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2024年9月 8日 (日)

「日本文明の真実」④ なぜ日本では翻訳が活発に行われたのか

   

今日は令和6年9月8日。

  

9月6日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳できたのか

ちょっと数え上げただけでも、これほど多数の翻訳書があるわけで

す。

明治の初期にも医学方面の著書訳書は依然として旺盛でした。たと

えば、明治元年には松山棟庵(とうあん)の『窒扶斯(チフス)新

論』、大坂医学校校発行のボードウィンの口述書である『日講記聞」

や海軍病院刊行の『講延筆記』など、あげればきりがありません。

江戸時代で自然科学といえば数学と医学が主でした。維新直後には

物理化学工学などの分野の翻訳も多くなります。日本固有の積み重

ねがあった数学と違い、それらの分野では、日本はもともと欧米に

対抗しえるものは皆無であり、おしなべて欧米の一方的な輸入直訳

だったからです。当時の日本人はそれらの翻訳書によって貪欲に吸

収していきました。

海外の書籍を翻訳するーーー現代人は「そんなの当たり前じゃない

か」と思うでしょう。外国の言葉で書かれた本は、日本語に翻訳し

ないと、みんなが読むことはできませんから、

しかしこの当時、ヨーロッパの書物を翻訳する力は、アジア、アフ

リカなど全世界的に見ても、ほとんどの国が持ち合わせていなかっ

た。

アジアでは比較的文明の高いインドや中国でも、外出版物の翻訳は

ほとんどしていません。自国語に翻訳したのは、日本だけなのです。

「なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳したか?」というところに、

私がこの本で主張したいポイントが集約されております。

日本は身分制度がない国だからこそ翻訳文化が発達した。つまり国

民全体で海外の技術を会得しようという意識が常にあった、という

ことです。

身分制度のある国では、海外の知識を取り入れようとか最新の情報

を知見するとかは、特権階級である上層部がやればいいのです。だ

から翻訳して知識を広めることは、逆効果だった。支配層の力を強

くするためには、貴重な本は翻訳しないで、英語とかドイツ語が読

める一部の支配層が理解して、支配の役に立てればいい。これが世

界の国ぐにの基本的思想です。

つまり身分制度、階級制度のある国では、支配層が被支配層を統治

しなければならない。日本以外の他の国はすべて、支配層が被支配

層を統治していて、厳然たる上下関係がある。したがって海外から

もたらされる新知識を上層部の専有にすることによって、国を支配

するための道具として使ったわけです。

ところが日本には、この支配被支配関係がない。もとから天皇陛下

の下においては、全部同じ「国民」であるという発想ですから。だ

から新知識は国民が等しく読めなければいけないということで、当

たり前のように翻訳するわけです。

(87〜88p)

  

当たり前と思っていた「翻訳」にも、こんな裏話があるのですね。

武田邦彦さんは、たくさん勉強をしているなあと思います。

現代はどうなんだろう。

翻訳は、どの国でも行われているのか。

それとも、日本は、今も翻訳が多いのか。

疑問に思います。

  

そういえば、翻訳に関して、

チャンネル登録している「かしまし歴史チャンネル」で

面白いことを言っていました。

  

明治時代に英語「I love you」を翻訳するのに、

日本人は苦労したとのこと。

日本人で、相手に、「私はあなたを愛しています」なんていう人は

あまりいません。だから、どう訳すかです。

夏目漱石は、「月が綺麗ですね」と訳したそうです。

きりゅうさんが紹介していました。

関連本がありました。

「I love youの訳し方」(望月竜馬著/東京雷鳥社)

この本、図書館にさっそく予約しました。

  

小説丸 日本の翻訳文化って、どこがすごいの?【教えて!モリソン先生 第2回】

このサイトにも面白いことが書いてありました。

  

分かりやすい具体例を言うと、和製漢語だね。和製漢語というのは、明

治以降、日本において欧米の言語の訳として新しく作られた日本語のボ

キャブラリーのことだ。数えきれないほど沢山あるけど、いくつか例を

挙げると、「社会」 (society)、「文化」 (culture)、「文明」 (civili

zation)、「民族」 (folk)、「時間」 (time)、「美術」 (art)、「空間」

(space)、「科学」(science)、「分子」(molecule)などなどが和

製漢語にあたる。

  

翻訳のために、明治時代以降に生まれた和製漢語。

面白そうです。

  

有名な話だけど、「恋愛」という言葉もまた、当時のロマン派の詩人、

北村透谷により「love」の訳として初めて作られたものだったんだ。

それまでは「恋」とか「色事」とかいろいろな言葉があったが、「恋

愛」という言葉はなかったし、動詞としての「愛する」もなかったん

だよ。

  

これまたビックリ。

全然有名な話ではないと思います。

さらにもう一つ引用します。これも驚きです。

 

例えば「である」。私たちが記事、論文、エッセーなどを書くときに

しょっちゅう使う、あの「である」という語尾もそうだ。ドイツ語、

英語、フランス語など、ラテン語を起源とする言語にある「be 動詞」

(copula)は、そもそも日本語にないから(前近代の「なり」、「は

べり」、「だ」、「でござる」等を別としてね)、明治の近代化の立

役者たちは欧米の諸学問を翻訳し導入する際、そのcopulaに当たるよ

うな言葉を作らねばならなかった。

彼らとしては、「近代国家」を創設するために「近代国家的言語」を

生み出すことが必要条件であり、その近代国家的な言語はなるべく西

洋の言語に近い方が望ましいと考えていたんだ。「なり」、「はべり」、

「だ」、「でござる」などはあったけれど、歴史的言葉遣いという

ニュアンスが定着していたため、適切とされず、結局「である」が日

本語の「be動詞」として成立し定着したんだね。

(中略)

「である」の起源説はいろいろあるけれど、尾崎紅葉が初めて使った

という人もいれば、島村抱月や国木田独歩が作ったという人もいる、

いずれにせよ、重要なのは、その当時すなわち明治中期から「である」

が普及するに及んだということだ。

そして、「である」以外にも、明治以前の文章と明治以降の文章を比

較すれば分かるように、文法的、構造的相違点は限りなくあって、そ

の多くの違いは欧米の言語との衝突によって発生したものなんだね。

  

「である」は明治時代生まれなんですね。

それも、翻訳の中で生まれてきた言葉。

いやあ、ビックリです。

  

明治時代に大量に行われた翻訳は、

現代の言葉に大きな影響を及ぼしているようです。

これはこれで、関連本があるようです。

「翻訳語成立事情」(柳父章著/岩波文庫)

この本も図書館に予約してしまいました。

  

武田先生の本から、興味が広がりました。

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