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2025年5月

2025年5月22日 (木)

20250522本宮山登山 これからは無理して登らない

    

今日は令和7年5月22日。

  

5月は、6月に予定されている富士山登山に備えて、

本宮山に登ろうと決めました。

仕事の休みは木曜日なので、5月8日が最初の実行日。

次は5月15日でしたが、義父の葬儀だったので、

当然、本宮山には行きませんでした。

そして今日。週間天気予報では、雨天だったので諦めかけていました。

しかし、日が近づくに従って、状況が変わり、

午前は雨が残りますが、午後は日も差すとのこと。

午後に行くことにしました。

  

ブログを見直すと、7年前は1時間30分で頂上まで言っています。

十数年前は1時間20分。

40歳代は1時間で登ることを目指していました。

今日も1時間30分を目指して登りましたが、

1時間41分でした。ダメでした。

  

やっぱり歳のせいかな?

体重も重くなっているもんな。

今はこんな実力なんだと納得しないと行けないのかなと

思いました。

登っている後半で、2回、膝に激痛が走りました。

左足の置き方に無理があったので、痛みがあったと思います。

痛みはその時だけで、違和感もありません。

日々、足の筋トレをやっているので、

筋肉が膝をカバーしてくれたと思っています。

  

でも左足をきちんと地面に置けなかったのは、

やはりタイムを意識して、無理して歩いたことが

理由の一つです。

怪我したら、登山が楽しめなくなります。

  

今の実力で歩く。無理はしない。

今日は本宮山に登ってみて、そんなことを思いました。

したがって、下山はゆっくりでした。

すれ違った人に勧められて、林道歩きもしました。

下山時刻は午後5時7分。

山の中に3時間47分いました。

  

今回もいろいろな写真が撮れました。

後日、ブログで載せたいです。

  

そうそう、今晩、山の師匠さんNさんから連絡があって、

富士山登山の日が決まりました。

6月上旬です。(日にちはここには書きません)

閉山中に富士山に登ることが、世間で問題視されています。

ちょっと肩身が狭いです。

遭難した時のために、保険に入っておこうと考えています。

  

今月中に、もう一度本宮山に登り、

仲間と大川入山に登って、あとは体を休めて

富士山に備えます。

  

  

  

  

2025年5月20日 (火)

今まで知らなかったひっつき虫「オヤブジラミ」

    

今日は令和7年5月20日。

  

5月18日の地域の環境美化活動に参加しました。

ヨモギの森のようになった場所に入りこみ、

抜きまくりました。

と、気づいたら、手袋や七分袖のシャツにたくさんの

ひっつき虫がついていることに気がつきました。

このひっつき虫は、どこのどいつだ?

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ほのかな赤色が美しい。

誰なのか調べました。

「オヤブジラミ(雄薮虱)」でした。

「ヤブジラミ」と「オヤブジラミ」があり、

よく似ていますが、オヤブジラミの方が早い時期に

生長するそうです。

この時期に実ができるのはオヤブジラミ。

あのほのかな赤色もオヤブジラミの特徴だそうです。

接眼レンズを職場に忘れてきたので、

この日、実をアップで撮ることはできませんでした。

でも写真を見ると、オナモミと同じようなかぎ針があり。

これによって、衣服や生き物の毛につくようです。

取るのがけっこう大変でした。

  

なぜ「シラミ(虱)」?

野田市 オヤブジラミ(雄藪虱)(セリ科ヤブジラミ属)から引用します。

白い清楚な花を咲かせるオヤブジラミですが、ヤブジラミとは藪の虱

(シラミ)という意味があり、何とも気の毒な名前といえます。これは

果実からきています。果実は先端がかぎ爪状になった剛毛にびっしり

と覆われ、洋服や動物の体によくくっつきます。この姿がまるで虱の

ようで、草やぶに多いのでこんな名前になってしまったのです。ちな

みに名前の頭のオは雄の意味です。

  

久々アタマジラミの姿を見ておこう。

広島市HP シラミ ここから転載。

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トカゲを飼い慣らしている男の子とカブトの幼虫探し

    

今日は令和7年5月20日。

  

通級教室に来る子どもの中に、トカゲを飼っている男の子がいます。

巣箱の中に3匹ほど入っているものを持って、

教室にやってきます。

餌はどうしているのかなと思ったら、

ちゃんとバッタを捕まえて、生き餌を与えていました。

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そんないい環境が気に入ったのか、トカゲは逃げません。

その男の子は、手の上に乗せてトカゲを見せてくれますが、

その手から逃げません。

さらにその男の子は、それぞれのトカゲの性格も表現します。

「おとなしい」「一番動き回る」

どれも同じように見えるトカゲですが、

その男の子には、差異が見えているようです。

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「トカゲには歯があるの?」

と聞いたら、前歯が2本あると教えてくれました。

写真を撮ることにしました。

従順なトカゲなので、簡単に撮影させてくれます。

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下の歯が2本あることがわかります。

飼い慣らされたトカゲだから撮影できたもの。

貴重な写真になりそうです。

4月28日の撮影です。

  

この男の子とは、5月12日に堆肥場でカブトムシの

幼虫探しをしました。

長靴履いて、堆肥場に入り、スコップでほじくりました。

思った以上に出てきました。

太くて立派な幼虫が17匹!

まだ一部を掘っただけですが、容器の数が足りなくなるので

ここで止めました。

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昨年5月24日に、飼っていた幼虫が蛹になっています。

もうそんな時期です。

堆肥場での幼虫探しはここまでかな。

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17匹の幼虫は、1匹1ボトルに入れました。

男の子が5匹持って帰り、自宅飼育。

2匹は4年生の担任の先生に「カブトムシの幼虫をください」と

頼まれていたので、渡しました。

上の写真に蓋のしていないボトルが10本。

そこに残りの10匹がいます。

今はボトルの口はキッチンペーパーで塞いでいます。

  

さあ、羽化を成功させたいですね。

2025年5月19日 (月)

「饗庭塩」というブランド/塩の製法にまつわる吉良家と浅野家

   

今日は令和7年5月19日。

  

前記事の続きです。

「饗庭塩(あいばじお)」というのは、

ブランド名みたいなものなんですね。

Wikipedia 饗庭塩

このサイトを見ると、ちょっと話は複雑です。

俗説では、吉良上野介で有名な吉良義央(よしひさ)が、

吉良領である饗庭で塩田開発を始めたのが饗庭塩の始まりです。

しかし、この付近では、戦国時代から塩づくりは行われていて、

その場所は、現在の西尾市吉田本浜と白浜新田付近であって、

饗庭ではないのです。

現在の地図で、該当する箇所を示します。

Googleマップを使います。

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饗庭は海沿いではないのです。

動画「吉良の塩田 吉良の塩づくりの歴史」


YouTube: 吉良の塩⽥ 吉良の塩づくりの歴史

この動画で出てきた昭和初期の塩田。

(饗庭の文字は私が後づけ)

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吉田本浜と白浜は存在します。

なぜ「饗庭」の名前がついたのか?

ここは疑問点です。

思うに、浜で作られた塩が、製品化されたのが饗庭だったのでしょうか。

2つの浜で取れた塩を集めて、パッケージをした場所かもしれません。

現時点では予想であって、確かめるところまでいっていません。

   

  

さて、有名な忠臣蔵のお話で、

吉良と赤穂の塩をめぐる出来事があったようです。


YouTube: 第10回赤穂事件松の廊下刃傷事件の真の原因は塩だった!


この22分の動画。

繰り返し動画の中で説明されているのですが、

5分22秒がいいかもしれません。

  

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吉良家の「饗庭塩」は品質が高く有名でした。

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赤穂に国替された浅野家は、吉良家に塩の製法を教えてほしいと懇願します。

吉良家は浅野家に製法を伝えます。

  

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その結果、浅野家は塩田経営を成功させます。

  

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赤穂藩の塩田の成功を見て、今度は吉良家が製法を学びたいと

申し出ました。

  

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浅野内匠頭は、吉良上野介の申し入れを拒否します。

当時吉良藩と赤穂藩の塩の製造は、競争状態であり、

しのぎを削っていました。

その緊張状態の中での浅野内匠頭の判断だったのでしょうか。

  

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本当にそこまでやったのかどうか?

  

同じ愛知県ですが、吉良の塩については

ほぼイメージが浮かびませんでした。

いいきっかけだと思って、勉強をしました。

2025年5月18日 (日)

今日はサークル/西尾市「吉良饗庭塩の里」の「饗庭」について

  

今日は令和7年5月18日。

  

今日はサークルでした。

今日の私の報告は、この内容でした。

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全部で11本の記事。1時間半ほど時間をとってしまいました。

2025年7月5日の災厄の日の予知夢については、

すでに知っている方もおられました。

100m以上の津波。

その日、皆さんはどう動きますか?

自主防災会で対応を真剣に考えることは愚かなことですか?

なんのこと?と思う人は、この記事を読んでみてください。

ここでも道草 月) 「私が見た未来」(たつき諒)を知った晩(2024年3月4日投稿)

  

他の参加者のレポートで、一つ取り上げます。

西尾市吉良町の「吉良饗庭塩の里」で、

小学生に塩づくりを体験させた実践が発表されました。

「饗庭」と書いて「あいば」と読みます。

この奇妙な読み方が気になりました。

  

調べました。

  

これは地名のようです。

西尾市吉良町には饗庭があります。

でも不思議なことに「吉良饗庭塩の里」の住所は、

饗庭から少し離れた吉良町白浜新田宮前でした。

饗庭は地名もあり、苗字もありました。

このサイトの説明がいいかなと思います。

神戸新聞NEXT

この記事では、「饗庭」が嵐のメンバーである「相葉雅紀」の

「相葉」にもつながると書いています。

一部引用します。

  

この「相葉」には面白い由来がある。そもそもの由来は「あえのこと」

に因むとみられる。「あえのこと」とは、古くから伝わる農耕儀礼の

1つで、1年の収穫を感謝し、翌年の五穀豊穣を祈って田の神を家に案

内し饗応する行事である。

田の神は見えないため、饗応役は神様がまるでそこに存在しているか

のように振る舞わなければならない。現在でも能登では行われており、

「奥能登のあえのこと」として重要無形民俗文化財に指定され、ユネ

スコの世界無形遺産にも登録さている。

こうした「あえのこと」を行う場所が「あえば」で、漢字では「饗庭」

「饗場」と書かれた。地名も近江や三河など各地にあり、そこに住ん

だ「饗庭」氏も各地にある。

  

神様をもてなす場所を「饗庭」といい、

それが地名になり、苗字になったようです。

「饗庭(あいば)」には「会場」「相葉」などの漢字も当てられたようです。

相葉雅紀さんの苗字につながるのです。

  

吉良町の饗庭は、伊勢神宮に関連するようです。

参考:「角川日本地名大辞典 23 愛知県」

  

  

吉良町の塩作りについては、

赤穂の塩づくりとの関連についても教えてもらいました。

この辺りのことは後日。

今晩は寝ます。

30分夜更かしです。

2025年5月17日 (土)

メーターがゾロ目「111111」km/いつまで今の車に乗るか?

  

今日は令和7年5月17日。

  

5月3日の撮影です。

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山道を走っていて、もうじき「111111」になることをに、

気がつきました。

山道とはいえ、交通量が多く、スペースがなければ駐車できません。

うまく駐車できなければ、ちょうどゾロ目にはなりません。

ドキドキしましたが、どうにかゾロ目のまま駐車できました。

撮影できました。

  

今の緑のスバルフォレスターを乗り始めたのは、

2015年4月1日でした。

参考:ここでも道草 色を冒険したSUV「フォレスター」(2015年5月16日投稿)

10年以上乗ったことになります。

現役の時には、10年前後、10万キロ走行で、

新しい車に変えていましたが、

今回はもう少し乗ろうと思っています。

この10年、いろいろ一緒に体験してきて、

愛着がわいてきたのもあります。

不具合も特にありません。

新しいタイヤに交換した時期も関係あります。

普通タイヤは2年前の2023年4月に新しいタイヤに交換。

スノータイヤは2024年12月に新しいタイヤに交換。

どちらも高価なタイヤです。

ここで車を買い替えるのは、タイミングが良くありません。

 

いっそ、60歳代はこの緑のフォレスターで行くか。

70歳になったら、きっとより高齢者に優しい車が

開発されている可能性があると思うのです。

でもまだ山に登っているだろうから、

アクティブな車もいいだろうな。

車がこじんまりしたら、生き方もこじんまりしそう。

  

2025年5月15日 (木)

今日は義父のお葬式

     

今日は令和7年5月15日。

  

5月12日の午後7時56分に、奥さんの父親が亡くなりました。

ついにその時が来てしまったと思いました。

昨年末に入院。新年になって自宅治療。

それでも容態が悪くなり、3月下旬に再び入院。

瀕死状態でしたが、1ヶ月以上生き延び、

その間に、多くの人たちが父親を見舞いました。

こちらの言うことは伝わっていたようですが、

もう声を出す元気がなく、聞き取れませんでした。

12日晩、血中酸素が上がらず、危険な状態であると病院から

実家に連絡があって、母親とお兄さんが病院へ駆けつけました。

そしてお母さんが言うには「静かに息を引き取った」そうです。

  

13日、14日は休みをいただきました。

15日木曜日はもともと休みの日です。この3日間は、

13日は枕教(まくらぎょう)。

14日は湯灌、出棺、通夜。

そして今日は葬儀、火葬。

午前8時に家を出発して、設楽町に向かいます。

  

お父さんが亡くなっていく姿を見て、

先日見たYouTube「和田秀樹チャンネル」で

和田秀樹さんが言っていた言葉を思い出しました。

  


YouTube: 『患者の壁』人生の主役はあなた自身!

9分18秒からです。

  

「死ぬ」ってみんな怖いと思っているけど、私はたくさんの人の

死を見てきていますけど、最後もがき苦しんで死ぬ人というのは

ほとんどいないですよ。ほとんどの人は、寝たまま起きてこない

形で死にます。

だから死を異常に恐れるよりは、生きている間どれだけ楽しむか

ということが大事。

  

お父さんのこの1ヶ月余りの入院の状態を見てそう思いました。

もがくこともなく、静かに死を迎えたようです。

そしてお母さんが通夜後の食事で言ってました。

「あの人は好きなことばっかりやって、亡くなった」

蜂ぼいとかうなぎ釣りとか、山の自然を味わったお父さんでした。

私も、100歳まで生きて、静かに死にたいです。

お父さんの姿を見るのも今日がラスト。

今から着替えて出発です。

2025年5月13日 (火)

20250508本宮山登山② 気持ちの良い頂上でした

   

今日は令和7年5月13日。

  

前記事の続きで、5月8日に登った本宮山の写真を並べて行きます。

頂上に着いたところからのお話。

  

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私が頂上に到着した時には、私一人でした。

暖かく、それでいて風が吹いて爽やかな天気でした。

私を抜いていった2人の方も、それ以外の登山者も、

奥宮で帰る人が結構いるので、頂上は静かでした。

  

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これはイロハモミジかヤマモミジの可能性が高いと、

チャットGPTが教えてくれました。

あのモミジの葉っぱも、最初はこんな

うらめしや〜みたいな形から広がるのですね。

  

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今日の昼メシ。

水はぽたぽた水。 

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目の前は芝生。登山者が多い時には、

ここに人があっちこっち座るのかな

平日・木曜日の午前中。

後から数人の登山者が来ましたが、静かな頂上で、

のんびりした気持ちで過ごしました。

  

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鉄塔の多い頂上です。

こういうのを見るために登って来る人もいるんですよね。

  

下山開始は午前10時30分。

  

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同じ道を下山しますが、登りに比べて楽ですねえ。

  

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登山道に白い花びらが落ちていました。

見上げると、白い花の木でした。

これはガクウツギの可能性が高いです。

  

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以前にも書いたと思うけど、

二十丁目の下の子のベンチからは、

遠景が見られていい場所でした。

今は木に囲まれて、視界は効きません。

昔、ここからの写真を撮ったと思うけど、

今のところ見つかっていません。

  

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下山でも若者に2人抜かれました。

20年前は抜かれたことがなかったのになあ。

64歳の現実なのだろうな。

  

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午前11時50分。

下山に1時間10分かかる。

今日は訓練だったので、時間を意識しました。

登り1時間39分。下り1時間10分。

どちらも10分短縮して、富士山登山を目指したい。

2025年5月12日 (月)

20250508本宮山登山① 一番しんどい坂は840歩

今日は令和7年5月12日。

   

6月中旬に今年も富士山に登ることになったので、

トレーニングをしなくてはと思って、

5月8日(木)の午前中に登ってきました。

トレーニングが主眼なので、登山口までの

自動車の往復時間が短い本宮山を選びました。

  

富士山では、相棒のNさんのペースについていくには

「もうしんどい!」と思っても、足を動かす必要があります。

その練習には、本宮山の四十一丁目から上は、

最適の練習場所です。

  

できたら1時間30分で登ることを目指したい。

  

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午前8時35分登山口に立つ。

  

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本宮山の前半は、こんな快適な道です。

  

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午前9時4分。

ここまで30分。昔は20分が目標でした。

でもここが全体の3分の1だから、1時間半ペースではあります。

  

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むむ、これはアカメガシワではないぞ。

最近、アカメガシワに興味があり、調べているので,

今の私にはわかります。

  

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若者に抜かれました。

  

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馬背岩(うまのせいわ)

  

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この岩場の中をどう歩くか。

コースはさまざま。

  

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午前9時15分。ここまでで40分経過。

  

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この付近で、年輩の方に抜かれる。今回2人目。

ペースは速くないけど、休まずに登っていく人でした。

私は歩く速度にムラがあると自覚しています。

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風越峠(かぜこしとうげ)

真夏でも、涼しい風が吹く時もあるところ。

  

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三十八丁目。だんだん狭くなる尾根。

   

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赤印のところが山姥の足跡。

足跡のアップ写真。

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う〜ん、最近、この山姥の足跡に、

靴を置いている登山者を見ることが少なくなっていると思います。

皆さん、この伝統を守りましょう。

  

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この階段を登ってすぐに四十一丁目。

五十丁目が奥宮ですが、疲れ度でいくと、

ここが登山道の中ばとも言えます。

ここから上が過酷です。

  

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手水舎(てみずや/ちょうずや)

手水舎から右に登って行きます。

手水舎から歩数を数えてみました。

  

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是が非でも100歩は歩く。顔を上げずに登る。

100歩歩いたら、立ち止まって休み。

周りの景色を楽しむ。

そしてまた100歩。

「もう動かない」と思っても、足を動かす。

とにかく100歩。

その繰り返しが、私の苦しい時の登り方。

絶好の練習場所です。

  

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この訓練の坂の終わりが見えてきました。

ブリキの鳥居です。

  

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午前9時58分。

ここで登りは楽になります。

手水舎からこの鳥居まで840歩。

この期間が本宮山で一番しんどい。

登り始めて1時間23分経過。

  

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お、シャクナゲだ。

   

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この階段を登れば砥鹿神社奥宮。

  

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砥鹿神社奥宮。

午前10時3分。上り始めて1時間28分。

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御神木のスギの周りにシャクナゲ。

よく咲いていました。

  

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全然花のことを忘れていたので、こんなに花を見ることができ、

儲けた気持ちでした。

  

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この坂を登れば頂上。

  

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着いた!

時刻は午前10時14分。

1時間39分経過。

目標の1時間30分に至らず。残念。

でも次回は行けそうな気持ちになれました。

  

今回は、本宮山のおなじみの景色を、

あらためて撮ってみようと思って、

ベタと思われそうな写真を撮った登りでした。

続く。




  



  





   

2025年5月10日 (土)

初めて「レクリエーション吹矢」をやった日

    

今日は令和7年5月11日。

  

今日は初めての体験をしました。

レクリエーション吹矢です。

地元のスポーツクラブの仕事に関わってきました。

以前はキッズスポーツの担当者の一人でした。

中学校に勤務した6年ほど前から、

部活動との両立は難しく、スポーツクラブの仕事から

離れていました。

退職して2年目に、事務局として復活。

事務局なのに、どの種目に参加していない

イレギュラー状態で2年間過ごしました。

そこで選んだのがレクリエーション吹矢。

  

今日は初めてだったので、1からやり方を教えてもらいました。

大きな特徴は、大きく息を吸って吐く体験です。

これは普段やっていない行動です。

普段は、つい浅い呼吸で済んでしまいます。

深い呼吸ができることは、価値があると思います。

肺がしっかり使われている感があります。

姿勢も良くなりそうです。

弓道やアーチェリーにも共通することだと思います。

深く息をすると自然といい姿勢になり、心を集中させて狙いを定め、

瞬間に息を吐きます。

私が今日受けたアドバイスで、一気に息を吐くことです。

その方が、勢いよく直線的に矢が飛びます。

やっているつもりでも、一気に息を吐くのはできていません。

ベテランがやるのを見ると、お見事です。

瞬間に息を吐いています。

次回はここが私の練習するところでしょう。

  

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1階で6本の矢を発射します。

6本のうち5本が当たった出来のいい時の写真です。

得点の中間に矢がある時は、高得点側の得点が採用されるそうです。

従って、この時の私の得点は合計13点。

今日の最高得点です。

  

ここからどこまで腕を上げることができるかな。

  

すぐに動画で勉強。

「レクリエーション吹矢」ではなく、

「スポーツ吹矢」と言っていますが、

同じではないのかな。

なぜなら、今日教えてもらったこととダブります。


YouTube: 免許皆伝《入門編・第1回》「スポーツ吹矢とは(その魅力、呼吸法、基本動作)」

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最後の写真。私の課題である「短く一気に吹く」ところです

次回は5月24日(土)

  

またやりたいことが増えました。