2014年10月 8日 (水)

皆既月食/月をたくさん見た晩でした

 

今日は10月8日。

  

通算3998本目の投稿。

  

今晩の月の写真を並べます。

ニュース写真のような、ピントの合った素晴らしい写真は撮れませんでしたが、

デジカメ「RICOH CX5」は頑張ってくれました。

  

  

あらかじめ校舎の屋上に、同僚の先生たちと天体望遠鏡を設置しておきました。

職員室で仕事をしながら、皆既月食が始まるのを待ちました。

残念ながら、雲が多い。

はたして見られるかどうか。

  

仕事にきりがついて、月食が半分くらい済んだ時に屋上に向かいました。

雲間から時々顔を出す月。

確かに地球の影ができていました。

望遠鏡のレンズ越しに撮影してみました。

  

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ほとんど影になってしまったところで、雲がすっかり多くなり、

天体望遠鏡での観測をあきらめました。

  

   

仕事をすませて帰ろうとしたら、職員室から出た廊下の窓から、

赤い月が見られました。

これぞ皆既日食という赤い月に見とれました。

帰ることを一時中止。

撮影を試みました。

  

放送室から三脚を借りてきてカメラを設置。

ぶれないようにセルフタイマーで撮りました。

大小さまざまな赤い月の写真を載せます。

 

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う~ん、ボケボケですが、今の自分には限界でした。

  

  

赤い月を見ながら、自転車で帰路につきました。

途中、月が再び光出しました。

帰宅して、三脚を持ちだしてきてまた撮影。

 

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最後の写真。

トリミングして、月をアップにしてみました。

Rimg5674a

    

  

今日は月をたくさん見ました。皆さんはどうですか?

家族のためにサンドイッチを作って出かけている

 

今日は10月8日。

  

通算3997本目の投稿。

  

前投稿と同じく、10月4日放映の「NHKスペシャル 緊急報告 御嶽山噴火 

戦後最悪の火山災害」より。

  

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御嶽山噴火の被害者の一人、伊藤保男さんのお話が印象に残りました。

ここに書きとめておこうと思います。

  

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伊藤さんの遺品のザックの中にカメラが入っていました。

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そのカメラに写っていた写真です。

Rimg5419 7時42分登山開始↑ 雲一つない真っ青な空でした。

Rimg5420 紅葉もいいですね。↑ この後の悲劇を全く感じさせません。

Rimg5421 雲海↑

  

しかし、伊藤さんの写真に、自分の命を奪ったものが写っていました。

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Rimg5415 伊藤さんの奥さん、伊藤ひろ美さん。

ひろ美さんが見せてくれたものに驚き。

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あの噴火の日の朝、伊藤保男さんは暗いうちに出発したために、

家族とは出会っていません。

私の場合も、山登りに行く時にはちょくちょくあります。

しかし、伊藤さんがすごいのは、このサンドイッチ。

伊藤さんが家族のためにサンドイッチを作ってから、山に出かけていたのです。

こんなことはやったことがないなあ。すごい。

  

伊藤さんの遺品のザックからは、まだ食べていないサンドイッチが出てきました。

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奥さんのひろ美さんは言います。

「亡くなるなら、食べてもらいたかった。今頃、お腹すいているんじゃないかな」

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Rimg5412  

捨てられないですよね、サンドイッチ。

でもサンドイッチは無情にも腐っていく。どうするのかな。

このサンドイッチの話はずっと心に残りそうです。

  

  

伊藤さんが亡くなったのは、噴石による損傷死だそうです。

一緒に登った仲間が証言しています。

噴火があって、噴石がどすっ、どすっと落ちてきたそうです。

噴煙が迫ってきて、辺りは真っ暗になり、噴石はさらに飛んできます。

噴石が止んだ時、すでに伊藤さんはなくなっていたそうです。

暗闇で噴石が当たって亡くなる。恐ろしいことです。

    

番組から知った亡くなった時の様子。

記録に留めておきたくなりました。

あの東日本大震災の時と同じ気持ちです。

  

噴火翌日の御嶽山頂上付近

  

今日は10月8日。

  

通算3996本目の投稿。

通算4000本目の投稿の匂いがしてきました。

  

昨日の朝日新聞夕刊の写真です。

20090101_00000018  

記事から引用します。

  

捜索 心肺停止3人発見

御嶽山 3日ぶりに再開

噴火で51人が死亡し、12人の安否がわかっていない御嶽山(長野・岐阜県境、3067m)で、

自衛隊や警察、消防の捜索隊は、7日朝から3日ぶりに捜索活動を再開し、

心肺停止状態の3人を見つけた。

山頂付近には、これまでで最も多い約400人を派遣。

捜索範囲を広げ、新たな装備や機材を使って、

後方支援を含め約960人態勢で登山者の発見をめざす。

  

心肺停止の登山者を抱きかかえる自衛隊員の写真。

大変な仕事だと思う。応援したい。

  

   

10月4日に「NHKスペシャル 緊急報告 御嶽山噴火 戦後最悪の火山災害」

が放映されました。

そこに、噴火の翌日(9月28日)に捜索に入った名古屋市消防局の人が撮った映像が、

紹介されていました。

御嶽山の頂上がどうなっているのか、よくわかりました。

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火山灰が固まって覆っている地面。そこに噴石が落下した穴が無数に開いています。

背筋が寒くなる景色です。

この番組については、また投稿します。

今朝の投稿はここまで。

うっかりしていた夕焼け、皆既月食

 

今日は10月8日。

  

通算3995本目の投稿。

  

夕方、職員室で同僚の先生から声をかけられました。

「夕焼けがよさそうですよ」

  

おっと、うっかりしていました。

いつもは今日の夕焼けはどうかなと気にしている私。

少し前に、今日の雲は低いから、あんまり夕焼けには不向きかな?

それでも夕焼け時になったら確かめてみようと思ってはいました。

でもすっかり忘れていました。

  

確かに職員室から見える南の空は、いい感じにだいだい色に焼けていました。

いかん、いかん。

その先生にお礼を言って、カメラ持参でいつもの3階のベランダに向かいました。

そこで撮った1枚。(何枚も撮ったうちの1枚)

Rimg5430   

間に合いました。出会えてよかった夕焼け。

  

  

帰宅して、ブログに来たコメントを開いてビックリ。

明日(8日)は皆既月食!

そうか、まだ先のことと思っていましたが、明日なんだ。

これまたラッキー。

雲はどうなのかな?

できたら、屋上で天体望遠鏡を出してきて赤い月をじっくり観察したいなあ。

2014年10月8日皆既月食:見え方(拡大)
YouTube: 2014年10月8日皆既月食:見え方(拡大)

Shadow アストロアーツ 月食のしくみより

  

今日もいい1日にしたい。

  

2014年10月 6日 (月)

台風18号が駆けぬけていきました

 

今日は10月6日。

  

この投稿が3994本目。4000本が近い。

  

台風18号が最接近の頃に出勤。

凄まじい雨でした。

ついつい、こういう時に冠水してしまう道の様子を見に行きたくなりました。

スーパーの前の道です。

  

行ってみたら、やっぱり冠水していました。

Rimg5366   

台風18号は足早に去ってしまったので、

午前11時前には、暴風警報解除。

天気もぐんぐん回復しました。

  

青空と雲を撮りました。

  

Rimg5369  

最近、何枚かの写真を貼りあわせて、横長の写真を作ることあり。

今回もやってみました。よかったら拡大して見てください。

Photo   

左端の雲やっぱり気になります。

  

アップで撮影しました。

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帰る頃には、夕焼けもきれいでした。

Rimg5388   

  

変化の大きな1日でした。さあ寝るかな。

 

2014年10月 5日 (日)

御嶽山の噴火 新聞の写真2枚

 

今日は10月5日。

  

御嶽山噴火に関する新聞の写真を載せます。

  

20090101_00000019a  

(朝日新聞 10月2日朝刊より)

10月1日の御嶽山での捜索写真。

犠牲になった登山者は、噴石や灰の中に埋もれていることがわかる写真。

軽トラくらいの噴石が飛んできたという話がありましたが、

小型のバスくらいの大きさの噴石もあったと、昨日捜索隊が報告していました。

時速300㎞で飛んでくるという専門家もいました。300㎞!

怖かっただろうなあ。

  

  

20141005_081148 (朝日新聞 10月4日朝刊より)

このような景色を目の当りにしたら、何と思うだろう?

すぐに現実だと認識できるだろうか?

この後起こることをどれだけ想像できたでしょうか?

走ってこちらに向かっている男の人も助からなかったのかな?

写真を撮った後、野口さんはどう動いたのか?

噴石はどのように襲ってきたのか? 怖かっただろうなあ。

野口さんは最期にどう思ったのか? 死にたくなかっただろうなあ。

  

辛い写真です。 

2014年10月 4日 (土)

蹴上インクライン周辺散策5.インクラインを下り蹴上駅へ

  

今日は10月4日。

  

前投稿のつづき。

20090101_0000006_4   

小休止の後、また動き始めました。

ゆっくりできません。修学旅行中です。

  

⑦蹴上インクラインの台車と水中滑車

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本当は立ち入り禁止の柵内に子どもたち?

  

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「歴史秘話ヒストリア」と同じ場所からの撮影。

番組の写真↓

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来ましたねえ、ここに。

テレビで見た場所に実際に行く。いい体験ができました。

⑧疏水工事殉職者弔魂碑も見ました。

田邊朔郎氏が建てたものです。

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裏面には殉職者の名前が刻まれています。

「歴史秘話ヒストリア」通りです。自分の目で確かめました。

  

この場所からインクライは下っていきます。

女の子がレールの上で遊んでいました。

これは絵になると思って撮影しました。

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向こうに見える船は、蹴上駅を出てすぐに見かけたものです。

ぐるっと一周したことになります。

  

インクラインを下っていく途中に⑤殉職者之碑がありました。

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次は④ねじりまんぽ。

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インクラインの下をくぐります。

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レンガの積み方が独特です。

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ねじりまんぽの東口の上です。

疏水工事を始めた北垣国道知事の筆による「陽気発処(ようきはっするところ)」

西口は同じ知事の筆による「雄観奇想(ゆうかんきそう)」とあります。

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熟語の意味は、このサイトが参考になります。

京都検定合格を目指す京都案内 地下鉄東西線の蹴上駅から南禅寺に向かう途中にある「ねじりまんぼ」

  

  

これで蹴上駅へ向かい、修学旅行の引率に加わりました。

な時間をいただいて、いい社会見学ができました。これにて報告を終了。

蹴上インクライン周辺散策4.水路橋から田邊朔郎銅像へ

  

今日は10月4日。

  

前投稿のつづき。

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③の水路閣はすぐでした。

南禅寺には今回関心はなかったのですが、人はにぎやかでした。

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境内のメインストリートを右折すると、見えてきました水路閣が。

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案内板の写真

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南禅寺境内を通過するために、周辺の景観を配慮して田邊朔郎氏が設計したものだそうです。

写真を載せます。

 

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見ごたえのある施設です。

水路閣をくぐって右手にあがっていくと上から見えると教えてもらっていました。

実行。

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最初にここを水が流れた時は、感動だったろうな想像しました。

  

   

ここからは疏水沿いに歩いていくと、

田邊朔郎氏の銅像があるところに行くと聞いていました。

これまた実行。

わずかな人しか歩いていなくて、少々不安でしたが、

この上等な散歩道を歩きました。

 

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最後は行き止まりっぽかったのですが、ちゃんと道は続き、

蹴上発電所送水管の上を通過した後に、

⑥田邊朔郎銅像に行きつきました。

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銅像前のベンチでおにぎりを食べて小休止。

京都の街並みも眺めました。

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「歴史秘話ヒストリア」で登場した場所にやってきました。

贅沢な時間を過ごしました。(つづく)

 

蹴上インクライン周辺散策3.次は第二竪坑(シャフト)をめざそう

 

今日は10月4日。

  

前投稿のつづき。

20090101_0000006_2

  

琵琶湖疏水記念館でもっと居たかったのですが、

修学旅行の合間なので、時間はありません。

次の場所に行くことにしました。

  

写真撮影を許可してくれた職員の方と、再び話をしました。

3度目の挑戦で、9月の始めに第一竪坑(シャフト)を見てきた話は、

興味を持って聞いてくれました。

自動車だと、あの脇道は見逃しやすいと共感してくれました。

その方に「次は第二竪坑(シャフト)」に行くこと」を勧められました。

  

  

琵琶湖疏水記念館で買ったもう一つの資料「琵琶湖疏水の歴史散策」(300円)には、

第二竪坑(シャフト)について、次のように書いてありました。

20090101_00000018

 

 

第一トンネル工事の空気導入のための竪坑地上部

トンネル内の空気取り入れを目的に掘削(くっさく)した竪坑です。

技術上のトラブルもなく、第一竪坑の5分の1の工期で竣工しました。

  

行ってみたいですね。

職員の方が、わかりづらいということで、地図を書いてくれました。

その地図に加筆してみました。

20090101_0000007   

次回、ここに行くチャンスは、3月のキミヤーズ塾でしょうか。

その時には、この地図と「琵琶湖疏水の歴史散策」を参考にして行きついてみたいです。

職員の方が行った夏は、施設は草に埋もれていたそうです。

3月なら大丈夫でしょうとのこと。

  

2階の壁にこんな写真がありました。 

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「窓から見える現在の風景と見くらべてください」と書いてあります。

さっそく見比べました。

Rimg5079a

 

職員の方には、次の水路閣、そこから田邊朔朗銅像までの道を教えてもらいました。

いい思い出ができた琵琶湖疏水記念館でした。(つづく)

 

蹴上インクライン周辺散策2.島田道生氏の大きな実測図

  

今日は10月4日。

  

2日の投稿のつづき。

  

20090101_0000006 毎回、この地図は掲載します。

琵琶湖疏水記念館のパンフレットです。

ここでも見られます。

琵琶湖疏水記念館リーフレット(日本語版)

  

  

琵琶湖疏水記念館に入って、ここはいいなとすぐに思いました。

面白い資料がたくさんあります。

撮影禁止のマークはないな~と思い、それでも許可をもらっておこうと思いました。

写真を撮りたいと職員の方にお願いしました。

久々、「教師」の肩書を使いました。

すぐにOKでした。

(この教師の肩書を使って、社会見学をするのもあと7年ほどか~)

  

しかし、すぐにこの表示を発見。

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Rimg5061syasinnsatuei   

そうか、職員の方は、撮影禁止なのに教師だからということで、OKを出してくれたんだ。

私は念のためのようなイメージで尋ねていました。

すごく申し訳ない気持ちになりました。

機会があれば、もちろん授業で使いますが、

確実に使うかというと、定かではありません。

それなのに撮影するのはいいのか?・・・などと考えてしまいました。

  

それに「常設展示図録」というのが販売されていることがわかり、

あれもこれも撮影するのは止めました。500円でした。

Zuroku   

  

館内の写真を1枚だけここに載せます。

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「琵琶湖疏水工事図絵」↑

  

9月に見に行ってきた第一竪坑(シャフト)の工事の絵です。

昨年の「歴史秘話ヒストリア」でも同じような絵を見ました。

巻き立て工事と説明してありましたが、巻き立て?

  

調べました。weblio辞書利用。

「巻き立て」とは、「原木や玉切りした丸太を土場(どば)や貯木場に積み上げること。」

「玉切り」とは?

「立木の伐倒後,枝払いをし,木の特徴に合わせ規定の寸法に切断して素材丸太にすること。

 切断された丸太を玉という。」

しかし、シャフト工事の場合はレンガですね。

絵には、地下にレンガが積み上げられているのが見られました。

  

疏水工事では、田邊朔郎氏(1861~1944)が中心人物として勉強してきましたが、

当然ながら、他にもかかわった人たちがいます。

その人たちの紹介も、館内でしてありました。

  

島田道生(どうせい)氏(1849~1925)の描いた

従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路目論見実測図」という大きな測量図には、

圧倒されました。

説明にはこう書いてありました。

  

明治15年4月から同16年2月にかけて、

島田道生は大津から京都まで地形を測量調査し、この実測図を作成しました。

所々に朱で記されている数字は、琵琶湖の水位と比べた高さを示しています。

彼が計算した三角測量の積算値は、実測値とほぼ一致していました。

北垣知事は島田と共にこの図面を持って東京に出かけ、

農商務省と琵琶湖疏水建設のための協議を行いました。

  

この実測図ができたおかげで、琵琶湖疏水工事が本格的に始まったと言えます。

そのころ田邊朔郎氏は、明治16年に大学を卒業して、

明治19年に疏水事務所工事部長に就任しています。

明治19年に、島田道生氏も疏水事務所測量部長に就任。

2人は協力して疏水工事にあたるようになります。

  

  

田邊朔郎氏一人に目が行っていたものが広がったのは、収穫でした。(つづく)

  

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