2021年12月 9日 (木)

「御巣鷹山と生きる」「けんちゃんのもみの木」読破

    

今日は令和3年12月9日。

    

美谷島邦子さんの本を2冊読みました。

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「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」

(美谷島邦子著/新潮社)

  

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「けんちゃんのもみの木」(美谷島邦子・文/いせひでこ・絵/

BL出版)

   

日航機123便墜落事故で、9歳の男の子を失ったお母さんです。

「御巣鷹山と生きる」から引用していきます。

    

遺族会というと、闘争している印象がある。また、いつも下を向い

ている姿が想像される。しかし、第1回集会で、55歳の夫を亡く

し、一人ぼっちになった妻はこう言った。「事故後3カ月間で喪服

を何度も着た。火葬、個人葬、社葬、合同荼毘・・・・その度に悲

しみに打ちひしがれた姿を期待された。でも、もう下を向きながら

生きていくことに終止符を打ちたい。しっかりと前を向いて、なぜ、

最愛の人が死ななければならなかったかを世に問い、亡くなった人

の分まで生きたい。遺族という文字は削ってください」。

集まった遺族は15人。皆、初対面。この発言で、会場のあちこち

でもれていたすすり泣きが一瞬止まり、静まりかえる。しばらくし

て拍手がおこった。彼女の訴えが採用され、「8・12連絡会」と

命名された。

(36p)

  

青山透子さんが発信する「日航123便墜落の真相を明らかにする会」

の事務局便りの中で、

「日航の広告塔と化してしまった8・12連絡会の美谷島氏」と

表現している美谷島邦子さん。どんな方なのかと思って、

この2冊を入手して読みました。

「8・12遺族会」ではなくて「8・12連絡会」となった

いきさつが書かれた文章です。

そして「8・12連絡会」は36年が過ぎた今も存在しています。

それはすごいことだと思うのですが・・・・。

  

 

「8・12連絡会」の第1回集会で発表されたアピール文に

次の文章がありました。

  

事故調査委員会の原因究明を厳しく監視し、事故原因が曖昧にさ

れてしまうことがないよう見守りながら、日航とボーイング社の

責任を問うていきます。

(37~38p)

   

「8・12連絡会」と青山透子さんの活動は一致すると

思うのですが・・・・。

  

  

ただ「8・12連絡会」は、事故原因が圧力隔壁破壊説だと

している点が気になりました。

   

1985年12月に公表された運輸省事故調の第3次中間報告で、

事故前に隔壁に合計29センチに及ぶ亀裂が存在していたことも明

らかにされた。結局、若干の疑問を残しながらも、告訴の基本とな

る事実関係としては、圧力隔壁破壊説以外の選択肢はなかった。

(54p)

   

これは1985年時点の見解です。

情報が限られた段階では、こう考えるのが当然だったかも。

ただこの文章中でも「若干の疑問を残しながら」」と書いているように、

客室で急減圧がなかった点は疑問に思っています。

現時点で「8・12連絡会」はどんな見解をもっているのでしょう。

    

  

人命を預かる航空輸送産業に対して、安全を求めすぎるということ

はない。私たちは、事故の原因を自らの眼で確認し、事故再発の防

止策を促す活動をしたいと考えていた。

そのため、飛行機のメカニズムについても自らが学ぶ必要性を感じ、

機械に強い20代の遺族たちが集まり、8・12連絡会に「原因究

明部会」という分科会を発足させた。あいまいな調査を許さないと

いう強い決意のもと、事故調査委員会の動きを注視した。連絡会の

目的である、「事故の原因の究明を促す」というアピールを実現さ

せるために、弁護士を含めた遺族たちの航空工学への挑戦が始まっ

た。

(60p)

   

この分科会は、日航123便撃墜説には至らなかったのだろうか。

  

  

つづく

2021年12月 5日 (日)

番画〈548〉〈550〉:チェインレンサーというおもちゃ 世界のコロナ遺児の実態 「青天を衝け㊳」日清戦争の時の日本

    

今日は令和3年12月5日。

    

番画です。

    

〈548〉フィッシャーズ

コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR
YouTube: コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR

 

〇フィッシャーズの動画を見ると、今のトレンドを知ることができる。

 「チェインレンサー」は面白いおもちゃのようだ。

 ドミノにも通じるところがある。

 ただ値段が高そうだ。

〇関連動画を1本載せる。これは番画扱いせず。


YouTube: 興奮せずにはいられない!新感覚・新世代アクションホビー「チェインレンサー」|セガトイズ

〇フィッシャーズはSEGAから提供してもらって

 やっているんだろうな。

 うらやましい状況だ。

 彼らはきっと運がいい人たちだ。

   

 

〈549〉ニュース地球まるわかり

  (2021年12月5日放映)

  

〇特集 世界のコロナ遺児 実態は

 インドネシア インド アメリカ

 日本にいるとあまり感じないコロナ遺児。

 他国では深刻なことになっていた。

 こういうことを知らせるのも、授業では大事だと思う。

〇旅する世界 フランス 願いかなうクリスマスマーケット

 16世紀から行われてきたクリスマスマーケット

 昨年は中止。売り上げがなくてピンチに陥ったが、

 窮状を知った全国からお菓子の注文があって廃業しなくてよかった。

 今年は開催されている。

 

  

〈550〉大河ドラマ「青天を衝け 38 栄一の嫡男」

  (2021年12月5日放映)

  

〇この回で注目したのは2点。

 日清戦争(1894年~1895年)の時代が描かれていた。

 日本の勝利に、街中では市民が大喜びをしていた。

 あのような雰囲気だったんだ。

 そしてもうひとつが、徳川慶喜が東京に30年ぶりに戻ったこと。

 1897年(明治30年)のことだった。

 徳川慶喜はそんなに長く静岡にいたのだと知る。

 徳川慶喜が亡くなるのは、1913年(大正2年)。

 次回は徳川慶喜と渋沢栄一が濃密に接する。

 徳川慶喜の伝記作成が始まる。

 


 

番画〈545〉〈547〉:初号機で発見生活の変化 伊能忠敬の紹介動画 フィッシャーズまたもアスレチック挑戦

        

今日は令和3年12月5日。

   

番画です。

   

〈545〉「池上彰のニュースそうだったのか!!」

  (2021年12月4日放映)

  

〇「初号機」で発見 生活の変化 この先は?

〇さまざまなものの第1号機「初号機」が紹介された。

〇洗濯機

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇掃除機 

 初号機は1931年(昭和6年)誕生。

〇冷蔵庫 

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇電子レンジ

 初号機は1961年(昭和36年)誕生。

 当時の値段で125万円。現在の価格で約663万円。

〇これらの家電の進化によって、女性の働き方が大きく変わった。

 共働きが当たり前になってきた。

〇テレビ

 カラーテレビの発売は1960年(昭和35年)

 初号機は1953年(昭和28年)誕生。

〇携帯電話

 1985年(昭和60年)ショルダーホン

 初号機は1987年(昭和62年)誕生。

 1994年から携帯電話は買い取り制になった。

 それまでは高価だったのでレンタルだった。

〇パソコン

 昔は電話回線でつないでいた。

 接続に時間がかかった。

 AIによって代替される仕事。生き残る仕事。

 生き残る仕事の中に保育士があった。わが娘の仕事は大丈夫だ。

〇お金を下ろす機械

 初号機は1969年(昭和44年)誕生。

 決まった金額しか出てこなかった。

 キャッシュディスペンダー

 1975年(昭和50年)誕生。

 お金を下ろすだけの機械。

〇鉄道に関する機械

 かつては切符は駅員さんから買って、切符を改札で切ってもらった。

 券売機

 初号機は1926年(大正15年)誕生。

 改札機

 初号機は1967年(昭和42年)誕生。阪急北千里駅。

〇在来線特急「こだま」1958年(昭和33年)誕生

 東京大阪間を6時間半で走る。

 行ってすぐに帰ってくるので「こだま」 なるほど!

〇数年後に誕生するであろう乗り物 ドローンタクシー

 

これも授業で空いた時間に見せるのはいいなと思いました。

さすが池上彰さんの番組です。

  

  

〈546〉

【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】
YouTube: 【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】


〇伊能忠敬が天文学の師としたのは高橋至時(よしとき)。

 高橋至時は41歳で亡くなった。

 伊能忠敬の墓は、高橋至時と同じ場所上野源空寺にある。

 本人の希望による。

〇授業では「歴史にドキリ」を見せるが、この動画でも勉強になった。

 伊能忠敬は隠居後に天文学を学んだ。

 私は退職後、何を学ぶかだ。

 動画編集を学ぶのもいいなと思い出した。 

   

   

〈547〉フィッシャーズ

絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!
YouTube: 絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!


〇CROSPO八王子店にやってきたフィッシャーズ。

 ここでもアスレチックに挑戦している。

 施設にとっては、フィッシャーズが挑戦して

 動画にアップしてくれることで、宣伝になるのだろう。

   

「線量計と奥の細道」⑤ 2016年の糸魚川での大火

    

今日は令和3年12月5日。

   

前記事に引き続いて、

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より

引用していきます。

   

  

人生は出会いと別れの連続だ。その後(奥の細道旅行以後)の芭蕉は

伊勢や京都へ足を運び、また江戸に戻るなど、ひとつの地に安住する

ことがない日々を送る。そして元禄七(1694)年、門人のトラブ

ルを仲裁に出かけた大坂で体調を崩し、その人生を終えることになる。

50歳だった。私と同い年で世を去ったのだ。

(356~357p)

    

岩崎弥太郎、五代友厚がともに50歳ほどで亡くなったことを

先日書きました。

松尾芭蕉も50歳だったのです。

長寿の時代に生きる自分は幸運だと思って、

まだまだ頑張って生きたいと思うのです。

まだ60歳代は心身ともにやりたいことができます。

  

  

一方で、こんなこともあった。2016年12月、糸魚川が大火に

飲まれた。一軒の店舗を火元とする火災だったが、強風により延焼

が拡大し、JR糸魚川駅の北側から海浜にいたるまでの市の中心部

が焼失した。人的被害がなかったことは不幸中の幸いだったが、家

屋を失った人々だけではなく、多くのみなさんが厳しい状況に追い

こまれた。宴会や祝いごとなどの自粛ムードが起き、いっさいの商

売が止まってしまったのだ。特に、飲食店や酒屋への影響は大きか

った。大火があったところへ行くべきではない。そんな場所で酒を

飲むのは不謹慎ではないか。そうした意識が新潟県の内外を問わず

生れてしまった。年末年始をまたいでもビールケースひとつ売れな

い。商店主はみな追いつめられた。

そこで、プラムさんと相談して、あることを企てた。燃えてしまっ

た繁華街は仕方ないが、それ以外の店はお客さんを待ちわびている。

不謹慎でもなんでもありません。糸魚川を旅しておいしいものを食

べよう。お酒を飲もう。ネット上でそう呼びかけてツアーを組んだ

のだ。その結果、大型バスをチャーターするだけのお客さんが全国

から集まった。いわば、食べて飲むだけのボランティアである。プ

ラムさんは身を粉にして働き、宿泊先の手配から糸魚川各地の旅ガ

イドまでをすべてやって下さった。そして宴席には、糸魚川が誇る

酒の数々や、「あぐりいといがわ」の珠玉のトマトジュースなどを

大量に提供して下さった。お客さんはみなプラムさんのホスピタリ

ティーに感動し、谷村美術館の仏像に圧倒され、ブラック焼きそば

のとりこになり、一人一人が糸魚川をしっかりと胸に刻んだのだっ

た。プラムさんがいる限り、糸魚川からは光が射し続ける。

(375~376p)

   

2016年の糸魚川の大火はうっすらと覚えています。

でもこのブログでは取り上げていません。

この文章を読んで、将来糸魚川に行くことがあったら、

糸魚川では最近こういうことがあったという歴史として

ちゃんと知って出向きたいなと思いました。

  

   

数えきれない(東日本大震災)の被災者が、デモに訴えるわけでもな

く、テロに走るわけでもなく、ただおのれの手を見ながら立ち上がり、

生活の再建に向けて汗を流している。まさにもの言わぬみなさんの毎

日の努力が、復興基盤の本質なのだ。

だからこそ私は言葉をもって訴えたい。

無言の人々が我慢を重ねている状態に、為政者は寄りかかるべきでは

ない。権力を持った者たちは、訴えようとしない人たちの心の声を把

握するべきだ。

(377p)

   

この文章を後に、筆者は、原子力発電所が本当に危険な場所に

設置されている実態を書いている。そして「あとがき」の最後に

次のように書いています。

   

芭蕉と曾良の旅から300余年。象潟が陸地になったように、日本列

島は方々で形を変えている。世界一の活断層の巣であり、薄皮一枚下

はプレートが複雑にうごめき合っているのがこの列島の正体なのだ。

数えきれないほどの大地震の歴史と、実際に起きた原発事故から、私

たちはなにを学んだのか。危機はすぐ目の前にある。

(378p)

   

ドリアン助川さんの主張は明確です。

もう原子力発電は日本では無理。止めましょう。

被災した人たちを見て、被災した場所の線量計を見て、

そう思ったのでしょう。

  

   

富岡町や大熊町など、かつての強制避難地域への住民の帰還問題も

ある。政府にしてみれば、汚染されていた福島の浜通りに住民たち

が戻ってきた、線量がさがったのです、もう安心ですよ、なんの問

題もありませんよとアピールをする腹づもりなのだろう。

しかし、帰還の目処となる基準値は、チェルノブイリの現在の強制

移住基準値である年間5ミリシーベルトを越える20ミリシーベル

トに設定されている。第一原発が事故を起こすまでは、環境省が指

定した基準値は年間1ミリシーベルトだった。それが突然、20ミ

リシーベルトまで引き上げられたのだ。多くの被災者は、暴投でも

ストライクとなりそうなこの無茶なカラクリを知っている。政府が

理想とする帰還劇など進むはずがないのだ。20ミリシーベルト基

準ならおそらく問題は起きませんと御用学者が希望的観測を語った

ところで、将来に於ける保障はなにもないのだから。

(385~386p)

   

実際に富岡町や大熊町に行ってみて、

帰還は進んでいないことを実感しました。

まだ問題が山積みのところに、

私はのこのこ行ったのだなと思いました。

  

  

以上で「線量計と奥の細道」からの引用を終えます。

  

  

「線量計と奥の細道」④ だれも手を抜いて生きているわけではない

     

今日は令和3年12月5日。

   

前々日の投稿の続きで、

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より

引用していきます。

    

プラムさん曰く、「あぐりいとがわ」が挑む新しい農業には、ふた

つのキーワードがあるのだという。ひとつは限界集落。もうひとつ

は耕作放棄地だ。

糸魚川に限った話ではなく、今、過疎と高齢化は日本中の山里が直

面している問題だ。農地はあってもそこを耕す人はいなくなり、か

つての豊穣の里は茫々たる荒れ地になりつつある。プラムさんたち

はここにもう一度鍬を入れ、同時に人も集める。定年退職などで人

生の節目を迎えた人々と肩を組むのだ。ほんとうは価値がある土地。

ほんとうは労働欲も能力も有り余っているみなさん。このふたつが

結びつくことにより、終わってしまったかのように見えていた地域

と人が再び実りの季節を迎えるのだ。

(284~285p)

   

退職を4カ月に控えて、それからの生き方を考えるときです。

ハーフで働くことを希望していますが、

残り半分の時間をどう活かすかが重要になってきます。

体が動くのは65歳までと聞きます。

今の自分の関心事です。

どこかで自分の能力が活きる場所がないだろうか。

  

   

車は国道からすでに離れており、あるいは運河の橋を一つ渡る度に、

昭和の頃からさほど風景が変わっていないであろう集落が次々と現

れる。自転車に乗ったおじいさん。路地から現れる子供たち。なに

やら話し込んでいる奥様たち。一人黙々と歩く男子高校生。一瞬す

れ違うだけでおそらく二度と会うことはない人たちの生活がここに

ある。そこにある。どこにでもある。だれも手を抜いて生きている

わけではなく、それぞれがそれぞれの町で人生と向かい合っている

のだ。そんなことを思いながら富山の海沿いの暮らしというものを

眺めていたら、新湊の富山新港に出た。

(295p)

   

自分も知らない街に出かけた時には、太字で書いたようなことを

思います。

日々の生活に手を抜かずに真面目に取り組んでいる人たちがいるのです。

自分もこの場所で手を抜かず頑張っていきたい。

   

   

やがて垂井のいう町に入った。小京都と呼んでもいいような古い街

並が続く。訪れてみなければわからないものだなとつくづく思う。

新幹線の車窓からなら瞬時に過ぎてしまう風景のなかに、こんなに

も趣がある町があったのだ。私が歴史に疎いだけなのかもしれない

が、駅前の案内図を見て、ここに美濃の国府があったことを知る。

日本史の教科書をあらためて読み直し、このあたりをもう一度来て

みたい場所だ。

(353~354p)

   

こんな体験をする旅をしてみたいですね。

それには自転車の旅ですね。

  

昨日まで自転車通勤が4日連続。

その日まで、トレーニングは進んでいます。

2021年12月 4日 (土)

日めくりより/ポップコーンが作れるトウモロコシの種類

     

今日は令和3年12月4日。

       

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

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ポップコーンを作れるトウモロコシの種類とは?

   

そうなんだ。

映画「トンマッコルにようこそ」の名シーンが思い出されます。

時は朝鮮戦争真っただ中。

トンマッコル村で遭遇した韓国軍と人民軍(北朝鮮)。

互いに武器を持ってにらみ合いをしますが、

徹夜でのにらみ合いで、睡魔におそわれた人民軍の若手が、

安全装置を外した手りゅう弾を落としてしまう。

爆発か!と思ったら、幸いにも爆発はしませんでした。

何だ、不発弾かと思って、韓国軍兵士が、

その手りゅう弾を放り投げました。

そこは、村人の食料が貯蔵してあった倉庫でした。

不発弾かと思われた手りゅう弾は、そこで大爆破。

倉庫にはトウモロコシがたくさんあったようで、

爆発で吹き飛ばされ、宙に舞いました。

その時、トウモロコシがポップコーンとなって、

人々の上に雪のように舞い降りてきたのです。

にらみ合いの緊張をほぐす、少々滑稽な面もあったシーンでした。

   

今回の日めくりを読んで、

この名シーンはあり得ないことなのかと思いましたが、

でもまあいいか、映画は映画、あのシーンはあれでいいと

思いました。

   

  

これも体験がある人なら知っていること。

ポップコーンを作った体験のある人ならね。

退職後にやって確かめたいですね。

番画〈543〉〈544〉:卵の透明パック発明物語 「ブラタモリ」糸魚川

    

今日は令和3年12月4日。

    

番画です。

    

〈543〉「チコちゃんに叱られる」

  (2021年12月4日放映)

  

〇疑問:白い卵と茶色の卵ってなにが違うの?

〇チコちゃんの回答:卵を産む鶏の種類の違い そりゃそうだけど

〇赤血球のヘモグロビンに由来する色素によって茶色の卵ができる。

〇現在日本では透明のパックに入れて卵が売られている。

 この透明なパックを発明したのは日本人。

 その発明物語が面白かった。

 ただ透明にしたパックでは、卵は割れてしまった。

 パックに卵を入れた時に、卵が浮くようにした方がいいと考え、

 改良をしていまのパックがある。

 この発明物語は、授業で見せてもいいかなと思った。キープしよう。

 

〇疑問:なんで手のひらに線が入っているの?

〇チコちゃんの回答:お母さんのおなかの中で手を握ったから。

〇皮線(ひせん)というそうだ。一生同じではない。

   

〇疑問:なんでハンコを押すのか?

〇チコちゃんの回答:いつ何回押しても印鑑が同じだから。

〇ハンコと印鑑は違う 印鑑は朱肉でできた印影

〇日本のハンコの歴史 最も古いのは金印

 日本独自のハンコは飛鳥時代から。

 しかしハンコは一時サイン(花押)に取って代わられるが、

 戦国時代くらいからまたハンコが使われるようになる。

 そして現在。デジタル社会になってどうなるか。

  

      

〈544〉「ブラタモリ 糸魚川」

  (2021年11月27日放映)

  

〇親不知(おやしらず) 昔は難所だった 加賀街道

 波が穏やかになった時に小走りで通る

 源義経も松尾芭蕉も通った道。

 難所なので、ここを境に東西で文化が違う。

 西:天かす 東:揚げ玉

 西:青いポリタンク 東:赤いポリタンク

 我が家は青いポリタンク 西側グループに入るんだ。

〇糸魚川の街 雁木(がんぎ)が発達 雪が深いから

〇塩づくりが盛んであった。

 糸魚川から松本 塩の道 構造線に沿った道だった。

 海と内陸がつながっていた。

〇翡翠(ヒスイ)日本の国石 糸魚川は日本一の産地

 昭和の初めまでここで産出することが知られていなかった。

 忘れ去られていた。その理由は番組では言っていなかった。

 蛇紋岩の中に翡翠は抱かれるようにできる。

 蛇紋岩から緑の成分をもらう。この緑の部分が宝石の価値がある。

 なるほど。だから貴重なんだ。

〇縄文時代 長者が原 暮らしやすい場所だった

 海岸で拾ってきた翡翠を加工していた。全国に行き渡る。

〇「線量計と奥の細道」を読んで、録画して見ることができた。

 知識の蓄積。

 ※参考:ここでも道草 「線量計と奥の細道」③ 糸魚川の翡翠(2021年12月3日投稿) 

  

   

番画〈540〉〈542〉:「日本沈没希望のひと」⑦ 「世界ふしぎ発見!」に堺田の分水嶺

     

今日は令和3年12月3日。

    

番画です。

   

〈540〉フィッシャーズ

フォレスチックパークというアスレチックの森が忍者レベルすぎて大興奮!!

  

〇森渉さんという俳優・タレントさんが作ったアスレチック。

 森さん、見たことあるぞ。

 SASUKEとかで見たことがあるんだな。

〇フィッシャーズのメンバーは、やっぱりモトキと

 シルクロードは、体が軽いです。

  

     

〈541〉ドラマ「日本沈没 希望のひと」第7話

  (2021年11月28日放映)

  

〇CGを期待しつつ、今のストーリーでもいいかなと思う。

〇日本沈没をするという状況下で、

 秘密裏に移民計画を進めようとする政府。

 確かに、日本沈没が起こるとなると、

 日本人をどうするかとアイデアを出さないといけない。

〇日本の企業を外国に与えることで、

 移民を少しでも増やそうと考えるのはなるほどと思う。

〇どうも9話で終わってしまうようだけど、

 もう少し長くやってほしいドラマである。

 CGをそれでも期待してしまう。

  

   

〈542〉「世界ふしぎ発見!地味にスゴイ!ニッポン分水嶺紀行」

  (2021年11月27日投稿)

  

〇この番組を録画したのは、「線量計と奥の細道」を読んで、

 分水嶺が出てきたからだ。さっそく見た。

〇ひるがの高原(岐阜)に分水嶺を見ることができる流れがある。

〇日本の背骨 分水嶺が北から南に5000kmある。

〇乗鞍岳 標高3026m 最も高い分水嶺

〇乗鞍岳にある不思議な建物で保護されている生き物は?

 答え:クビワコウモリ

〇奥羽山脈は、明治時代の地図では分水山脈となっていた。

〇栗駒山 三途の川 四苦八苦坂 地獄谷 特徴のある山。

 宮城・秋田・岩手にまたがる山 いつかは登ってみたい山

〇すごい!松尾芭蕉が登場

 「尿前(しとまえ)の関」を越えるのに難渋した話。

 芭蕉の句

 「関守に あやしめられて 漸(ようよう)として 関を越す」

 中山越(なかやまごえ)

 封人の家(ほうじんのいえ)も紹介された。

 「線量計と奥の細道」で記述があった。

 封人とは国境を守る代官のこと。

 芭蕉の句

 「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する 枕もと」

〇なんと、堺田の分水嶺も紹介された。有名なんだな、この分水嶺。

 栗駒山に行ったなら、この場所にもぜひ行きたい。

〇分水嶺は「みくまり」と呼ばれていた。

 全国に「みくまり神社」がある。

 「みくまり」は「みごもり」に通じて、子宝を授かると言われる。

〇兵庫県氷上(ひかみ)町 本州で一番低い分水嶺 海抜95m

 「水分れ(みわかれ)」という地名がある。

 丹波霧と呼ばれる霧が発生して、雲海を見ることができる。

 霧の水分によって上等なマツタケが入手できる。

 1本1万5千円以上。

 ここでクエスチョン なぜ大納言小豆のように「大納言」がつくか?

 答え:大納言は切腹しないから 小豆を煮ても皮が破けない

   

2021年12月 3日 (金)

「線量計と奥の細道」③ 『おくりびと』のロケ地 糸魚川の翡翠

       

今日は令和3年12月3日。

      

前々日の投稿の続きで、

「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より

引用していきます。

    

雲行きがまたあやしくなってきたので、駅の方に戻ろうと歩きだせ

ば、どこかで見た洋館風の古い建物がある。初めての風景のように

は見えない街といっても、いくらなんでもこの既視感はあり得ない。

陰気で芸術的なこの建物はみたことがあるような、ではなく、見た

ことがある、のだ。なんと、映画『おくりびと』で山崎努演じる葬

儀屋の社長がフグの白子を網で焼いて頬張っていたあのビルではな

いか。つもり本木雅弘演じる新人の納棺夫が出入りするあの得体の

知れない会社の社屋だ。好きな作品だったので、私は二度観ている。

独特のオーラを放つこの建物にも興味が湧いていた。『おくりびと』

が山形の物語であるとはしっていたが、舞台はまさにこの酒田だっ

たのだ。しばし建物鑑賞をする。

(234~235p)

   

私も『おくりびと』を見ているが、もう過去のこと。

山崎努さんが何かを網で焼いていたことは記憶しているが、

建物は思い出せません。

こういう時はネットで探します。

おくりびと ロケ地ガイド

☝ このサイトが優秀でした。

2008年の映画。

山形県が舞台だったのですね。

いい機会なので、また見てみようかな。

きっとテレビ放送を録画したのがあるはずだ。

  

  

プラムさんがまず連れていってくれたのは、翡翠(ひすい)の美術

館が併設された日本庭園の「翡翠園」だった。糸魚川周辺は古来か

ら翡翠の原産地として知られており、縄文の頃にはすでにこの石を

崇(あが)める文化と暮らしがあったらしい。いわば翡翠はこの地

の歴史的シンボルであり、また装飾や神事のための貴重な宝石であ

り続けた。人間と大地をつなぐ接点、神性と権威が宿る輝き。その

双方が翡翠だったのだ。美術館には原石をはじめ、装飾品や彫刻な

どがずらりと展示されていた。

(278p)

   

「翡翠」という漢字はこのブログで使うのはおそらく初めて。

しかし「ヒスイ」なら昨年登場させている。

覚えていました。

ここでも道草 2日間で2番組を見て、人類と鉄の歴史の勉強(2020年11月27日投稿)

この時は鉄の勉強をしていました。

鉄は貴重品であって、他の地方と物々交換されたことを知りました。

その中に出てきました。

 

新潟のヒスイ。

   

これこそが、糸魚川の翡翠でしょう。

タイミングよく「ブラタモリ」で糸魚川を訪れていました。

録画しました。

きっと翡翠のことが扱われていることでしょう。

「ブラタモリ」を見て、このブログにまた「翡翠」を登場させたい。

2021年12月 1日 (水)

番画〈536〉〈539〉:歴史にドキリ 大塩平八郎 杉田玄白 本居宣長 伊能忠敬 歌川広重

     

今日は令和3年12月1日。

   

NHK for Schoolの「歴史にドキリ」は時々利用していました。

今回は番画扱いで4本。

   

〈536〉歴史にドキリ

大塩平八郎~庶民の反乱~

  

〇授業では「英雄たちの選択」の映像を数分見せていたが、

 こちらの方が数倍わかりやすいので、あらためて見せている。

〇幕府をひっくり返すような文書を老中に送ったが、

 その文書は老中に届かずに散乱した出来事も紹介していた。

 その映像は「英雄たちの選択」でも使われていたものだった。

  

〈537〉歴史にドキリ

杉田玄白・本居宣長~江戸の学問~

  

〇この番組では、杉田玄白の名前のみが出てきて、

 前野良沢は登場しなかった。

 「仲間たち」となっていた。

 授業では2人の名前を覚えさせたい。

 この番組を見せた後に、

 「正月時代劇 風雲児たち~蘭学革命篇~」を見せる順番。

〇本居宣長は教えにくい人。この番組に頼ろう。

  

  

〈538〉歴史にドキリ

伊能忠敬~蘭学の発展~

  

〇なかなか充実した10分間だった。

 前野良沢と葛飾北斎中心で授業を行い、

 伊能忠敬は脇に置こうと思ったけど、

 この番組は見せたいと思った。

〇伊能忠敬の言葉

 「今までだれもやったことのない

 地図作りに取り組み、諸国をめぐる。

 ありがたいことだ」が印象的だ。

 うらやましい人生。生き方。

 似たようなことを言ってみたい。

   

  

〈539〉歴史にドキリ

歌川広重~江戸時代の町人文化・浮世絵~

  

特集ドラマ「眩(くらら)北斎の娘」を使って、

 葛飾北斎を教えたいと思ってきた。

 したがって、歌川広重は脇に置こうと思ったけど、

 この番組は見せたい。浮世絵の作り方も解説してくれている。

〇写楽は紹介されたけど、北斎は全く出てこなかった。

   

   

以上の4本。

NHKはいい番組を作ってくれています。

どのタイミングで見せていこうか。

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