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2024年7月31日 (水)

昭和の初めに、桑畑の中に伊奈駅ができた

   

今日は令和6年7月31日。

  

私が住んでいる地域は、昔はどんなところだったのか。

豊川市防災センターにある機器を使って見てきた記事の続きです。

  

今度は大正時代との比較です。

Img_7248

青丸が踏切です。

明治時代には森が広がっていましたが、大正時代になると、

桑畑が広がっているのがわかります。

現在、この地域は住宅街があっちにもこっちにもありますが、

明治時代からこの時代も、赤い矢印のところにしか人家がありません。

近所なので、この場所がどこなのかわかります。

あそこがかつては栄えていた場所なんだと、

しみじみ思います。

  

 

続いて昭和初期です。

Img_7246

青丸が踏切です。

相変わらず桑畑が広がっています。

愛知電気鉄道が敷かれ、昭和が始まってすぐぐらいに伊奈駅ができました。

人家があまりない場所に駅ができたんだなあと思いました。

この地図内で、唯一街になっている新屋敷地区の住民が、

利用しやすい位置でしょうね。

この頃の写真が残っているといいなあと思います。

  

今は地名は「新屋(あらや)」と呼んでいますが、

「新屋敷」と書いてなんと読んでいたのだろうと疑問に思いました。

  

  

昭和中期の地図で、気になる道があります。

Img_7241_2

緑色で示した道です。

私の小学校の時の通学路の一部です。

そのころは「細道(ほそみち)」と読んでいました。

片側は富士紡績のコンクリートの塀があり、

もう片側は他の会社のフェンスが半分あり、

残り半分は森でした。

道は途中で1回坂がありました。

南に向かうときに、登りました。

有刺鉄線があり、私は小学生の頃に、なんかの弾みで

右腕が有志鉄線に刺さって、出血。

病院に連れて行かれて、縫われました。

その傷跡は、今も残っています。

 

今は「細道」の一部が「新道」となり、

様変わりしました。

我が町内会の地域であり、この「細道」の写真を

どなたかが持っていたらいいなと思っています。

古い世代がいなくなれば、歴史はその分、消えていきます。

細道について語っている私や、自分以上の人たちが

いなくなったら、「細道」は消えてしまう可能性があります。

子どもの時から住んでいた身として、

この地域の歴史を残しておきたいと思います。

それができるのが、電子回覧板です。

町内会地区の歴史を知るための電子回覧板の利用。

絶対に面白いと思っています。

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