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2024年9月15日 (日)

本「日本海軍はなぜ過ったか」⑤ 特攻 十死零生(じっしれいせい)の作戦

   

今日は令和6年9月15日。

  

前記事に引き続き、

「日本海軍はなぜ過ったか」

(澤地久枝、半藤一利、戸髙一成/岩波書店)

から引用していきます。

  

半藤

鳥巣さんは、特攻の問題をかなり追及していましたね。

澤地

鳥巣さんは頑張ったとは思いますよ。

半藤

頑張ってましたよね。答えのほうは曖昧模糊としたものになってまし

たけれど。特攻については明らかに、海軍が先に決めているんです。

この点だけは、陸軍より海軍が先ですよ。しかも、昭和一九年二月で

す。とにかく早くから考えだしていた。

戸髙

その春には特攻のプランができているんですよ。

半藤

そうです。 飛行機に爆弾積んで突っこませる神風特攻ではなくて、

「回天」や「震洋」、「桜花」などの特攻兵器については、昭和一

九年二月ころに、黒島亀人――この人は、開戦時に連合艦隊の作戦

参謀だった人ですが――という軍令部の二部長、つまり戦備担当の

部長が、特攻兵器の研究をやっているわけです。ですからそのとき

に、澤地さんがおっしゃるように、出したなり帰ってくる手段を持

たないような兵器を、責任のある人が作戦として構想しているので

す。 本当に非人間的です。

そして、それを、海軍中央は平気で認めているんですよ。

(128p)

    

半藤

それがどんどん計画として進むわけですよね。真珠湾攻撃で「甲標

的」という特殊潜航艇を五隻出しましたが、開戦前、山本五十六は

それを許可しなかったんです。帰る手段がない、と。帰る手段がな

い作戦計画はありえない、十死零生というのはありえない、あって

はならないと。帰る手段がない作戦は、指揮する人間として命令し

てはならないことである。責任ある人間のやることではない、とい

うので許可しなかった。責任のとれない作戦は命令すべからず、こ

れは、いくら戦争とはいえ、基本の常識です。 ところが、それを

パッと無視して、昭和一九年二月に特攻兵器を作りはじめるわけで

す。しかも、システムとしてです。 これが変なんだ。

戸髙

自分が決めたという意識を誰も持っていない。これは組織が決めた

んだ、そういう意識だからできるんです。

半藤

だからできるんだね。「俺じゃないんだ」とみんな思っている。

澤地

自分の息子がそれに行くんだ、ということを考えない。そういうふ

うに考えたら、「なんてひどい作戦だ」と誰もが思うはずですよね。

(131〜132p)

  

特攻という作戦も、組織が決めたことで責任逃れして、

実行してしまう。

戦争の恐ろしさです。

特攻隊については、「大西瀧治郎という中将だけに責任を被せるの

ではなくて、組織としてやったことですから、そこのところはきち

んとやるべきですよ。話だけは反省会でもちょこっと出ていました

けど、残念ながら、きちっとそれこそ反省をしていませんね。」

(半藤/140p)とありました。

  

山本五十六さんの言葉が印象に残ります。

「帰る手段がない作戦は、指揮する人間として命令し

てはならないことである。責任ある人間のやることではない。」

平時なら当たり前のことですが、戦争中でも踏みとどまらないと

いけない考え方です。

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