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2024年3月21日 (木)

本「黒三ダムと朝鮮人労働者」④ 「真説『高熱隧道』」の存在

   

今日は令和6年3月21日。

  

昨日の続きで、

「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、

印象に残った文章を引用していきます。

  

着工した年の一九三七年二月二六日、皇道派青年将校がクーデターを

起こした。七月七日には盧溝橋事件が起きた。いよいよ中国侵攻が本

格化し、関西では軍需品製造のための電力が待たれていた。早期完成

のため、隧道工事が主となる第二工区では同時に何カ所からも掘削し、

昼夜兼行で工事が行われ、さらに、「冬営」が敢行された。日本電力

株式会社取締役齋藤孝二郎土木部長は「一年のほとんど半ばにも及積

雪期を除外しては工程に及す影響であるから、あらゆる危険と不自由

を忍んでも冬営作業は止むを得ない次第である」(「黒部川第三発電所

工事余談」 齋藤孝二郎 一九三八年一二月二日稿)と書いている。

冬期間宇奈月との通行ができない状況は安全面からも問題だと当初か

ら指摘されていたが、はたしてこの冬営が志合谷ホウ雪崩事故、そし

て阿曽原ホウ雪崩事故などを起こし、幾多の犠牲者を出した。

自然環境保全のために着工が遅れたことについて、齋藤土木部長は

「産業風致両立こそ真に黒部を活かす所以なりと信じ、これより実行

して来たもので、私は茲に産業風景是非を論ずることを敢てせぬ」と、

産業と風致とを同時に実現しようとしたのだが、これが多大な犠牲と

辛酸を加重したのだろう。志合谷雪崩事故の少し前に書かれたものだ

が、当初の十字峡水没を避けて、仙人谷にダム建設をすることになっ

た。いずれにしろ高熱隧道の工事は避けることはできなかったかもし

れないが、早期完成を至上命題とするなかで自然保護を要請されたこ

とが工事着工を遅らせ、危険がわかっているのに冬営を強いられるこ

とになり、人命を犠牲にして工事を進めることになった。

(26〜27p)

  

この文章の中に「風致」が出てきます。

「風致」は最近知った言葉です。

ここでも道草 20240218幕山・城山登山/湯河原町の風致地区条例(2024年2月29日投稿)

風致は自然の景色などのおもむき、あじわいの意味です。

黒三ダム・発電所建設にあたって、

産業と風致を両立させようとした結果、

黒部渓谷の景色を壊さないために、

隧道を掘ることが選択されたということでしょうか。

そして冬期の工事。

その結果、300人以上の犠牲者が出てしまいます。

   

志合谷宿舎は合掌造り木造四階建で、側壁だけが厚さ一メートルの無

筋コンクリートだった。 まず屋根が飛ばされ、合宿上部は雪崩に打ち

砕かれて、就寝中の人々とともに志合谷から対岸尾根(対岸尾根は寄宿

舎と同じ高さか、それより低い) までの広い範囲に飛散した。三月に

入り、奥鐘釣山の絶壁の下に建物の一部と遺体が一ヵ所にあるのが発

見された。宿舎下部はその場に倒壊し、ここでも死傷者を出した。隣

接し佐藤組配下喜田組事務所ではコンクリート壁が倒れ、一名が圧死

した。事務所に続き、抗口に直結して別の宿舎が隧道内に建っていた。

また、隧道内宿舎地点から谷に降りる斜度は七〇度でロープなしでは

行動できない。

以上は、北海道大学低温科学研究所の故清水弘教授が作成した『真説

「高熱隧道」」(北海道地区自然災害科学資料センター報告, 7、 pp.

37-521992) の中の一文である。清水教授は、志合谷の実地調査と生

存者の証言を検証し、さらに志合谷に限らず一九七三年ころから約一〇

年間に黒部峡谷各地で起こった雪崩事故の様子を三〇人以上から聞き

取り、科学的考察をもとに報告書を作成した。 そして、吉村昭の「高

熱隧道」の記述と比較して表を作成する。 すでに「高熱隧道」を読ま

れた人は、「オヤッ?小説とは違う!」と思われたであろう。小説とわ

かっていても、人は吉村昭の記述を事実と思い、体験者ですら自分の

記憶を修正、上書きしがちである。

小説「高熱隧道」では、雪崩の威力を以下のように表現する。

「爆風は宿舎の二階から上部をきれいに引き裂いて、比高七八メート

ルの山を越え、宿舎から五八◯メートルの距離にある奥鐘山の大岩壁

にたたきつけた。途中に破片らしきものが何も発見されないことから、

宿舎はそのままの形で深夜の空を運ばれたと想像された。」

ホウ雪崩の爆風に飛ばされた建物が宙を飛び、 大岩壁にたたきつけら

れるシーンは恐ろしいまでリアルに目に浮かび、ホウ雪崩の凄まじさ

と就寝だった人たちが感じたであろう恐怖を感じさせる。 いやいや、

一瞬のことで恐怖を感じることもなかったかもしれない。

だが、これは事実ではない。

(34〜35p)

   

志合谷泡雪崩事故の様子は、吉村昭さんの「高熱隧道」の記述の

イメージが焼きついています。

しかし、違うようです。

宿舎はそのままの形で飛んでいって、

奥鐘山の岩壁に激突したイメージですが、

それだけではなかったようです。

  

この文章中に出てくる「真説『高熱隧道』」

これは偶然ネットで発見していました。

真説「高熱隧道」(清水弘)

ここを見ると、吉村昭さんの記述と、

清水さんが調査した記録の食い違いが、

表によって示されています。

どうやら「高熱隧道」は正確なものではないようです。

  

「真説『高熱隧道』」のラストの記述が気になりました。

引用します。う〜ん、写真を転載します。

Img_4794

Img_4795

  

吉村昭さんの「高熱隧道」の舞台裏を見た感じです。

「高熱隧道」 すごい本に出合ったと感じましたが、

完璧な本ではなかったようです。
  

  

  

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