ウズベキスタン勉強1/ナポイ劇場と日本人捕虜
今日は2月11日。
先日、こんな看板を見かけ、自動車内から撮影しました。
「薬」だったのが、脱落してこうなったのでしょう。
私は顔文字に詳しくありませんが、こんな顔文字ありませんか?
17日に、縁があってウズベキスタンからの留学生が勤務校に来られます。
6年生が話を聴きます。
しかし、私も含めてウズベキスタンに疎い。
これでは失礼。勉強しようと思います。
図書館で借りてきたのが次の本。
この本をベースにして、いろいろ情報を集めるつもりです。
(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)
最も印象に残ったのは、首都タシケントにあるナポイ劇場。
オペラやバレエが上演される劇場です。
※ナポイ劇場・・・http://www.geocities.jp/tatsuo1920/sub-66.htm
引用します。
じつはこの劇場の建設には、第二次世界大戦後、
ソ連に抑留されウズベキスタンに強制連行された
日本人捕虜がたずさわっていました。
劇場のプレートには「1945年から46年にかけて、
極東から強制移送された数百名の日本人が
このナポイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」としるされています。
1966年にタシケントを大地震がおそったとき、
まちの大半がくずれたにもかかわらず、
ナポイ劇場はほとんど被害を受けませんでした。
「さすがは日本人がたてた建物」と、
しっかりたてた日本人への評価がたかまりました。(31p)
日本人とウズベキスタンとの関係を知って、がぜん興味を持ちました。
ただ、「日本人がたてた建物」と言い切っていいかどうかという文に出会いました。
このサイトです。
※「シルクロード日誌」http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?eid=1321078
http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?eid=1321079
確かに日本人捕虜がナポイ劇場の建設にかかわりましたが、
日本人捕虜がやってきた時には、ほとんどが完成していて、
日本人がやった仕事は、このサイトに次のように書いてあります。
日本人捕虜が行った作業の中心は、
左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り
・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった。
したがって劇場のプレートに書いてあった
「劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」は正しい。
でも地震で崩れなかったのは、日本人だけでなく、
ロシア人を中心とする技術者・労働者の人たちのおかげであるわけです。
あのアースマラソンを走り切った間寛平さんもウズベキスタンを走っていました。
※「ウズベキスタン入国!」http://www.earth-marathon.com/2010/07/04/165031.html
(つづく)
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