドローンで追いかけて撮影するという挑戦の動画。

 

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これがスタート地点。

  

  

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森の中の映像が迫力があって良かったです。

でも森の中、木々の中をドローンを飛ばすのは、

きっと高度な操縦技術がないとできないのでしょう。

  

いつかこの映像を見せたい時に、

いつの「楽しく学ぶ!世界動画ニュース」だったかわかるように

ここに記事にしました。

修了式までに咲いてほしいアーモンドの花

   

今日は令和6年3月14日。

  

前記事の続きです。

先日、アーモンドの花について書きました。

ここでも道草 3月4日 勤務校のアーモンドの木の冬芽撮影(2024年3月5日投稿)

  

サクラよりも開花が早いアーモンドなら、

修了式までに開花して、

冬芽から開花までを子どもたちと観察できると思っていました。

3月4日の撮影以後、勤務した日は必ず撮影して、

プリントして、ラミネートして、教室の廊下に掲示しています。

しかし、気がつけば、修了式の日が迫ってきました。

3月22日(金)です。

あと1週間!

  

昨日のアーモンドの冬芽の写真を並べます。

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頼む!咲いてください。

今年の卒業式には、サクラの花は咲きません

   

今日は令和6年3月14日。

  

勤務校の卒業式は3月19日です。

次の日が春分の日。祝日です。

思い出します。

卒業式があった晩は、

旅館などに泊まりがけの宴が行われます。

しっかり食べて、しっかり飲んで、宿泊。

翌日、朝食を食べて帰路につきます。

小学校勤務の時には、この流れでしたね。

  

勤務校の職員室から出たところの置物が、

3月に入って変わりました。

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これを撮影したのが3月5日でした。

  

そして次の写真が、今週の月曜日です。

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心を和ませてくれる置物です。

    

冬が暖かくなって、サクラの開花が早まって、

入学式よりも卒業式に咲くようになってきたと言われます。

しかし、この10日間ほどの寒さで、

サクラの開花は遅れていると思います。

今年は卒業式には咲きませんね。

  

近所のサクラの冬芽を毎日撮影していますが、

冬芽がなかなかほころびません。

  

3月3日の撮影です。

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今日の撮影です。

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あまり変わっていませんよね。

  

町内会のお花見が3月26日に予定されています。

それまでに咲いて欲しいなあ。

  

咲いて欲しいと言えば、アーモンドの花です。

次の記事で書きます。

2024年3月13日 (水)

3月13日 青函トンネル開通 サンドイッチデー/関門海峡も

     

今日は令和6年3月13日。

   

日本列島といえば、4つの比較的大きな島と

その周辺にある3700程の島で構成されています。

4つの島は、本州、北海道、四国、九州です。

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Wikipedia 日本列島
  

今日の社会科は、4つの大きな島が、

どのように結びついているのか

今日の社会科で教えたいと思います。

  

本州と九州。

地図で確かめたい。

ここには関門橋があります。

1973年にできました。

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北九州市観光情報サイト

これは自動車が走れる橋です。

  

鉄道は、関門鉄道トンネル。

これは世界で初めての(      )トンネルでした。

  

1944年、つまり戦時下に完成したトンネルでした。

世界で初めての海底トンネルでした。

  

人間が歩いて、関門海峡を渡ることができます。

1958年にできた関門トンネル人道です。

これは昔、使いました。

九州から本州に自転車で行く時に使いました。

自転車とかバイクは乗ったままはダメでした。

自転車はいいのですが、バイクは引っ張っている人は

大変そうでした。

紹介動画。

これなんかどうでしょう。


YouTube: 関門人道トンネルで福岡と山口をまたぐ


関門海峡は海の流れが急です。

そしてフグが有名です。

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そんなことから、こんなPR動画ができたようです。


YouTube: 関門海峡PRムービー「 COME ON!関門!」

  

  

話は北海道と本州。

ここは昔、青函連絡船が繋いでいました。

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青函連絡船の船たち

フェリーと呼ばれる船でした。

車に乗ったまま入ることができる船でした。

就職浪人中に北海道徒歩旅行をしました。

その時に、北海道を2往復したので、4回乗りましたね。

  

そして青函トンネルができました。


YouTube: 【朝日新聞×HTB 北海道150年 あなたと選ぶ重大ニュース】青函トンネル開通 一方で青函連絡船終了


1988年の3月13日のことでした。

つまり36年前の今日でした。

私は青函トンネルができてから、まだ北海道に行っていません。

したがって、まだこのトンネルを使っていません。

いつか通りたいと思っています。

  

青函トンネルは長らく世界一長いトンネルでしたが、

2010年に新しくできたトンネルに抜かれます。

アルプス山脈の下を通るゴッタルドベーストンネルです。

これについては、以前記事にしました。

ここでも道草 青函トンネルとゴッタルドベーストンネルのこと(2019年3月13日投稿) 

5年前の3月13日の記事でした。

  

四国と本州については、今日はできませんね。

時間が足りません。

  

 

ちなみに、3月13日はサンドイッチデーでもあります。

今日は何の日 毎日が記念日 3月13日

ここに次のように書いてあります。

  

1が3で挟まれている(サンド1=サンドイッチ)ことから。

この日とは別に、サンドウィッチの生みの親とされるイギリスのサンド

ウィッチ伯爵の誕生日・11月3日が「サンドウィッチの日」となってい

る。

  

このこじつけが楽しい。

  


  

2024年3月12日 (火)

10年前の場所にツクシ発見/胞子を観察してみたいです

   

今日は令和6年3月12日。

  

勤務を終えての帰り道。

午前中に考えたことを実行しました。

通勤路(帰路)に、今でもツクシがあるかどうか

確認することです。

10年ぶりです。

  

ありました!

もう出ていました。

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接眼レンズを使っても、撮影してみました。

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子どもたちは、ツクシを知りませんでした。

写真を見せたら、見たことがあるという子はいました。

食べた体験をした子はいませんでした。

  

ツクシも、昔に比べたら、身近ではなくなったのでしょうか。

子どもの頃に、ツクシを喜んでたくさん摘んできて、

母親に食べようと提案。

でもハカマはぎを手伝わされました。

そして料理してもらいましたが、

山ほどあったツクシが、嘘でしょう!と思うほど

量が少なくなっていたのがショックでした。

食べ方は佃煮でした。

茹でたり、煮たりして、小さくなっちゃうんですよね。

そんな思い出があります。

  

こんな動画がありました。

静岡科学館る・く・るの動画。

ツクシはシダ植物のスギナから生じる

胞子茎の別名です。

ツクシの先端から、胞子が出てくるのがわかります。

屋外の風があるところでは、

胞子は風に吹き飛ばされてこんなふうには見えません。


YouTube: つくし誰の子、スギナの子♪

  

昔、同僚の理科の先生に、ツクシの胞子を使った遊びを

教えてもらいました。

胞子を採取して、顕微鏡で見ます。

胞子は緑色をしていて、長い足が何本か生えています。

そこに息を吹きかけると、面白いことに、

胞子は足をくるくると体に巻いて、小さくなるのです。

そして、またしばらくすると、足が伸びてきます。

この面白い動き、映像があるはずと思って調べました。

すぐに見つかりました。


YouTube: つくし

写真です。

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息を吹きかけると・・・・

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しばらくすると・・・

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胞子のアップ写真を載せます。

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美しい!

  

こんな美しい胞子を見てみたいなあ。

この動画、いいですよ。

これからの季節だからできること。

やってみたいですね。









  

  

今年度最後の図工/「ツクシ」の掲示物を作ってみます

   

今日は令和6年3月12日。

  

今日は今年度最後の図工の授業があります。

何をやるか。

図工人のツクシ(土筆/つくし)の掲示物を作ろうと予定しています。

子どもたちは、ツクシを知っているだろうか。

ツクシを摘んだことがあるだろうか。

そしてツクシを食べたことがあるだろうか。

もし未体験なら、この作品を作ったのがきっかけで、

ツクシに興味を持ち、見てみよう、やってみようという気に

なって欲しいです。

ここで作り方がわかります。

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図工人 色画用紙と型紙で作る3月の壁面飾り「つくし」

動画もあります。


YouTube: 3月の壁面装飾「つくし」-紙で作るかわいい春の掲示物

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この3本のツクシセットを、頑張って3セット作りたいですね。

子どもたちに、型紙を切らせたいです。

カッターとかハサミを使う練習ですね。

組み立ては自分がやります。

今日は1時間しかないので、子どもたちにやってもらうことは

無理でしょう。切るのを頑張ってもらいます。

型紙は、HPからも動画からもダウンロードできます。

図工人、ありがたいサイトです。

  

勤務校の校区には、ツクシが出るところがあります。

昔の通勤路の傍に、毎年ツクシが出ていました。

実は今の通勤路(帰路のみ)でもあります。

ここでも道草 H26 3月の花々2/スギナ(ツクシ)(2014年3月17日投稿)

この記事に載せた10年前の現場写真です。

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おそらく今もあるんじゃないかな。

今日、さっそく観察に行きます。

明日からしばらく暖かくなりそうなので、

ツクシもニョキニョキ出てくるのでは。

観察しているサクラやアーモンドの冬芽も、

ほころぶことでしょう。

  

ツクシといえば、こうやって食べていました。

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マカロニ つくし料理のレシピ10選。はかまの取り方や下ゆで法も紹介

他にもいろいろな食べ方があるようです。

上記サイトを見てください。

  

今日は早めの出勤。

5時間授業なので、3時間目から参加します。

本「ニホンザルの生態」/サルの代表的な鳴き声について

   

今日は令和6年3月12日。

  

以前、山に行った時に、サルを見かけました。

そのサルが鳴いていましたが、イメージをする

鳴き声ではなかったので、録画しました。

その動画は、この記事に載せました。

ここでも道草 20240212御在所岳登山 猿が鳴いていた(2024年2月13日投稿)

  

サルの鳴き声といえば「キー、キー」「キャー、キャー」

「キャッ、キャッ」です。

でも録画した鳴き声は違いました。

あの鳴き声は、どんな意味だったのだろう。

  

この本を手に入れて、調べてみました。

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amazon

「ニホンザルの生態」(河合雅雄著/講談社学術文庫)

  

結論を言うと、この本では、鳴き声がどんな意味だったか

わかりませんでした。

でも面白い文章があったので、ここに持ってきます。

  

サルは「キャッ、キャッ」となくということになっている。これは

サルの悲鳴の声だ。動物にはそれぞれ代表する擬音があたえられて

いる。ニワトリは時の声、ネコは警戒音や甘え声というふうに、も

っともらしい声が選ばれている中で、サルはいちばん損をしている。

動物の中で悲鳴が代表的な声に選ばれているのは、サルだけではな

いだろうか。

人がサルを見るのは、檻の中など、サルが悲鳴をあげる状態のとき

が多いからだろう。「サルのように醜く歯をむきだす」とか、「サ

ルのようにしわだらけ」といったことばも、サルが悲鳴を発する状

況下の表情である。山のサルはけっしてこんなあさはかな声や顔を

しているのではない。

(355p)

  

まさに山のサルに出合いましたが、表情はのんびりしていて、

あさはかな声ではありませんでした。

茂みからよくきこえる、「フウー、ウー」という声は、まるく柔ら

かで、落ち着いた声だ。「グウ」という、太くてのどかな声、森を

つんざく「クヮン」という突きあげるように激しく鋭い声など、サ

ルを代表する声はいくらもある。「キャッ、キャッ」なんていうの

は下の下である。ニホンザルの代表的音声としては、迫真力のある

威嚇音「ガッガッガッ」安定した生命のリズムを伝える「フィー、

フィー」といった声を推奨したいと思う。

(355〜356p)

  

著者の河合さんの言わんとすることはわかります。賛成です。

でも残念ながら、サルが、レベルの高い声で鳴いている場面に、

山に行かないような人たちにはお馴染みではありません。

そこが残念なところですね。

2024年3月11日 (月)

本「ゴジラ音楽と緊急地震速報」② 緊急地震速報チャイムの基本コンセプト

   

今日は令和6年3月11日。

  

3月8日の記事の続きで、

「ゴジラ音楽と緊急地震速報」

(伊福部達監修/筒井信介著/ヤマハミュージックメディア) から

引用します。

  

もう一つ大きな理由として挙げられるのは、このチャイム音ができる

だけ多数の聴覚障害者に聴こえるようにしたい、という発注側の配慮

によるものだ。緊急地震速報チャイムは、健常者だけを対象にしてい

るわけではない。伝える情報の重要性からいって、一人でも多くの聴

覚障害者に伝わることが望ましい。聴覚障害にも先天性、加齢型など

さまざまなタイプがあり、すべてに対応するチャイム音を作ることは

不可能だが、どういう音響がどのタイプの聴覚障害に聴こえるかは、

福祉工学における長年の研究データから、かなりの程度まで判断でき

る。これらの意味により、福祉工学の第一人者である伊福部に白羽の

矢を立てた製作委員会の判断は、実に正鵠を射ていたといえる。

あのチャイム音を聴いて、作曲家がピアノで適当に作ったのだろう、

と考えている人がいるかも知れないが、実はこのような経緯が背景に

あったのだ。

(38〜39p)

  

前記事にも書きましたが、伊福部達さんが

伊福部昭さんの置いだからではなく、

伊福部達さんの研究していることに着目しての

選抜あったのです。

  

伊福部によると、こういった音と心理の関係は、聴覚が形成されたサ

カナの時代に獲得されたのではないかという。つまり、平穏な水の動

きは安心感をもたらし、外敵が迫ってくる時の乱れた水の動きは不安

な気持ちをもたらすのだ。和音でいうと、前者が長三和音にあたり、

後者が減音程に相当する。

人間の耳で考えると、有毛細胞の振動が基底膜に伝わって、この基底

膜がきれいな振動パターンの時は協和音であり、それが乱れると不協

和音に感じるという。

したがって、緊急地震速報チャイムのように「危ない、逃げろ」とい

うメッセージを伝える場合、あまり安定的な美しいメロディーは適さ

ない、ということがわかる。だからといってあまり恐いメロディーに

してしまうと、恐怖心が強すぎて身体がすくんでしまうということも

考えられる。

緊急事態であることを察知して、速やかに避難行動をとれるようなメ

ロディー、これが緊急地震速報チャイムの基本コンセプトとなった。

(55〜56p)

  

ここまで考えて作成された緊急地震速報なので、

避難しようと言う気持ちをうまいこと引っ張り出してくる音だと

思います。この本を読むことで納得です。

  

遠藤未希さんのことを授業で伝えました

   

今日は令和6年3月11日。

  

13年前に東日本大震災があった日。

社会科の授業で教えました。

前記事の内容で授業をするつもりでしたが、

直前に変更しました。

  

きっかけは、当時のブログの記事を読んだことです。

ここでも道草 残したいニュース/遠藤未希さんの頑張り(2011年3月15日投稿) 

ここでも道草 番組で遠藤未希さんのことが紹介される(2011年3月28日投稿)    

ここでも道草 東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日 遠藤未希さん発見(2011年5月3日投稿)

これらの記事です。

大震災の直後は、遠藤未希さんのことを書いているのに、

授業で今まで紹介したことがありませんでした。

すごいことをやった人なのに、

私は今まで教えてきた子どもたちに、

遠藤未希さんのことは伝えていませんでした。

今日は遠藤未希さんのことを伝える授業をしようと思い、

資料集めをして授業に臨みました。

13年前の宮城県南三陸町防災庁舎屋上の様子は

この動画の写真が鮮明に伝えています。  


YouTube: 南三陸町防災庁舎  2011・3・11

53人いたと思われる屋上。

庁舎は12メートルの高さがありましたが、

ここを襲った津波は16メートルでした。

津波が去った後に、流されずに生き残ったのは10人でした。

  

津波が迫ってくる中で、防災無線で避難を呼びかけていた

遠藤未希さんも、屋上に避難しましたが、津波にさらわれました。

この動画に説明をつけながら、見せました。


YouTube: 東日本大震災 宮城・南三陸町住民救った「高台に避難してください」遠藤未希さん

「高台に避難してください」の声の他に、

他の職員が「上へ上がって、未希ちゃん、上がって」と言う声が

入っています。

緊迫した状態だったことが伺えます。この動画でわかります。


YouTube: 命救った防災無線 遠藤未希さんの全音声見つかる

  

そしてこの動画を見つけました。

アニメ動画の職員は「ヒロミさん」となっていますが、

明らかに遠藤未希さんがモデルになっていると思います。   


YouTube: 【3.11の実話】津波に呑まれるまで…アナウンスを繰り返していた“天使の声”と呼ばれた女性

2年前に作られていた映画。

小学生には、このような動画が伝わりやすい。

  

こんな人たちがいたんだよと伝えた授業でした。

  

  

家に帰ってから、遠藤未希さんのことを書いた記事を、

ネットで探して読んでみました。

「あずさ」に乗ってどこまでも⭐︎2023南三陸慰霊の旅 「天使の声」と言われた防災無線

ここには印象に残った言葉がありました。

津波が来る直前まで放送を続けていた未希さんも津波に飲み込まれ

てしまい、震災からおよそ1ヶ月半後に志津川湾で発見された。津

波襲来直前まで住民に避難を呼び掛け続けたことから、「天使の声」

と称賛され、公立学校の道徳の教科書にも掲載された。未希さんの

呼び掛けに救われた人が多かったのは事実だが、「美談」として取

り上げるのには違和感を感じてしまう。自分が職場で「震災絡みの

酷い発言」を受けてからは尚更そう考えるようになった。

職責を全うすることも大事だが、逃げて欲しかった。誰に何と言わ

れようが、生きていて欲しかった。未希さんのお母様・遠藤美恵子

さんの著書「虹の向こうの未希へ」でもそう書かれていた。

(中略)  

「自分を犠牲にしてまで他人を助けた」というニュースが沢山流れた

から、私はあの「理不尽な発言」を受けることになったのだろうか?

職責を全うすることは確かに大事なことであるが、危険を冒してまで

しなければいけないことなのだろうか?危険から逃げることは人間と

して当たり前のことではないのか?生きていてはいけないのだろうか?

遠藤未希さんの一件は「美談」ではなく、「津波てんでんこ」の意味

を問い直すきっかけにしなければいけないと考える。

  

公立小学校の道徳の教科書に載ったのには驚きました。

でも、そうなれば、遠藤未希さんの功績は、

風化せずに残って行く可能性は増えたと思います。  

いいことだと思います。

このかたの言うように「逃げることは人間として当たり前」の

ことです。自分が生き残れるところまでで、

切り上げるべきだったでしょう。

でも津波の威力が想定外だったのではないでしょうか。

屋上に上りさえすれば、助かると信じて、

ギリギリまで防災無線の放送をしていたと思います。

遠藤さんも生きたかったけど、それは叶いませんでした。

津波が来たら、とにかく逃げる!「津波てんでんこ」の

気持ちが行き渡っていなかったことを、

今回の大震災をきっかけにすべきと言うのは、

賛成です。

このブログの筆者の言う「理不尽な発言」については、

他の記事を見ましたが、説明がありませんでした。

とてもショックな言葉だったようですが、

諸事情で具体的に言えないと書いています。

    

  

13年ぶりに、遠藤未希さんの名前を記事に登場させることができ、

子どもたちにこのことを教えた日でした。

ちょっと風化し始めていたのをストップさせたと思っています。

 

3月11日 大震災から13年目 少しでも伝えたいです

   

今日は令和6年3月11日。

  

今日は13年前に東日本大震災があった日。

今日の社会科は、やっぱりこの大震災を、

子どもたちに伝えたい日です。

  

何があったのか。

自分の当日の話をしてみたい。

小学校の教室で、6年生と一緒に卒業アルバムを見ていました。

ぐわん、ぐわんと大きく揺れました。

そしてちょっとしてテレビをつけたら、

なめるように津波が地を這っていく、ヘリコプターの映像でした。

本当に起こっていることなのかと、

にわかに信じられない映像でした。

2011年3月11日のその日のニュースを見せて、

子どもたちに、同じ体験をさせたいと思います。

映像はあります。

 


YouTube: 【東日本大震災】2011年3月11日 14:46 - 22:54

最初のシーンで、3月11日午後2時46分の臨時ニュース。

緊迫感がありますが、こんなすごい災害になるとは、自分は、

きっとその時には思っていなかったと思います。

1時間3分52秒から、名取川を遡上する津波。

そして地面をなめるように這っていく津波の映像が見られます。

この時のヘリコプターで取材したのはNHK。

カメラマンは、鉾井喬さんです。

NHK HP 「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」

津波の撮影の様子を、次のように説明しています。

  

この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影

は研修を含めてこの日が4回目。4回といっても、実際に放送に使わ

れたのは、前日に撮影した海岸の不法投棄現場の映像が初めてだった。

NHKのヘリは緊急報道に備え、365日スタンバイしている。

東北地方は仙台放送局がカバーし、東北中の若手カメラマンが交代で

待機。3月11日は午前中にヘリの入れ替えがあり、午後は格納庫から

機体を半分出して、電波チェックを行っていた。

午後2時46分、東日本大震災が発生。

ちょうどカメラの操作練習のため、鉾井がヘリの座席に座っていた時

だった。ヘリのローターが地面に接触するかと思うほどの大きな横揺

れ。整備士に機体から引っ張り出されて外に出ると、慌ててカメラを

持って周囲の撮影を始めた。

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ヘリの格納庫のシャッターが落ちている。格納庫内に入っていたヘリ

は、揺れによって機体同士が接触。すぐに飛び立てるような状況では

なかった。NHKのヘリは、たまたま格納庫の外に出ていたため助かっ

た。

すぐにフライトしなければ。

整備士がヘリの状況を点検すると、なんとか飛ぶことができそうだっ

た。携帯電話はすでにつながらない状態になっていて、頼りは無線だ

けだ。

地震によって停電が発生、滑走路は閉鎖状態になっていた。

パイロット「JA62NHの離陸許可を願います」

運航情報官「ランウェイクローズです。離陸は認められません。管制

官もタワーから避難しています」

なかなか飛び立てない状況が続く。そんなとき無線で、誰かが呼びか

けてきているのに気づいた。避難していた管制官が、手持ちの無線機

を使ってヘリと交信してくれたのだ。

パイロット「JA62NHです。離陸許可を願います」

管制官「了解。自身の判断で離陸してください」


シャッターが壊れて、格納庫から出れないヘリコプターがある中、

NHKのヘリコプターは出動することができました。

管制官の離陸許可も得ることができました。

あの津波映像は、このような事情があって、見ることができたのです。 

話はまだ続きます。

  

午後3時10分、ヘリは仙台空港を離陸。地震発生から20分余り経過し

ていた。その時、飛び立てなければ、NHKのヘリも津波に巻き込まれ

ていたかもしれない。

仙台局からの指示を受けてヘリが最初に向かったのは、仙台市の中心

部だった。

鉾井にとって、巨大地震のイメージといえば、阪神・淡路大震災だっ

た。高速道路の橋桁がなぎ倒され、至る所で火災が起きる都市型の大

災害。緊張でカメラのコントローラーを握る手に、汗がにじむ。焦る

気持ちに気づいたのか、「落ち着いていこう」と、局にいるデスクが

無線で声をかけてきた。

上空からだと、市中心部では家屋の倒壊や火災などは確認できない。

車の流れもスムーズに見える。

「地震の規模の割には大丈夫かもしれない」

そんなことも頭をよぎった。(中略)

海の様子はどうなっているのか。雪雲が切れている仙台空港近くの海

岸線なら出られそうだ。名取川に沿って海へと向かう。

気仙沼市や岩手県の釜石市では、港に津波が来ている様子がNHKの固

定カメラで確認されたらしい。局内からは、

「津波が来るかも知れない。カメラを川に向けろ」

と指示が出ていた。

この映像は、テレビで生中継されているに違いない。

川を遡上しているあれが、津波なのか。それを追うようにカメラで追

っていると、前方のパイロットと整備士が叫んでいる。

「海、海、海。もっと左、左、左」

 

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津波は道路や車、家を次々に飲み込んでいき、燃えたまま流されてい

る家もあった。地面からのぼった土ぼこりは空まで届き、黒くなって

いる。まるで地獄のような光景で、頭の中で理解が追いつかない。

「極めて危険な状態なのですぐに避難することが必要です」

「近くに高台がなければ、コンクリートの建物のなるべく上層階に逃

げてください」

映像を生中継していたテレビでは、アナウンサーや記者が、避難を呼

びかけ続けていた。

撮影していた鉾井は、冷静だった。あまりにも現実離れしていて、ま

るで映画のように感じたからだという。津波が押し流している車や家

には、多くの人がいるに違いない。人が巻き込まれる瞬間などが生中

継で映り込むことがないよう、画面のアップを極力避けるよう意識し

た。

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起きていることを正確に記録しなければ。とにかく撮るこ

とだけで精いっぱいで、他のことを考える余裕はなかった。

撮影で精いっぱいだったが、ヘリを降りると、今まで撮影してきた光

景が現実なのだという実感が、一気に湧いてきた。

たまたまヘリの練習をしていて、機体も外に出ていたため、ヘリは飛

び立つことができた。もし格納庫に入ったままだったら、空港周辺の

取材に出ていたかもしれない。津波に巻き込まれていた可能性もある。

ヘリが飛べたおかげで助かった。

そして自分は、惨事が起きているなかで、空の上という一番安全な場

所にいた。罪悪感のような複雑な気持ちがこみ上げ、消えなくなった。

1人でも多くの人に助かって欲しい。やりきれなかった。

2011年10月18日。

鉾井の姿は、優れた報道に贈られる日本新聞協会賞の授賞式の会場に

あった。

 

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受賞理由は「地震直後に飛び立ったヘリコプターから押し寄せる大津

波をリアルタイムで全世界に中継し、大津波の恐ろしさや被害が拡大

する様子を伝え、住民の避難や救助活動につなげた」ということ。

乗り気ではなかった。たまたまヘリ当番で居合わせただけで受賞する

ことに、違和感があった。自分じゃない人が受賞すればいいのにとさ

え思った。辞退することも頭をよぎったが、自分の功績ではなく、パ

イロットや局内のデスクを含め、365日体制で行うNHKヘリの緊急報

道体制に対しての賞だと思うことにした。

「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われた

こともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風

に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘ

リのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気

持ちだった。

 

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鉾井さんは、数年後、NHKを退職しています。

あの津波の映像を撮ったカメラマンは、

現在、映像作家、大学の非常勤講師を務めています。

津波の訴状状況を示した地図を掲載します。

Img_4608 仙台河川国道事務所

浸水範囲は5km。

あの津波の勢いは、もっと進んでいると思いました。

    

なめるような津波の映像に続いて、

時間があったら、私が今まで繰り返して見させてきた映像。

油断してはいけない。

津波はあっという間にやってきて、その威力はすごいことを

示す映像です。


YouTube: 宮古の大津波(4)(2011-03-11 岩手県宮古市・市庁舎付近)

  

今朝のニュースで、東日本大震災の行方不明者が2520人と

言っていました。

13年経っても見つからない人がいます。

津波がさらっていったのか、地面に埋もれてしまったのか。

行方不明になった娘さんを、

避難先の長野県から通って探していた木村紀夫さんのお話。

こういう人もいることを伝えたいです。


YouTube: 【NNNドキュメント】11年捜し続けた父… 津波で犠牲になった娘との再会 東日本大震災と福島第一原発事故 NNNセレクション

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