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2024年3月20日 (水)

本「黒三ダムと朝鮮人労働者」③ 最初は高峰譲吉でした

   

今日は令和6年3月20日。

  

この本の引用も間が空いてしまいました。

「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)

いつ以来か調べました。

ここでも道草 本「黒三ダムと朝鮮人労働者」② 黒三と黒四は「不ニ一体」(2024年2月17日投稿)

1ヶ月余りが過ぎていました。

この本の引用も頑張ります。

  

いち早く黒部川電源開発に注目したのは、福沢諭吉の養子の福沢桃介

だった。一九〇九年に調査に入ったが、あまりに急峻な地形だったこ

とと、別の事業を始めたことから手を引いた。また、三井鉱山が神岡

鉱山の鉛精錬のために水利権を出願するなど、多くの企業が水利権を

得ようと競っていた。

だが、実際に大規模な調査と開発が行われたのは一九二〇年代になっ

てからだった。一九一七年、タカジアスターゼの発見者として知られ

る高峰譲吉が、アルミ精錬の電源を求めて黒部川の水力発電の可能性

に注目して調査に乗り出した。一九一九年にはアメリカのアルコ社と

共同で東洋アルミナムを設立、富山湾に面する良港、高岡銅器の加工

技術、水力発電による電力、豊富な労働力を結合してアルミ産業を興

すという壮大な計画を立てた。一九二〇年には欅平から上流へと水平

歩道の開削を開始、一九二一年には電源開発と地域開発を同時に進め

るために黒部鉄道株式会社を起し、建築資材と人員を運ぶ軌道計画を

立てた。一九二二年には宇奈月をリゾート地として開発する黒部温泉

会社を発足、一九二三年には県中心部の富山市から宇奈月まで鉄道が

開通した。

しかし、第一次世界大戦後の不況のさなか一九二二年に高峰が亡くな

ると、 東洋アルミナムはアルミ事業を断念し、黒部水力株式会社と改

称して電源開発事業を縮小し、温泉開発計画も白紙に戻して、株式は

日本電力株式会社(現・関西電力)に譲渡された。富山県のアルミ産業

の発展という高峰の壮大な夢の実現は、戦後を待たなければならなか

った。(高峰譲吉博士研究会「黒部奥山をひらく」)

(15p)

  

東洋アルミナムが水平歩道を作ったのは、

このような経緯(いきさつ)だったのですね。

高峰譲吉は化学者、薬学博士の顔と、実業家の顔があったのですね。

高峰譲吉については、このサイトが参考になります。

高峰譲吉博士研究会 高峰譲吉ってどんな人?

このサイトから図を転載。

Img_4783

ニューヨークの郊外にある墓地の紹介には

次のように書いてあるそうです。

  

「世界で最初のでんぷん分解酵素(タカジアスターゼ)を1896

に開発したことにより”近代バイオテクノロジーの父”として尊敬を

集め、1901年にはアドレナリンを世界で初めて分離した。また有

名なワシントンの桜を(アメリカに)寄贈したのも博士である。」

  

今朝のニュースと繋がったことがあります。

ワシントンのサクラが満開であるというニュースでした。

例年よりも2週間早いそうです。

向こうは暖冬が続いたようです。

日本は3月になって冷えたので、開花すらしていません。

  

「タカジスターゼ」は、夏目漱石の小説に出てきたぞ。

「吾輩は猫である」の苦沙弥(くしゃみ)先生が常用していました。

アドレナリンもこの人だったのですね。

まさか高峰譲吉に、黒三ダムで出会うとは思いませんでした。

  

黒部川電源開発を引き継いだ日電は、さっそく一九二三年九月に宇奈

月─猫又間一二キロの軌道の開削に着手、上流へと調査を進めた。さ

らに、「黒四」へのルート開発として日電歩道の開削に取り組み(一九

二九年完成)、翌一九二四年には柳河原発電所工事を開始した。猫又で

取水口工事に取り掛かり、洪水やホウ雪崩などの自然災害に阻まれな

がらも、三年後の一九二七年に黒部峡谷最初の発電所が運転を開始し

た。

(15〜16p)

  

日電が日電歩道を作ったことが、ここで確認できました。

ホウ雪崩(泡雪崩)はすでに起きていたのですね。

黒部峡谷、怖い場所です。

  

「黒二」は一九三六年十月末に営業運転を開始、送電を始めたが、そ

の完成を待つことなく、同年九月から「黒三」建設工事が開始され、

完成まで四年以上の歳月を費やした。

工事は欅平に発電所を造り、六キロ上流の仙人谷ダムから水を取り入

れるというもので、険しい地形、冬期の積雪、風致地区ということか

ら工事資材運搬用の軌道をはじめ、ダム以外のすべてを隧道内とした。

また、両地点に三〇〇メートルの高低差があり、河川勾配二五分の一

のため、欅平の山中に内径五・五メートル、直高二二二メートルのエ

レベーター(竪坑)を作り、宇奈月から軌道で運んできた資材をトロッ

コに乗せたまま垂直に移動して、再び上部軌道で仙人谷へ、さらには

黒四ダム工事地点まで運ぶ計画が練られていた。そのため、工事開始

以前から人跡未踏の切り立った崖に調査用の狭い道をつけ、さらに上

流へと調査を進め、一九二八年にはすでに「黒四」地点の調査を開始

し、翌年には日電歩道(仙人ダムー黒部ダム)が完成した。その後、一

九三七年には宇奈月から欅平までの軌道が全線開通した。

(24〜25p)

  

欅平(けやきだいら)には竪坑エレベーターが造られました。

これは今も現役です。

黒ニができたら、黒三、そして黒四。

次から次に、ダムや発電所は造られる計画だったのですね。

もう知らない歴史が、堰を切って私に流れ込んできます。

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