2022年12月11日 (日)

アメリカバイソンをバッファローと言っていたケビン・コスナー

    

今日は令和4年12月11日。

  

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を授業で見せたことで、

疑問が湧きました。

私が見せたのは、先住民が狩りをするところ。

Rimg1538

Rimg1539

この動物を私はバッファローだと言いました。

なぜなら、このシーンの前に、

主人公のケビン・コスナーが「バッファロー!」と叫んで、

先住民にバッファローの群れを見つけたことを

報告するシーンがあるからです。

Rimg1537

でも4クラスの学級に順番に見せていく中で、

これはバッファローではなくて、

アメリカバイソンだと気がつきました。

  

バッファローは、アフリカの勉強で、

ンゴロンゴロ自然保護区の映像で見せました。

Buffalo395781_6401

https://america-info.site/america-bison-buffalo

  

これがバッファローです。

私はちゃんと見せているのです。

映画の動物は明らかに違います。

でも間違いなく、映画の中で「バッファロー」と言っています。

  

なぜ、アメリカバイソンをバッファローと呼ぶのか?

こんな疑問に答えてくれるサイトがありました。

とてもうれしかったです。

アメリカバイソンと水牛、バッファローの違いは?

 

このサイトによると、バッファローというのは

水牛のことだそうです。

したがって、ベトナムの授業で見せた水牛も

バッファローでした。

Vi073534

ここでも道草(2022年10月10日投稿)

   

そしてアメリカ人が、アメリカバイソンをバッファローと呼ぶ理由。

引用します。

 

アメリカバイソン(学名:Bison bison)は、

北アメリカに分布する野牛です。

バッファローとも呼ばれますが、これは通称

  

アメリカには水牛がいないので、野牛のバイソンを

バッファローと呼ぶようになったから。

だから正確に言うと間違いですが、アメリカではバイソンを

「バッファロー」と呼んでいます。

   

なんと、間違いなのですが、通称で、

アメリカバイソンをバッファローと呼んでいるのです。

アメリカ人は。

そしてアカデミー賞をいくつも獲得した

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でも、

通称でバッファローと呼んだようです。

実にまぎらわしい。

でも、アメリカ人の実際のところが知れてよかったです。

  

映画を見せながら、バッファローだと教えたことは、

修正しなくてはなりません。

アメリカ人さん、困りますよ。

   

映画の中で、先住民がバッファローのことを

「タタンカ」と言っていました。

それについて調べました。

Wikipedia タタンカ

そこには次のように書いてありました。

  

北米インディアンのラコタ族の言語で、

アメリカバイソンを意味する言葉。

  

おう!インディアンは間違えていなかったです。

正確でした。

通算8400本目の投稿/東京エレクトロンのCM

    

今日は令和4年12月10日。

  

明日は久々に山仲間との登山。

おなじみの鳳来寺山。

朝早いのに、まだ寝ていない。

もう1本記事を書いて踏んでおきたいことがあります。

この記事で、通算8400本目を踏みたいと思っていました。

  

その内容は・・・

土曜日の晩は、午後10時から、

「情報7days  ニュースキャスター」を見ています。

総合司会の三谷幸喜さんのおしゃべりを楽しみにしています。

この番組を見ていると、必ずこのCMに出合います。

いつもは30秒編ですが、ネットには60秒編がありました。


YouTube: LOVEクロニクル(60秒)

  

先日のオンデーズのCMとおなじ種類の疑問です。

このCMに出てくる男性女性は同一人物か?

どうも私には、人を見る目がないようです。

オンデーズは同一人物だと判明しましたが、

このCMはどうなんでしょう?

だれか知ってたら教えてください。

  

このCMは黒電話から始まり、プッシュ式の電話になり、

ファックスになり、ポケベルになり、

パソコンでのメールになり、ガラケーの携帯になり、

スマホになっていきます。

そして未来。

私は全てを体験しています。

でも黒電話は懐かしいなあ。

誰がでるか。

父親が出たら困るなあと思う気持ちは忘れられませんね。

最初の黒電話で「お付き合いしていただけないでしょうか」と

プッシュ電話の「あら、よろしくお願いします」はいい会話です。

2

1

誰が出るか?

今のスマホ全盛時代では、ありえない心配ですよね。

もう出る人は決まっているのだから。

これはつまらないね。

それともっとつまらないのは、未来の世界。

こんなスマートな未来は、これまたつまらない。

そう思ってしまう私は、古いのでしょうね。

  

おやすみなさい。

2022年12月10日 (土)

今日公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」/もう風化する心配はいらない

      

今日は令和4年12月10日。

  

今日から公開が始まった映画「ラーゲリより愛を込めて」

絶対に映画館で観たいと思っています。


YouTube: 映画『ラーゲリより愛を込めて』予告【12月9日(金)公開】

  

この映画の原作を読んでいます。

ここでも道草 「収容所から来た遺書」1/山本幡男(はたお)(2019年6月20日投稿)

3年前に、この原作のことで10本記事を書いています。

  

原作本は「収容所(ラーゲリ)から来た遺書

(辺見じゅん著/文藝春秋)です。

  

今回、3年前に書いた記事を読み直してみました。

シベリアの収容所で、生きる望みを失わず、

周りを鼓舞していた山本幡男さん。

しかし、病魔が山本幡男さんを襲います。

死を覚悟した山本幡男さんは、

家族に宛てて遺書を書きます。

そして山本幡男さんは亡くなります。

残された遺書。

日本に帰還する時には、

日本語で書かれたものは持ち帰れない規則。

同僚たちは、遺書を暗記します。

そして、何年かして帰還した時には、

山本幡男さんの家族にそれを伝えるのでした。

ラストの10本目の記事の最後には

次のように書いていました。

  

本当にたくさん引用しました。

山本幡男さんのことを書き留めておきたいという気持ちで、

けっこう集中して文章をうちました。

 

本も映像も20年ほど前に入手したものばかりでした。

でも20年も経って、少し風化し始めた今頃に、

こうやってブログで大騒ぎ?するのは価値があるかもしれません。

断続的に誰かが大騒ぎして、それで出来事をつないでいく。

将来誰かが興味を持って、ここに来てくれたらいいなと思います。

   

  

風化を心配していました。

でもその心配はなくなりました。

映画になったのですから、もう大丈夫。

山本幡男さんのことは、多くの人たちの記憶に残ることでしょう。

私も、映画館に行くという行為によって、

この映画が特別なものになって、

一生忘れないでしょう。

   

1998年の「驚きもものき20世紀」は

あらためて名作だったと思います。

山本幡男さんの書いた遺書を暗記したメンバーが、

奥さんのもとへ現れるシーンは忘れられません。

涙なしでは見られませんでした。

そのシーンが映画でどう描かれるか。

泣くだろうな。

2022年12月 9日 (金)

追悼/志垣太郎さん 江原真二郎さん

       

今日は令和4年12月9日。

  

昨日の新聞で志垣太郎さんが亡くなったことを知りました。

何と3月に亡くなられていました。

享年70歳。心不全とのこと。

凛とした顔と声が印象的でした。

  

そして今日、ヤフーニュースで、

江原真二郎さんが亡くなったことを知りました。

享年85歳。

パーキンソン病を患い、晩年はたいへんだったようです。

覚えているのは歯磨きのCM。

【なつかCM】ホワイト&ホワイト(中原ひとみ 江原真二郎)③ライオン 1973

4

もう50年前のCMなんですね。

でも覚えています。

こんな家庭はいいなと思いました。

一緒に歯磨きする家庭なんて、滅多にないです。

  

私のブログは、これからきっと追悼の内容が増えていくんだろうな。

同じ時代を過ごした人たちが、少しずつ亡くなっていきます。

こうやって一人一人見送ることで、新しい時代が来るのかな。

北アメリカの農業の教材研究をネットで

        

今日は令和4年12月9日。

   

地理の授業で北アメリカの農業を教えました。

ここでは、アメリカ合衆国の適地適作の様子を

教えなくてはなりません。

これがなかなか難しい。

  

高校地理の動画ですが、これを見て勉強しました。

166 アメリカ合衆国の農業 地理の羅針盤第18話

これくらい知識を得ておいて、授業づくりです。

  

どうしてもアメリカ合衆国の地図が必要です。

なにかいいものはないかとネット上で探しました。

あるものですね。

無料で使える中学学習プリント 北アメリカ州

1

高校地理はもっと詳細でしたが、中学地理ならこの程度で十分。

カリフォルニアの地中海式農業を加えることにしました。

このプリントのサイトは、北アメリカの工業でも使えそうです。

いいサイトに出合うことができました。

   

センターピボット式のかんがい設備を説明しなくてはなりません。

畑の中央部で地下水を汲み上げて、

長い腕でスプリンクラーによって散水します。

畑は円形状になります。

教科書に写真があるので、その写真を使って説明ができます。

規模が大きく、高校地理の動画が言うには、

アメリカの中央部には南北に無数あると言っていました。

そうなると、グーグルアースでも見つけることができると判断。

探してみました。

見つけました。容易でした。

検索には「アメリカ ネブラスカ レキシントン」とうちます。

そうするとグーグルアースはこの画面に導いてくれます。

2

この画面で、生徒たちは騒然としました。

センターピボットだらけです。

さらにこの画面から、右下に移動すると(南東に動く)、

この画面に出合います。

3

収穫前の青々としたセンターピボットです。

これでアメリカでは、センターピボットが大々的に行われていることが

伝わったと思います。

     

教科書にはフィードロットという聞き慣れない

牛舎の名前が書いてありました。

教科書にはほとんど説明がありません。

困ったものです。

写真は載っていました。

Epson240

「新しい社会 地理」(東京書籍)105p

   

こういう時には、英語の意味で迫ります。

フィードロットは英語で書くとfeedlotでした。

feedは「餌をやる」「餌」の意味でした。

lotは「囲い込む」の意味でした。

牛を囲い込んで、餌を与えることでしょうか。

Wikipedia 肥育場(ひいくじょう)

日本語では「肥育場」と言うようです。

ここの説明を引用します。

  

食肉用として出荷する直前の家畜を囲い込んで運動量を減らした上で、

飼料を与えて太らせる(肥育する)ための施設である。

  

これでおおよそどんなものかわかりました。


YouTube: 農場から食卓までを体験するバーチャルツアー第3弾 カナダビーフフィードロット事業

  

この動画を見て、教材研究は終了しました。

  

ネットのおかげで、教材研究ができました。

2022年12月 7日 (水)

今昔物語/映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」

     

今日は令和4年12月7日。

  

地理の授業で、北アメリカを教えています。

ちょっと違和感を感じたことがありました。

「先住民」という言葉です。

北アメリカの先住民と言えば、

「インディアン」ですが、教科書には全く出てきません。

先住民を教えるために、

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)がいいと思って、

2019年10月24日に

テレビ放映されたものを見せました。

その時に、映画の中では、

「インディアン!」と叫んでいるのに、

字幕には「先住民だ!」となっていました。

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何とも間が抜けたセリフになっていました。

  

ここまできて、さては「インディアン」は差別用語とされ、

使われなくなったのかと思いました。

 

31年前に2万2千円かけて買ったビデオテープを出してきて、

同じ場面を再生してみました。

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やっぱり「インディアンだ!」になっていました。

  

この30年で、変わってしまいました。

いやすでにだいぶ前から変わってきているのでしょう。

  

今日の生徒の反応です。

「インディアン」という言葉に反応が薄いのです。

すでに中学生の世代では、

「インディアン」は死語になっているようです。

  

奥さんに言われました。

「やっぱり古い人が教えとっちゃいかんだに」

  

先日は「アルプスの少女ハイジ」を生徒がほとんど

知らなかったことで、ギャップを感じました。

そして今回の「インディアン」です。

え~、「インディアン」が消えていってしまうのか。

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」では、

「インディアン」と俳優たちは言っていますが、

この映画も古くなって、観る人が減ってくれば、

「インディアン」は本当に消えていくんだなと思います。

  

逆らいたい。

映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を抱えたまま、

人生の最後までジタバタしたいです。

決して私はインディアンを馬鹿にしていません。

差別もしていません。

この映画に出てくるインディアンは尊いです。

2022年12月 6日 (火)

アフリカの奇跡と呼ばれるルワンダ

    

今日は令和4年12月6日。

  

今日はミャンマーのことばかり書いてきましたが、

今回はアフリカのルワンダ。

  

ルワンダと言えば、1994年のルワンダ大虐殺です。

恐ろしい国のイメージがあります。

ところが!今はぜんぜん違っているそうです。

それを伝えようとして、生徒に見せたのが、

この2本の映像です。

  


YouTube: 【ルワンダ虐殺】分かりやすく解説

ルワンダ大虐殺について、中学生に紹介するなら、

この映像がいいなと思いました。

3カ月で、100万人が、残虐な殺され方をした大事件。

  

それから30年。

現在のルワンダはどうなっていると思う?

と、生徒に聞くと、内戦が起こっているのではという声。

  

ところが違うんだな。

「アフリカの奇跡」と呼ばれる発展をしていることを

次の映像で紹介しました。

JICAの映像です。  


YouTube: アフリカ開発教育用教材「みんなが知らないルワンダのこと」

  

ネットでは、「アフリカの奇跡」ルワンダについて、

くわしくレポートをしてくれている人がいました。

授業がすんでしまった後ですが、読んでみました。

鮫島弘子のアフリカビジネス入門2017

5年前の記事ですが、読まなきゃ損です。

  

大虐殺をどう乗り越えたのか?

ヒントが書いてありました。

引用します。

  

社会面では、虐殺の原因となった「2つの民族」という考え方を否定

し、国民全体の和解を図ることで、2度と同じような悲劇が起きない

ことを目指しています。ジェノサイドが起きたときはフツ系政権で、

多数派のフツ系が少数派のツチ系を一方的に虐殺しました。カガメ大

統領はツチ系で、3歳のときに迫害を受けてウガンダに難民として逃

れて育ちました。彼は、国内で復讐の連鎖が起こる構造を断ち切るた

めに「フツ」「ツチ」という区別を否定し、すべての国民が「ルワン

ダ人」であるというアイデンティティを持つよう導いています。結果、

ルワンダ国外には依然として反対勢力はいるものの、ルワンダ国内は、

2000年以降、平和であり続けています。

カガメ大統領は、半ば独裁ともとれるほど強烈なリーダーシップを発

揮し、国の目標を明確に掲げ、改革を進めてきました。

ジェノサイドと国内紛争で徹底的に傷ついた首都キガリを中心に、街

をきれいにする政策をとりました。さきほどお話ししたプラスチック

バッグ廃止と掃除の奨励はその一環です。街並みがきれいなので、キ

ガリを訪ねる外国人に対して、新しいルワンダのポジティブなイメー

ジを伝えることができるようになりました。

    

なるほどです。

カガメ大統領は、2000年に就任したそうです。

調べると、現在も大統領在任中。

1957年10月生まれの65歳。

Wikipedia ポール・カガメ

☝ 反対派を弾圧する面もあるようです。

政治家は評価が難しい。

  

残念ながら、アフリカの勉強は終わってしまいました。

そもそも、中学校の時間数では、

ルワンダのことを詳しく教えるのは難しいかな。

でも、次の機会・・・・あるかな?

またアフリカを教える時には、

この記事に戻ってきて教材研究をして、

特にルワンダのことをメインにアフリカを教えたいな。

「ミャンマー現代史」⑤ 停戦合意を仲介した笹川陽平氏

     

今日は令和4年12月6日。

  

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

12月2日の朝日新聞朝刊に、

ミャンマーのことが記事になっていました。

(紙面をクリックして拡大して読んでみてください)

Epson239

2021年2月にクーデターによって政権を奪取した

ミャンマー軍の最高司令官ミンアウンフラインと、

少数民族のアラカン軍の両方から頼まれて、

日本財団の笹川陽平氏が停戦合意を仲介したという記事です。

 

本「ミャンマー現代史」の中に何度も登場するミンアウンフライン。

記事に登場しました。

現在も、ミンアウンフラインが、実質ミャンマーのトップに

君臨しているというわけです。新聞記事で確認です。

  

笹川陽平氏も「ミャンマー現代史」に登場します。

日本とミャンマーのパイプになる人物が3人挙げられていた、

その一人です。

  

 「パイプ」である笹川が会長を務める日本財団とミャンマーの関

りは、1970年代にさかのぼる。日本財団が力を入れるハンセン

病対策が最初だった。笹川本人はシャン州での学校建設がきっかけ

でミャンマーと関わり、この国の困難に個人的な思い入れを持つよ

うになった。個人的な熱意なため、笹川の活動は人道支援を超えて、

軍事政権指導者との接触にも発展する。軍事政権の指導者タンシュ

エとの会合は二度。一度目は橋本龍太郎、二度目は森喜朗という首

相経験者とともにヤンゴンで会合を持った。会合前に米国から中止

の要請もあったというが、民間人の交流だと押し切った。(中略)

 少数民族武装勢力との全国停戦合意(NCA)交渉にも笹川は関

与する。交渉を支えた国民和平センター(NPC)の施設建設や交

渉上の旅費の支援といったかたちで側面から支援した。日本政府も

、長年の人道支援と軍との関係、さらに日本の政界にも広くネット

ワークのある笹川を頼った。2013年2月には「ミャンマー国民

和解に関し、関係国政府等と交渉するための日本政府代表」に就任。

ミンアウンフラインからも信頼を寄せられ、最高司令官が会談中に

メモをとる数少ない人物として、その名はミャンマーでも知られる。

(244~245p)

  

アメリカが会合を中止要請したのは、

スーチーを監禁している軍事政権への制裁中だったからだと思います。

本の中に出てきた笹川陽平氏が、記事に登場しました。

  

お父さんの笹川良一さんはCMで有名でした。


YouTube: 1980年代CM 日本防火協会 一日一善 「すいすい水曜日」篇  笹川良一 高見山

その息子さんの笹川陽平さんも活動的な方のようです。

1939年1月生まれの83歳。

他国の停戦合意をしてしまうなんてすごい人です。

  

ただ、ミンアウンフラインと民主勢力との仲介は頼まれていないとのこと。

引用した文章にあったように、

ミンアウンフラインから見たら、民主勢力は、

欧米にそそのかされた連中に見えてしまうのでしょう。

この新聞記事からも、ミャンマーの軍事政権はまだ続くと感じました。

「ミャンマー現代史」④ スーチーの父親アウンサン

      

今日は令和4年12月6日。

   

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

 スーチー政権には、多数派の意思を政治に反映させる意味での民

主化を進める意思はあっても、それと少数派の包摂を両立させるバ

ランス感覚には欠けていたといえる。スーチーの民主主義とカリス

マに依存した民主化運動が抱える限界だったのかもしれない。

(162p)

  

スーチー政権下で、少数民族との武力衝突が増えた理由です。

「包摂」とは?

調べていたら「社会的包摂」という言葉に出合いました。

weblio辞書 社会的包摂

意味は次のように書いてありました。

「社会的に弱い立場にある人々をも含め市民ひとりひとり、排除や

摩擦、孤独や孤立から援護し、社会(地域社会)の一員として取り

込み、支え合う考え方のこと。」

つまり、スーチーは、少数派を取り込むという高度な民主主義では

なかったということです。

そりゃあ、難しいよ。

  

 クーデターに反対する市民の姿を目の当たりにして、大義は民主

化勢力にあると多くのひとは感じただろう。クーデターは失敗した

と思っているひともいるはずだ。ところが事態は、期待した成り行

きとは乖離したまま、現在にいたる。

 市民に暴力を振るってまで、軍はミャンマーの何をどうしたいの

か。スーチーはなぜクーデターを防げなかったのか。民主化勢力に

勝機はあるのか。国際社会は事態をなぜ収束させられないのか。こ

れからこの国はいったいどこに向かうのか。

 こうした疑問が浮かんでも、答えがなかなか見つからない。そん

な困惑する事態が、もう一年半以上も続いているのである。本書は

これらの疑問に答えたい。

(ⅲ はじめに) 

   

引用の順番がめちゃくちゃですが、

「はじめに」に書かれた文章です。

中学校の授業で、東南アジアを教えている時に、

「ミャンマーでは、軍がクーデターを起こして、

軍事政権が民主主義の政権を倒しました」

程度は話しましたが、

それ以上のことを知らない自分がいました。

そんな時に見かけたこの本。飛びつきました。

クーデターなんて、今の時代、成功するわけがないとも

思っていましたが、ミャンマーの状態は一向に変わりません。

どうなっているんだと思っていました。

この本では、軍事政権は5年以上、10年とか続くと予想しています。

この本を読むと、そうなのかなと思えます。

日本とは事情が違うのです。

その事情が見えてきました。

  

時代はイギリスの植民地だったころのミャンマーの話です。☟

  

 英領インド全体で進んでいた自治制度の拡大にともなって、ミャ

ンマーでも自治や独立を求める機運が高まった。しかし英国は、自

治についてはある程度認めても、独立を付与する気はなかった。独

立を求めるひとびとは不満を溜めていく。その結果、1930年代

に入って、若い政治活動家たちの運動が急進化、左傾化していった

のも不思議なことではなかった。彼らは暴力革命を通じてでも既存

の支配構造を変えることを目指した。その代表的な政治勢力がタキ

ン党(正式な組織名は「我らビルマ人協会」)である。タキン党の

若きリーダーがアウンサン。スーチーの父親だ。

(17p)  

  

独立の機運が高まったミャンマーでしたが、

問題がありました。

ビルマ人が多数を占めていましたが、他の民族が厳然といました。

さらにはインドや中国からの移民も多かったのです。

同じ国民だという国民意識が、広がらなかったのです。

  

 1942年に日本軍がミャンマーに侵攻した。日本軍は、英国の

統治下では抑え込まれていたナショナリズムの発露を許容し、とき

に煽って、自身の統治に利用しようとした。日本軍政下とその後の

対日抗争で高揚したナショナリズムは、日本の敗戦後に復帰した英

国が抑えきれるものではなく、また、大戦で疲弊した英国に、アジ

アの広大な植民地を維持する国力は残っていなかった。独立運動を

主導したアウンサンは、このチャンスを逃さず、一気呵成に英国政

府との交渉を進めた。そして、1948年1月4日、ミャンマーは

独立する。

 独立はナショナリストたちの長年の夢の実現ではあったが、まっ

たくの見切り発車だった。しかも、肝心のアウンサンが独立直前に

政敵によって暗殺されてしまう(1947年7月19日)。独立交

渉の牽引役で統合のシンボルになりえた指導者を、この新興独立国

は失ってしまった。

(19p)

   

スーチーが、民主化の先頭に立たされたのは、

父親のアウンサンの影響です。

そのアウンサンが、どんな人物で、どんな死に方をしたのかがわかりました。

「ミャンマー現代史」③ 軍は民意を愚民観と陰謀論で見る

   

今日は令和4年12月6日。

  

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

適当に開いたページから引用します。

どこからでも勉強が始まる本です。

  

 スーチー政権の評価はさまざまあるが、そもそもスーチーに対す

る周囲の期待が高すぎた。スーチー自身、自らへの期待も高すぎた

のだろう。民主化のユーフォリア(多幸感)である。国際援助の世

界では、どの国でも政治経済体制が自由民主主義と市場経済に近づ

く(べき)という前提を「移行パラダイム」と呼ぶことがあるが、

ミャンマーの改革に対する世界の反応は、そうした冷戦後のパラダ

イムがいまも健在であることを感じさせた。

 冷静に考えれば、約50年間軍事政権が続いた国が、そう簡単に

変わるはずはない。変化は多くの場合は緩やかで、進歩と後退を繰

り返す。

(148p)

  

そうなんだ。そう思ってしまいます。

どの国も、自由民主主義と市場経済の国になるのがいいんだと。

中国でも、先日、「民主主義!」と叫んだデモがありました。

民主主義が理想の国家だと思い、そこに移行するのを期待します。

でもそこに行きたくても、簡単に行けない国があるのです。

ミャンマーがそうでした。

最近は、そもそも民主主義が本当に理想なのかと疑う記事もあります。

揺らぎます。

   

  

 前任のタンシュエは寡黙だった。20年以上最高権力者の地位にあ

りながら、話すのは軍人に向けた訓示ばかりで、国民に向けた言葉は

ほとんど発することなく、自身の神格化にも興味を示さなかった。世

界で最も目立たない独裁者のひとりだったかもしれない。

 一方で、ミンアウンフラインはよくしゃべる。2017年8月にロ

ヒンギャ危機が発生するまでは、外国メディアのインタビューにも答

えていたし、訪問する外国要人とも頻繁に会い、外遊にも積極的だっ

た。

(153~154p)

  

タンシュエは、1988年から2011年までの

軍事政権のトップだった人です。

肩書は軍最高司令官。

そしてその後を継いで、軍最高司令官になったのが

ミンアウンフラインです。

2011年からの軍事政権のトップに君臨する人です。

  

 最高司令官に就任して以来、軍改革を進めて自信を深めていたミン

アウンフラインに、スーチーは挑戦を続けた。といっても、スーチー

を支える国民の支持は、それだけでは軍の実力行使を抑え込むには十

分ではない。軍は民意をだいたい二通りの見方で理解する。感情的な

振る舞いか、欧米の介入かだ。愚民観と陰謀論と言い換えてもよいが、

こうした見方が続く限り、いかに選挙で勝っても軍が政治に関与しな

くなることは期待できない。

 そんな軍と、非暴力闘争を信念とする勢力との権力争いなのだから、

軍が実力を行使すればいつでも勝つことができる。もちろんそんなこ

とは民主化勢力が一番知っている。スーチーは合計で15年にわたっ

て軟禁され、議員の多くには投獄歴がある。つまり、軍による実力行

使の被害者にほかならないのだ。この非対称的な力関係のなかで、軍

の最終手段の行使を抑止しながら軍中心の体制を変えるという難しい

課題にスーチーは挑んでいた。

(155~156p) 

  

軍の民意の見方は衝撃ですね。

民意を信頼していません。

現在も、軍は、民意をそうやって見ているのでしょう。

  

  

 軍はスーチー政権に不信を強めていった。その最も大きな理由のひ

とつは、軍と少数民族武装勢力との衝突の増加である。

 まず、ロヒンギャ危機があった。2017年8月25日、ラカイン

州北部で紛争が勃発する。

(158p)

  

当時、ニュースで報じられていたと思います。

長く迫害されてきた民族ロヒンギャが、

武装勢力をつくって、軍や警察を攻撃したのです。

軍は即座に掃討作戦を行い、

民間人にも多数の犠牲者が出て、

60万人~70万人の難民が、隣国バングラデシュに流出しました。

その他にも、ラカイン州と呼ばれる場所は不安定でした。

武力衝突が急増していました。

  

 急増の原因はアラカン軍(AA)との戦闘の増加だ。ちなみに「

アラカン」とは現在のラカイン州の西岸の英語呼称で、ポルトガル語

の「アラカオ」から変化したものだと言われている。このラカイン州

の北部にある町ムラウーを中心に、かつて王朝が海上交通で栄えた。

その王朝がビルマ人の王朝であったコンバウン朝に滅ぼされたのが

18世紀後半のことである。ムラウー朝の滅亡と征服の歴史、そして、

ビルマ人中心の国家の周辺で最貧地域のひとつとなった屈辱があって、

ラカイン人はビルマ人への強い対抗意識を持つことで知られる。

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ミャンマーは、多民族国家であることが、

国として不安定な大きな原因になっています。

 

  

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