2010年8月21日 (土)

速報「パンパシフィック水泳選手権 3日目」

  

今日は8月21日。

速報が入りました。アーバイン・パンパシフィック選手権。

加藤ゆかさん、100mバタフライで5位入賞。

メダルには届かなかったけど、4位に5位。

さすがです。

http://swimminglife.blog73.fc2.com/blog-entry-696.html

   

3日目(8月20日)

【女子100mバタフライ】

【決勝】
 1 VOLLMER Dana 米国 57.56 
 2 MAGNUSON Christine 米国 57.95 
 3 COUTTS Alicia 豪州 57.99 
 4 KUKLA Yolane 豪州 58.22 
 5 加藤ゆか 日本 58.75 
 6 SAVARD Katerine カナダ 58.92 
 7 LACROIX Audrey カナダ 59.22 
 8 福田智代 日本 59.35 

      

    

22日の深夜0時29分(実質23日)からの番組「Get Sports」で、

パンパシフィック水泳選手権2010」の様子をまとめて放映してくれそう。

録画してじっくり見よう。

   

    


 

ベンガラ・・・岡山県高梁市の吹屋地区

   

今日は8月21日。

   

校長先生と話をしていて、

「ベンガラ」という言葉が出てきました。

??ベンガラとはなんだ?

校長先生は、私が当然知っているものとして話をしてくれますが、わからない。

「すみません、ベンガラって何ですか?」

と尋ねました。

昔からの染料であって、赤い色(褐色)をしていることを教えてもらいました。

天然から産するものが使われてきたが、

今は合成されたベンガラが使われるようです。

主成分は酸化鉄。

    

自分でも調べていくと、アルタミラの洞窟壁画もベンガラで書かれました。

ずっと昔からの染料です。

05
    

  

日本で産出された場所は限られていて、

岡山県高梁市の吹屋(ふきや)。

ここが面白そう。

Wikipediaによると・・・

江戸時代中期頃より吹屋銅山を中心とする鉱山町として発展し、

幕末頃から明治時代にかけては銅鉱とともに

副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄を極めた。

最盛期には銅山で働く従業員数が1200人にのぼった。

山間に忽然と存在する、吹屋集落のベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みは、

昔日の繁栄の大きさを象徴する。

吹屋集落の町並は、1974年に岡山県の「ふるさと村」に指定された。

また、1977年には岡山県下で最初に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

   

高梁市のHPより紹介します。

http://www.city.takahashi.okayama.jp/index.rbz     

ふるさと村に指定された吹屋集落は、ベンガラ色に統一されて、異色です。

Fukiya1[1]
    

銅山の坑道には入ることができます。

校長先生はこの坑道に入ったことがあるそうです。

Douzan[2]

吹屋小学校にも注目。

平成21年度の児童数が5名という少人数の学校。

1900竣工の西校舎・東校舎(木造平屋建)と

1909年の本館(木造2階建)とで構成されています。

なんと木造校舎として日本最古!

本館は夕方から午後9時までライトアップされるそうです。

ライトアップされた校舎で残業するのはなんか照れくさいだろうな。

 Hukiyasyou1[1]   Hukiya2[2]

    

ベンガラを調べていって、意識は吹屋へ。

またまた行きたい場所が増えました。

岡山県のどの辺りだろう。



 
  
  



2010年8月20日 (金)

パンパシフィック水泳選手権を生放送で見たい

   

今日は8月20日。

アメリカのアーバインで行われているパンパシフィック水泳選手権2010の結果が気になります。

地元出身で、担任している学級の子と縁のあった加藤ゆか選手が注目です。

次のサイトで1日目の結果が掲載されていました。

http://swimmingview.net/news/2010panpacificswimmingchampionships/%e7%ac%ac1%e6%97%a5%e7%9b%ae%e2%94%82%e7%ac%ac11%e5%9b%9e%e3%83%91%e3%83%b3%e3%83%91%e3%82%b7%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%83%e3%82%af%e9%81%b8%e6%89%8b%e6%a8%a92010%e3%83%bb%e3%83%91%e3%83%b3%e3%83%91.html

    

大会1日目(8月18日)

決勝:女子50mバタフライ

 1 Guehrer, Mariek 86  豪州 25.99 897pt 大会新
 2 Seebohm, Emily 92  豪州 26.08 888pt
 3 Magnuson, Chris 85  米国 26.33 863pt
 4 加藤ゆか 86  日本 26.38 858pt
 5 Silva, Gabriell 88  ブラジル 26.52 844pt
 6 Hardy, Jessica 87  米国 26.61 836pt
 7 Wilson, Hannah 89  香港 27.01 799pt
 8 Savard, Katerin 93  カナダ 27.16 786pt

    

4位入賞!やったね。

生放送で応援できないのがとても残念。

    

    

2日目(8月19日)は北島康介選手が100m平泳ぎで優勝。

3日目(8月20日)には100mバタフライがあります。

加藤ゆか選手は泳ぐのでしょうか?

予選は日本時間の午後5時から。

決勝は21日午前1時から。

どうなったのかな?

テレビ放送はなく、インターネットで生放送を探しますが見つからず。

う~ん、こんなに発達したインターネットなのに、

できないのかな~。   

「幻の甲子園」より・・・野球の最後の一部分

  

今日は8月20日。

夏休みに読んだ本の一つ「幻の甲子園」(文藝春秋)

印象に残る文はたくさんあります。

少しはブログに書きうつし、血や肉になってほしいと思います。

    

「幻の甲子園」のスタートはこう始まります。

    

序章

文部省からの通達

徳島商業野球部監督の稲原幸雄は、

部員たちから「鬼」と恐れられた熱血漢である。

至近距離から放たれるノックは、

一人に対し1時間以上に及ぶこともあった。

疲労で動けなくなった選手には、

容赦なくバケツで水を浴びせた。

起き上ったところに、再びノックの雨を降らせた。

しかし、その指導理念の根幹は、

プレーとは別の部分にあった。

当時、徳島商業で三塁手だった妹尾(せのお)和治さん(84歳、取材時)はこう語る。

「球場に着いたらまず、石灰で打席や塁線をきれいに書くことが、

大事な練習の一つだと教わりました。

『ラインをしっかり書くことができなければ、しっかりしたプレーもできない』と。

『一流の線を引けなければ、一流の選手になれない』ということです。

これが『内情を知る』、

つまり『野球を知る』ということの根幹として位置づけられていました。

打ったり投げたりというのは、

野球の最後の一部分でしかないというのが稲原さんの哲学です。」(8p)

    

ラスト2行は重い!

この2行がずっと忘れられず心に残っています。

  

これは今年から指導することになったバスケット部でも生きる教えです。

稲原監督は厳しかったが、選手からの信望は厚かったです。

それは読み進めていくとよく理解できます。

   

   

こんなスタートで始まる「幻の甲子園」

引き込まれました。(つづく)

    

飯田線 第6水窪川橋梁 つづき

 

今日は8月20日。

少し前に飯田線の第6水窪川橋梁について書きました。

※参考:http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/08/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E7%AC%AC%EF%BC%96%E6%B0%B4%E7%AA%AA%E5%B7%9D%E6%A9%8B%E6%A2%81.html

     

河川の左岸を離れた橋梁は、

右岸に渡ることなく、再び左岸に戻るという珍しい橋梁です。

youtubeで映像を見つけました。

載せます。

まずは列車が北から南へ。


 


     

列車が南から北へ。


 


 

  

2つの映像とも同じ場所からの撮影です。

以前に紹介した写真もそうでした。

何か都合のいい撮影場所があるのでしょうと想像します。

    

車窓から撮影した映像がないか探しました。

ちゃんとありました。

撮影者に感謝。

   

車窓から撮影した映像を見ると、ドキドキ感が高まります。

落ちはしないかという気持ちです。

遊園地の遊具のようです。

まずは列車は北から南へ。

トンネルをいくつか抜けると橋梁です。

上記の撮影場所も解決します。

皆さんが撮影したであろう橋が映っています。


 


 

    

最後に列車は南から北へ。


 


 

ますます行ってみたくなりました。

2010年8月19日 (木)

誰が最初に土を持ち帰ったか

   

今日は8月19日。

甲子園の土を誰が最初に持ち帰ったか?

Images

「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)では、

昭和24年の小倉北高校の福島選手とありました。

※参考http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/08/%E9%9B%91%E5%AD%A6%EF%BC%94%E9%80%A3%E7%99%BA%E9%A7%85%E5%93%A1%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%AF%BE%E6%88%A6%E6%88%90%E7%B8%BE%E4%BB%96.html

     

     

実は「幻の甲子園」(早坂隆著/文藝春秋)では、

昭和17年8月24日の台北工業(台湾)と海草中学(和歌山)の試合後に

土を持って帰る姿があったと書かれています。

惜敗した台北工業の選手の一人、今野さんの証言。

    

試合後、今野さんたち何人かの野球部員たちは、

甲子園の土をスパイク袋に詰めた。

今では見慣れた甲子園の光景だが、

当時はそんな風習はまだ存在しない。今野さんが言う。

「私たちは台湾から来ていますからね。

今思えば、内地の土といった意味もあって持ち帰ろうとしたのかもしれません」

現在、「甲子園の土を持ち帰るようになったのは戦後から」というのが定説になっているが、

その中で今野さんの証言は貴重である。

現在に連なる甲子園の風物詩の原型が、

思わぬところに存在した。(134p)

   

さらに次のような話に続く。

    

今野さんが持ち帰ろうとした「甲子園の土」は本来、

検疫法によって台湾への持ち込み禁止の対象となるはずであった。

しかし、事情を知った検査官が不問に付してくれたという。(135p)

今野さんが持ち帰った甲子園の土のうち、

その半分は母親が植木鉢の中に撒いた。

そして残りのもう半分は、

学校のグランドのピッチャーマウンドとホームベースの辺りに、

それぞれ撒布(さんぷ)したという。(136p)

    

グランドに撒いた土については、さらに後日談がありますが、

気になる方はぜひ本を読んでみてください。

というわけで、最初に土を持ち帰ったのは、

昭和17年の台北工業の選手だと思っていました。

    

    

しかし、今朝。みのもんたの朝のニュース「朝ズバ」で、

新しい説が出てきました。

最初に甲子園の土を持ち帰ったのは、

1937年熊本工業の川上哲治さんだというのです。

ビックネームが出てきました。

川上選手は、中京商業に敗れたときに、

甲子園の土をポケットにしのばせたそうです。

1937年と言えば、昭和12年。こちらが先です。

    

    

しかし、わかりませんね。

川上さんのように有名な人がやったから記録に残っているだけで、

こっそり持ち帰った選手がいた可能性は高いです。

参考までに、次のような意見もあります。

※「Yahoo知恵袋」http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429509544

      

     

土を持ち帰る。とてもいい風習だと思います。

土が切っても切れない高校球児だものね。

まあ、最初は誰でもいいよ。

     

「終わらざる夏」

   

今日は8月18日。どうしてももう1本投稿したい。

昨日oaさんからのコメント。

「明日は池田連隊長のご命日です。謹んでご冥福をお祈りいたします。 」

そうです、1945年8月18日、千島列島の北のはずれの占守(シュムシュ)島で激しい戦闘がありました。

日本軍とソ連軍の戦い。

日本軍を率いた池田末男さんは、この戦いで命を落としました。

※よかったら2008年11月の投稿を参考http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/11/post-6f4a.html

       

池田連隊長と、名前はわかりませんが、戦いで命を落とした人たちの御冥福をお祈りいたします。

     

     


終わらざる夏 上 終わらざる夏 上
浅田 次郎

集英社 2010-07-05
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8月7日の朝のニュースに、浅田次郎さんがゲストで出ていて、

この本のことについて話をしていました。

なんと占守島の戦いのことを扱った小説でした。

初めて知りました。

戦争が、千何人死んだとか、数字で語られてしまうけど、

その一人一人に人生があるわけで、

それを証明したいがために小説を書いたようなことを浅田さんは言ってたと思います。

ノンフィクションではなくて、資料をよく読み分析し、

ストーリーを作ったそうです。

その戦いを体験し生きのびている人が読むかも知れない今だからこそ書いたそうです。

何十年もたって書けば、きっと気が楽だろうけど、

今じゃないといけないと思って書いたそうです。

  

読んでみたい本です。

    



   


2010年8月18日 (水)

う~ん、もう一つ雑学・・・コンマの打つ位置

   

今日は8月18日。

もう一つ、「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)より。

かねてから疑問に思っていたことが、解決しました。

    

◇数字に三ケタごとにコンマを打つ理由は?

◆たとえば「三億六千四百三十九万八千七百六十一」を算用数字で表記するときは、

 「364,398,761」のように、

 三ケタごとにコンマを打つのが慣例になっている。

 しかし、ふだんから大きな数字に慣れていない人にとっては、

 三ケタごとにコンマが打ってあっても、

 その数字が読みやすくなるわけではない。

 コンマを無視して、

 「一、十、百、千、万・・・」と数えている人も多い。

 では、なぜ三ケタごとにコンマを打つのかといえば、

 ラテン語を語源とする英語やフランス語では、

 ミリオン(100万)、ビリオン(10億)のように、

 三ケタごとに単位が変わるから。

 つまり、それがグローバル・スタンダードで、

 日本もそれにならっているわけである。

 しかし、万、億、兆のように、四ケタごとに単位が変わる日本では、

 あくまで国内ルールとして「3,6439,8761」のように

 区切ったほうがわかりやすいのでは?(128p)

〇大賛成!かねがねおかしいと思っていたことなので、すっきり。

 ちなみに英語の千進法(3桁ごとに位があがる)を書きならべてみます。

    

 one   (ワン)              1   (一)

 thousand (サウザンド)         1,000    (千)

 million  (ミリオン)        1,000,000    (百万)

 billion   (ビリオン)         1,000,000,000    (十億)

 trillion   (トリリオン)   1,000,000,000,000    (一兆)

    

こりゃあ~、日本の算用数字とは違う。

     

※次のサイトが勉強になりました。

「数字の表記を考える」http://www5d.biglobe.ne.jp/~Jusl/Bunsyo/Suujihyouki.html#02


 

雑学2連発・・・ローソンとキヤノン

   

今日は8月18日。

前投稿のつづきで、「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)より。

    

◇「ローソン」ってどういう意味?

◆(前略)コンビニエンス・ストアーのローソンは、

 もともとはアメリカ・オハイオ州にある牛乳店の流れをくんでいる。

 その牛乳屋さんがミスター・ローソンといったのである。

 ミスター・ローソンの牛乳は、新鮮でおいしいと評判で、

 やがてローソンミルク会社というコンビニチェーンに発展し、成功をおさめた。

 その会社の商標が、あのミルクポットだったのである。

 その後、ローソンミルク会社は日本のダイエーと提携、

 日本にもローソンチェーンが展開されることになった。

 日本でも、ローソンの原点といえるミルクポットの看板が掲げられているのはそのためだ。(119p)

〇おなじみローソンも、こうして名前がついたのですね。

 ミルクポットの看板を今度じっくり見てみよう。

    

    

◇「キャノン」ってどういう意味?

◆カメラの世界的メーカー「キャノン」は、

 「観音」をもじったネーミングだ。

 昭和12年、東京目黒に精機光学工業を創業した御手洗毅(みたらいたけし)は、

 その前年、手作りのカメラを完成させていた。

 御手洗は観音を信仰していたことから、

 ファインダーの上に千手観音の像をきざみ、

 カメラのボディに「KWANON」とかいて

 「カンノンカメラ」と読ませていた。

 結局、この手作りカメラは市販されなかったが、

 それ以降、御手洗は研究に没頭する。

 そのときから、新しいカメラには、観音の語感に似せて、

 「キヤノン(Canon)」と名づけようと決めていたという。

 「Canon」には英語で基準、戒律という意味があることも、

 ネーミングの参考にされたという。

 ちなみに、発音は「キャノン」だけれども、

 書くときは「キヤノン」が正しい。

 これは視覚的にそうしたほうが美しいということから。(122p)

〇「キャノン」じゃなくて「キヤノン」の語源が「観音」だなんて、誰も想像できないよ。

 キヤノンのHPをのぞいたら、ちゃんと「キヤノン」でした。

 HPの歴史のページには、観音様にあやかって名づけたことが書いてありました。

 http://web.canon.jp/about/history/outline.html  

     

     

おなじみになっている企業名の語源。これまた面白い。

雑学4連発・・・駅員の声、ゴジラの対戦成績他

   

今日は8月18日。

休み中に次の本を読みました。

   

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(エンサイクロネット編/知恵の森文庫)

    

     

面白い雑学がたくさん載っていて、

ページが残りすくなるのが残念な気持ちで読みました。

いくつか紹介します。

    

◇なぜ、ボーナスは6月と12月に支給されるか?

◆(前略)ボーナスを日本で初めて社員に支給したのは、

 三菱商事の前身、三菱商会。

 明治9年(1876年)のことで、当時は、

 アメリカ式に会社の決算期に合わせて支給していた。

 それが6月と12月の年2回支給されるようになったのは、

 大正時代の終わり頃の話。

 盆と暮れは、何かと出費が多いだろうというわけである。(後略)(22p)

〇さすが日本。盆と暮れの出費は確かに多い。

 今回の給料日(16日)も待ち遠しかったです。


  

◇甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰?

◆高校野球大会では、負けたチームの選手たちが、

 甲子園の土を持ち帰る。

 最初に持ち帰ったのは、昭和24年に出場した選手の一人である。

 その年、準々決勝で破れた小倉北高校のエース福島投手が

 ホームベース付近の土をそっとすくい、

 ズボンのポケットに押し込んだ。

 その行為をみた球児たちがマネるようになったのである。(後略)(40p)

〇これには異説あり。あの「幻の甲子園」に出場した選手で持ち帰った人がいます。

 詳しくは後の投稿で。

    

    

◇ゴジラの対戦成績は何勝何敗?

◆(前略)ゴジラが登場するのは、過去26作品。

 そして対戦成績は、24戦18勝3敗3分けとなっている。

 (中略)ゴジラは、モスラに弱く、過去の3敗は、

 すべてモスラがらみとなっている。(後略)(77p)

〇おそらく全てのゴジラ映画は見ていると思います。

 息子が小さい時に借りてきては見ていました。

 最初は息子も喜んで見ていましたが、最後は私が見たくて借りてきたところあり。 

 懐かしい。

 ゴジラが最初に負けを喫した「モスラ対ゴジラ」(1964年)の宣伝映像。


 


 

      

もうひとつ!    

◇鉄道のアナウンスが鼻にかかったような声を出すのは?

◆(前略)電車の車内にマイクが設置されはじめたのは、昭和6年頃のこと。

 それ以前は、車掌が車両を渡り歩いて「次はどこそこ~」と肉声で乗客に伝えていた。

 その声を、観客の話し声など他の声と区別できるように、

 乗客の耳に届きやすいアナウンスを工夫しているうちに、

 あの節回しが完成したという。

 現在でも、鉄道会社にそのマニュアルがあるわけではなく、

 駅員たちの間で受け継がれていきた「技術」だそうだ。(94p)

〇なるほど!あの声は伝統なんだ。確かに他の声と区別され、耳に届く声です。

    

ボーナスの時期や駅員の声のように、

雑学を勉強すると、

人間の知恵に触れることができます。

ちゃんとわけがあるんだ、ちゃんと考えられたことなんだと確認できます。

こういうのがうれしい。(つづく)

     

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