昭和の初めに、桑畑の中に伊奈駅ができた
今日は令和6年7月31日。
私が住んでいる地域は、昔はどんなところだったのか。
豊川市防災センターにある機器を使って見てきた記事の続きです。
今度は大正時代との比較です。
青丸が踏切です。
明治時代には森が広がっていましたが、大正時代になると、
桑畑が広がっているのがわかります。
現在、この地域は住宅街があっちにもこっちにもありますが、
明治時代からこの時代も、赤い矢印のところにしか人家がありません。
近所なので、この場所がどこなのかわかります。
あそこがかつては栄えていた場所なんだと、
しみじみ思います。
続いて昭和初期です。
青丸が踏切です。
相変わらず桑畑が広がっています。
愛知電気鉄道が敷かれ、昭和が始まってすぐぐらいに伊奈駅ができました。
人家があまりない場所に駅ができたんだなあと思いました。
この地図内で、唯一街になっている新屋敷地区の住民が、
利用しやすい位置でしょうね。
この頃の写真が残っているといいなあと思います。
今は地名は「新屋(あらや)」と呼んでいますが、
「新屋敷」と書いてなんと読んでいたのだろうと疑問に思いました。
昭和中期の地図で、気になる道があります。
緑色で示した道です。
私の小学校の時の通学路の一部です。
そのころは「細道(ほそみち)」と読んでいました。
片側は富士紡績のコンクリートの塀があり、
もう片側は他の会社のフェンスが半分あり、
残り半分は森でした。
道は途中で1回坂がありました。
南に向かうときに、登りました。
有刺鉄線があり、私は小学生の頃に、なんかの弾みで
右腕が有志鉄線に刺さって、出血。
病院に連れて行かれて、縫われました。
その傷跡は、今も残っています。
今は「細道」の一部が「新道」となり、
様変わりしました。
我が町内会の地域であり、この「細道」の写真を
どなたかが持っていたらいいなと思っています。
古い世代がいなくなれば、歴史はその分、消えていきます。
細道について語っている私や、自分以上の人たちが
いなくなったら、「細道」は消えてしまう可能性があります。
子どもの時から住んでいた身として、
この地域の歴史を残しておきたいと思います。
それができるのが、電子回覧板です。
町内会地区の歴史を知るための電子回覧板の利用。
絶対に面白いと思っています。
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