本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」② 私たちの味方?それとも敵?
今日は令和6年1月18日。
前記事に引き続き、
「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」
(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。
「時間だ」
係員が告げ、 門奈を促した。 門奈が哀しそうな眼で立ち上がる。彼と
妻が名残惜しそうに別れの言葉を交わしている時だった。
年少の娘が、何か言いたげに荒井の眼をとらえた。
見返すと、少女の手がふいに動いた。
〈おじさんは、私たちの味方? それとも敵?〉
ハッと胸を突かれた。すぐには応えられない。 娘は、射るような視線
で荒井のことを見つめていた。
門奈の妻が出口へ向かい、二人の娘に手を差し伸べる。 年少の娘も踵
を返すと、差し出された母の手をとり、部屋から出て行った。
「あの娘、何を言ってたんだ?」
係員が目ざとく尋ねてくる。
「ああ私に、おじさんも警官なの? と訊いてきただけです」
咄嗟にそう答えてごまかした。係員も、「そうか」とそれ以上追及し
なかった。(中略)
あの時、門奈の娘が自分に向けた、射るような視線。そして、手話。
〈おじさんは、私たちの味方? それとも敵?〉
自分は、どちらなのだ?
答えられるはずもなかった。
それは、物心がついてから今まで、ずっと纏わり続ける答えの出ない
問いなのだった。
(82〜83p)
この場面を私は見ました。
12月の前編再放送で見たのはこの場面です。
ちょっとドキドキした場面でした。
小説でもいい場面です。
主人公は、父母兄がろう者で、家族で一人聴者という状況で
育ちました。
だから「日本手話」ができるようになったのです。
木工所で建具職人として働く兄のからだは相変わらず頑強そうで、そ
の指は太く節くれだっている。妻の枝里は長かった髪を肩のあたりで
ばっさり切っていたが、それ以外は少しも変わっていない。唯一大き
な変化を見せているのは、やはり息子の司だ。以前会った時は小学校
に上がったぐらいだっただろうか。その頃よりは十センチほども背が
伸びたようだった。
三人とも読経を拝聴する形をとってはいるが、彼らの耳に住職の声は
届いていない。
兄の一家は、「デフ・ファミリー」と呼ばれる、家族全員が生まれつ
いてのろう者の一家だった。
(90〜91p)
「デフ」とは?
調べました。
英語です。deafと書いてデフ。
意味は、聞こえない人、聞こえにくい人。
親の日本語の文章がどこか変だというのは、小学生の頃から何となく
気づいていた。荒井の通っていた小学校には、担任から家庭への便り
というようなものがあり、親からも返信が義務づけられていた。母が
書いたものを提出前に読んで、おかしな表現をと手直ししたのは一度
や二度ではない。それは、助詞や接続語が抜けがちというろう者の特
性から来るものであり、恥ずべきことではないと理解はしていた。
だが、そう思い切れなかったことも確かだった。
自分の親は、人の親より知能が劣っているのではないか。そしてその
子どもである自分もまた、同じなのではないか。否応なしに湧いてく
るその不安を打ち消したくて、必死に勉強をした。 荒井の成績は、
小・中・高を通し、常にクラスで上から五番を下ることはなかった。
だからといって大学などに行けないのは分かり切っていた。その頃に
は父はなく、兄が働いてはいたが、障害者世帯で母子家庭、という家
の状況を考えれば高校まで通わせてもらえたのが奇跡のようなものだ
ったのだ。
(91〜92p)
家族の中で、一人だけ聴者の環境。
予想ができないような苦労があるのでしょう。
この小説で、少しは触れることができました。
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