2011年2月13日 (日)

ウズベキスタン勉強6/食事/プロフ ラグマン

 
 
   

今日は2月13日。

ウズベキスタンの食事のこと、つづき。

    

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

    

ウズベキスタンを代表する料理と言えば、何をおいても「プロフ(オシともいう)」です。

いためた羊肉やタマネギ、ニンジンと米を炊いた料理です。

お祝いや葬式のときなど、お客をもてなすときに、

かならず出されます。(20p)

EPSON001ウズベキスタンの食事プロフ

    

ウズベキスタンはイスラム教徒が多いため、豚肉は食べません。

羊肉や鶏肉を食べます。

ウズベク風ピラフと次のサイトの人は書いています。

※「アッサローム!ウズベキスタン ようこそAJTへ  ウズベク風ピラフ」http://www.tour.ne.jp/blog/uzb/716

     

中央アジアのうどんと言われるのが、「ラグマン

EPSON001ウズベキスタンの食事ラグマン 

 トマトベースのスープ、肉(主に羊)、野菜をごった煮にした麺料理です。

もちろん麺は小麦を使用。

Wikpedia「ラグマン」から引用。

ラグマン (Лагман, Lagman) は、中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺である。

ウイグル語ではランマン(ﻟﻪﯕﻤﻪﻦ)、中国語では「拉条子」(ラーティアオズ、lātiáozi)もしくは拉麺(ラーミエン、lāmiàn)、

ドンガン語ではлүмян(リューミエン、捋麺)。

     

どうやら、「ラーメン」と「ラグマン」は無縁ではないようです。

シルクロード、たくさん交流があったことが予想されます。

面白い!

     

ウズベキスタン勉強、今日はここまで。

 

ウズベキスタン勉強5/食事/ナン チョイ

   

今日は2月13日。

今回はウズベキスタンの食事についてまとめます。

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

   

食事のときにかならず出るのは、丸くて平べったい「ナン」というパンです。

表面にきれいな模様がついているのが、おしゃれです。(20p)

    

「ナン」に模様がついているんだ。

上記の本の食卓風景の写真を載せます。

EPSON001ウズベキスタンの食事食卓風景 

テーブルの片隅にナンがあります。

アップにします。

 

EPSON001ウズベキスタンの食事ナン 

模様がありました。いいですね、この模様。

このサイトにも模様のあるナンの写真あり。

※「アッサローム!ウズベキスタン ようこそAJTへ  ウズベキスタンのナン

http://www.tour.ne.jp/blog/uzb/2328/

    

本から引用。

   

もうひとつ、食事に欠かせなのはお茶です。

お茶にはコク・チョイとカラ・チョイがあり、

コク・チョイは日本の緑茶に似ています。

またカラ・チョイは紅茶です。(20p)

   

上の食卓の写真にも、コク・チョイが写っています。

EPSON001tyoi 

次のサイトでも写真が見られます。

※「よみがえれ!現代のシルクロード 飲み物」http://www.kodomo-silkroad.net/denpa/drink/world_tea.html       

  

日本の急須と同じような器具があります。

何と言うのかな?

シルクロードで日本とつながっていた国なので、共通点があるんだろうな。

         

日本のお茶と飲み比べてみたいです。(つづく)  

 

ウズベキスタン勉強4/アラル海

  

今日は2月13日。

ウズベキスタン勉強のつづき。

今日は休日出勤して、ウウべキスタンのあらましを書いた掲示物を作りました。

RIMG0005ウズベキスタン掲示物 
    

ウズベキスタンにはシルダリア(シル川)、アムダリア(アム川)が流れています。

「ダリア」には「川」という意味があるため、

シルダリアがシル川になるわけです。

2つの河川が流れ込むのがアラル海です。

アラル海は流れ込む川はありますが、

流れ出す川のない湖です。

広さは6万8000k㎡。かつては世界4番目の面積をもつ湖でした。

(琵琶湖は約670k㎡)

しかし1960年代から縮小をは始め、2010年代には消えてしまうと予測する人もいます。

     

その理由は、シルダリア、アムダリアの水が農業や生活用水に使われるようになって、

アラル海に水が届かなくなったからです。

    

アラル海については、中学校で社会科を教えていた頃の関心事。

15年ほど前の話。

このアラル海があるのが、カザフスタンとウズベキスタンでした。

ウズベキスタンって、あのアラル海がある国なんだと思い、

興味関心が高まりました。

     

15年ほど前でさえ、アラル海はかなり縮小していました。

   

現在はどうか?

Yahoo!の地図を見てみました。(今日の投稿の最下段を見てください)

地図を見て、「写真」にしてみると、

アラル海がぐっと小さくなったことに気づきます。

(すごいなあ、今はインターネットでアラル海の写真を部屋にいながら見ることができてしまう)

エメラルドグリーンに見えるのは、湖が浅いからだそうです。

かつては群青色に写っていました。

ただYahoo!の地図の写真が、何年のものかわからず。

     

他にサイトを探したところ、次のサイトが参考になりました。

※「らばQ アラル海が消えた 20世紀最大と言われる環境破壊
http://labaq.com/archives/51268855.html

    

このサイトに2009年のアラル海の写真が掲載されていました。

5872b69d-s 
    

北にある湖は、小アラル海と呼ばれ、シルダリアの水とダムによって守られているそうです。

しかし、南にあった大アラル海はほとんど消滅しています。

白い部分は塩です。

塩分が露出した土壌は、砂塵によって近隣住民に襲いかかり、

環境被害を与えているそうです。

    

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

    

アラル海は魚類の宝庫で、

沿岸には漁村がたちならび、漁業がさかんでした。

しかし、アラル海の水位がさがって、塩分濃度があがると、

魚類は死滅し、漁業ができなくなり、多くの漁民が去っていきました。

それどころかフラミンゴやペリカンなどの鳥類も見られなくなりました。

さらにアラル海を犠牲にして開拓された農地も、

塩害のために使えなくなっています。

今のアラル海は、環境に配慮しない計画が

いかに多くのものを犠牲にするかを物語っています。(7p)

       

    

ウズベキスタンの残念な歴史を復習しました。

      

 

 

 

 

 

2011年2月12日 (土)

2月12日奇跡の?本宮山

  

今日は2月12日。

息子の少年野球練習試合の手伝い・応援で新城市へ。

朝、グランドから見た本宮山にビックリ。

晩に降った雪をのせた本宮山は、

今まで見た本宮山の中でトップの美しさでした。

どこの名山?だろうと思うほど。

撮影の直後に、雲で隠れてしまい、

昼過ぎに再び本宮山が姿を見せた時は、すでに表面の雪はありませんでした。

奇跡的に見られた本宮山です。

それでは写真を2枚掲載します。

RIMG0014奇跡の本宮山 
 

RIMG0015奇跡の本宮山 
 

 

2月11日の本宮山

  

今日は2月12日。

本当は今日、仲間と大川入山に行く予定でした。

10日晩で予報で、12日は山の天気が荒れると考え、延期になりました。

3月に登ることになりました。あ~、登りたかった。

そんなわけで、今日は予定変更で息子の練習試合の手伝い・応援で新城市へ行きます。

大川入山に行けない代わりに、昨日(11日)またまた本宮山へ。

天気が悪くても本宮山なら大丈夫と、奥さんのOKをもらい登りました。

雪と雨の中、登ってきました。

    

RIMG001715~16丁目 RIMG0019雪と岩の道
  

RIMG0020だいぶ雪が増えた RIMG0024
 

RIMG0026 RIMG0029鳥居の石

落ちそうで落ちない石は、今回も落ちていませんでした。

   

RIMG0031五十丁目雪景色 RIMG0032頂上社前の写真 
  

RIMG0033赤く大きな鳥居 RIMG0038今日の頂上 2月11日の頂上

    

RIMG0041今日のカップヌードル RIMG0051黒い鳥居 
  

RIMG0054雪の下り道 雪の下り道

     

今朝は気持ちのいい筋肉痛。こうでなくっちゃ。





  




 

ウズベキスタン勉強3/NORIKO学級

   

今日は2月12日。

前投稿のつづき。

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

    

ウズベキスタンで外国語といえば、ロシア語か英語が中心で、

つづいてドイツ語、フランス語、中国語、韓国語などですが、

日本や日本語に関心をいだいて、学ぼうとする人も増えています。

(中略)

フェルガナ州の地方都市リシタンに、

日本語を教える学校があります。

ウズベキスタンとして赴任していた大崎重勝さんが、

休日を利用してリシタンの子どもたちに日本語を教えはじめたのが始まりです。

「もっと日本語を学びたい」という子どもたちの声におされて、

大崎さんは定年退職を機に、

1999年、退職金を投じて、奥さんの紀子(のりこ)さんとともに、

NORIKO学級を設立したのです。

「いつでも子どもたちが集まり、無償で日本語を学べる場所をもうけたい」と。(30p)

     

大崎さんは残念ながら2005年に亡くなりましたが、

NORIKO学級は他の人たちによって現在も引き継がれいます。

ここで学んだ生徒が、日本に留学することもあるとのこと。

今度来られる留学生は2人。1人は日本語を話せるとのこと。

この学級に関係するだろうか。

※「ようこそウズベキスタンへ/NORIKO学級」http://www.geocities.jp/uzbekfriends/rishtannoriko.html

Ris201 

※「リシタン ジャパンセンター NORIKO学級」http://rjc.bz/noriko.html

DSC00110 
    

ほらほら、立ち止まって少し深く勉強すると、

知らなかったことがどんどん見えてきます。

ウズベキスタンにこのような学級があるのですね。(つづく)

ウズベキスタン勉強2/日本人捕虜が残したもの

   

今日は2月12日。

前投稿のつづき。

   

太平洋戦争後、ソ連に抑留されて強制移送された日本人捕虜が、

ウズベキスタンで何をしたか。

前投稿では、ナボイ劇場の建設に参加したことを書きました。

次の本にもナボイ劇場建設にかかわる日本人のことが書かれてました。

61FGJ00M72L__SS500_ 
「ウズベキスタンの桜」

(中山恭子著/KTC中央出版)

    

中山恭子さんは、1999年にウズベキスタン共和国特命全権大使として赴任。

3年間勤めました。その時の体験をもとに書かれた本です。

引用します。

   

首都タシケントではナヴォイ劇場を日本人が建設したことはよく知られており、

その当時の日本人を語る逸話も伝えられています。

金融機関に勤めていた方の話です。

「子どもの頃、日本人が入っていたラーゲリ(収容所)の近くに住んでいた。

日本人は毎朝、挨拶をし隊列を組んで仕事場に出かけていった。

夕方また隊列を組んで戻ってきた。

ある時お腹が空いていることだろうと思って、

友達とラーゲリの垣根の壊れたところからパンと果物を差し入れた。

そうしたら2,3日後に、手作りの木のおもちゃが置いてあった。

親から『日本人は規律正しい人々だ。

勤勉で物を作ることがとても上手な人達だ。

そしてお返しを忘れない律儀な人々だ。

あなたも日本人を見習って大きくなりなさい』と言われて育てられた」(中略)

戦後この地で強制労働に従事した日本人が

その日々の生活を通して残した貴重なものが、

今の日本に対する信頼を形成する上でどれほど貢献していることか。

苦しい抑留生活の中でも規律正しく、

優しさを失わなかった日本人に心から敬意を表し、

心から感謝したいと思います。(212p)

   

ナボイ劇場建設のみならず、日本人捕虜の働く姿は、

ウズベキスタンの人たちの心に影響を与えたようです。

 

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

     

ウズベキスタンに送られた日本人は約2万5000人にのぼります。

石炭の採掘、水力発電や道路、水路の建設などにかりだされました。

強制された仕事とはいえ、一生けんめいはたらくすがたに、

現地の人びとは感銘を受けました。

きびしい作業のさなか、現地で亡くなられた人もたくさんいます。

その人たちの墓を、現地の人たちが、

そうじや草むしりをして守ってきました。

さらに、2002年には日本人の寄付とウズベキスタン政府の手により、

13か所ある日本人墓地の整備が完成しました。(31p)

       

      

今度勤務校に来られる留学生も、きっとこんな歴史を勉強していることだろう。

今の日本人がどう見えるだろう。

まだまだ当時の日本人らしさは失われていないと思うが。

     

 

    

    

 

 

2011年2月11日 (金)

ウズベキスタン勉強1/ナポイ劇場と日本人捕虜

  

今日は2月11日。

先日、こんな看板を見かけ、自動車内から撮影しました。

RIMG0042大島薬品 RIMG0042大島薬品アップ
   

「薬」だったのが、脱落してこうなったのでしょう。

私は顔文字に詳しくありませんが、こんな顔文字ありませんか?

happy02

     

17日に、縁があってウズベキスタンからの留学生が勤務校に来られます。

6年生が話を聴きます。

しかし、私も含めてウズベキスタンに疎い。

これでは失礼。勉強しようと思います。

     

図書館で借りてきたのが次の本。

この本をベースにして、いろいろ情報を集めるつもりです。

978-4-591-10772-0 
「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)

    

最も印象に残ったのは、首都タシケントにあるナポイ劇場

オペラやバレエが上演される劇場です。

Napoi

※ナポイ劇場・・・http://www.geocities.jp/tatsuo1920/sub-66.htm

   

引用します。

じつはこの劇場の建設には、第二次世界大戦後、

ソ連に抑留されウズベキスタンに強制連行された

日本人捕虜がたずさわっていました。

劇場のプレートには「1945年から46年にかけて、

極東から強制移送された数百名の日本人が

このナポイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」としるされています。

1966年にタシケントを大地震がおそったとき、

まちの大半がくずれたにもかかわらず、

ナポイ劇場はほとんど被害を受けませんでした。

「さすがは日本人がたてた建物」と、

しっかりたてた日本人への評価がたかまりました。(31p) 

     

日本人とウズベキスタンとの関係を知って、がぜん興味を持ちました。

ただ、「日本人がたてた建物」と言い切っていいかどうかという文に出会いました。

このサイトです。

※「シルクロード日誌」http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?eid=1321078

             http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?eid=1321079 

確かに日本人捕虜がナポイ劇場の建設にかかわりましたが、

日本人捕虜がやってきた時には、ほとんどが完成していて、

日本人がやった仕事は、このサイトに次のように書いてあります。

   

日本人捕虜が行った作業の中心は、

左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り

・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった。

    

したがって劇場のプレートに書いてあった

「劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」は正しい。

でも地震で崩れなかったのは、日本人だけでなく、

ロシア人を中心とする技術者・労働者の人たちのおかげであるわけです。

        

     

あのアースマラソンを走り切った間寛平さんもウズベキスタンを走っていました。

※「ウズベキスタン入国!」http://www.earth-marathon.com/2010/07/04/165031.html

127822980501_m 
   

(つづく)

 

   

 


    

 

     

 

県をまたいで、ドクターヘリが活動する

   

今日は2月11日。

先日テレビのニュースで、岐阜県でドクターヘリの運航開始式が行われた(8日)と伝えていました。

1 
※「岐阜県HP」http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei-unei/kocho-koho/kensei-shiru/kensei-news/2302/7.html

9日から運航開始だそうです。   

     

     

 

このニュースを見て、以前スキャナでコピーしておいた記事を思いだしました。

EPSON001ドクターヘリの記事 EPSON001ドクターヘリの記事tizuda

   

昨年11月27日の記事です。

岐阜県で年度内にドクターヘリを始動させたいとありました。(今回実行されました)

2011年度内には三重県でもドクターヘリがスタートする予定。

記事内の図にあるように、岐阜・三重にドクターヘリが配備されることで、

より広範囲でドクターヘリでカバーできるようになり、

助かる命が増えると思います。

円が重なっている部分が重要。

県をまたいで、出動できる時は出動するという考え方が素晴らしい。

    

2年前の今頃、豊橋の消防署に行って、

隣県の静岡のドクターヘリに出動要請をしていることを初めて知りました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/02/post-b05d.html

お互いさまということですが、

この助け合いの行動が印象に残っていました。

   

課題は運航費。    

どうにかならないのでしょうか。

ドクターヘリの活動は大賛成。     

      

    

ドクターヘリについては今までも何回か書いてきました。

     

※「ドラマ『コード・ブルー』を見る」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/03/post-b731.html

※「ドクターヘリの本」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/03/post-fcf2.html

※「ドクターヘリの本その2」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/03/post-11a6.html

※「いつかドクターヘリで授業を」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/03/post-36b1.html

※「ドクターヘリのドキュメンタリー」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/09/post-6537.html

※「愛知県唯一のフライトドクター」http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/01/post-ede4.html?cid=6a0133f2a604a3970b013485ca2cba970c#comment-6a0133f2a604a3970b013485ca2cba970c

  

たまには読み返せるように、ここにメモ。

 

2011年2月 9日 (水)

朝、【安危】【安着】【安手】に出会う

  

今日は2月9日。

久々漢字パドルの話。前回は12月20日の投稿。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/12/%E6%AF%8E%E6%9C%9D%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AB.html

   

3学期になっても、毎朝、子どもたちのだれかが作った漢字パドルに、

みんなで挑戦しています。

今朝の問題。

    

司 事 書

政 ☐ 商

者 水 状

  

解いてみてください。  

    

     

答えは「行」。

このパドルを作った子は、できあがる2字熟語の意味も調べて書いていました。

【行司】=相撲の勝負を見きわめる人。

【行事】=略 【行書(ぎょうしょ)】=漢字を少しくずした字。

【行商(ぎょうしょう)】=品物をもって売り歩くこと。

【行状(ぎょうじょう)】=人のふだんの行い。

【行水(ぎょうずい)】=湯や水をたらいに入れて歩くこと。

【行者(ぎょうじゃ)】=仏教などの修業をしている人。

     

なかなか歯ごたえのある2字熟語ばかりです。

        

      

もう1問。2日前の問題。

    

着 平 手

危 ☐ 直

易 価 心

     

      

これは難しかった。

答えは「安」

「安」と言われて、すぐに納得できず。

どんな2字熟語ができるかと言うと・・・・

【平安】【安心】【安価】【安易】はOK。

しかし、【安危】?【危安】?   

う~ん、【危安】を見たことがあるような~~調べてみました。

  

【危安】はなくて、【安危(あんき)】がありました。トホホ。

意味は「安全であるか危険であるかということ。『一国の安危にかかわる重大事』」
   

   

【着安】?【安着】?

これもわからず。調べました。

   

これは【安着(あんちゃく)】でした。

意味は「途中事故なく目的地に着くこと。『安着の知らせが届く』」

   

もう一つあった。

【安手(やすで)】?

安手でした。意味は「安っぽいこと。粗末で低級なこと。」です。

「安手の生地(きじ)」といった使い方をします。

 

子どもたちは、辞典を見て一生懸命作っているので、

いろいろな熟語が出てきます。

知らなかった2字熟語とたくさん出会います。

けっこう勉強になります。    

漢字パドル。お薦めです。 

 

最近の写真

  • Img_9167
  • Img_9162
  • Img_7527
  • Img_7526
  • Img_9148
  • Img_2012
  • Img_7520
  • Img_7524
  • Img_7523
  • Img_7522
  • Img_7521
  • Img_9157

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉