4年ぶりに役立つ番組/エチオピアが植民地にならなかった理由
今日は令和4年11月23日。
授業では、明日からアフリカを教えます。
4年前に録画した番組が役立ちます。
※ここでも道草 キリマンジャロのことを扱ったドキュメンタリー番組(2022年12月22日投稿)
2018年12月25日に放映された
「スーパープレミアム 桐谷健太 熱帯の氷河 キリマンジャロに挑む」です。
録画した時には見ていなくて、
今回初めて見ました。解凍!
1時間半の番組。
なかなかいい。いや、とってもいい。
全部見せたら、サバンナとキリマンジャロの様子がよくわかります。
何より感動とともに伝えることができます。
でも全部を見せるわけにはいかない。
切り取らなければ・・・無念。
でも、いつか役立つと思って録画した番組が、
こうやって、明日役立つというのはうれしいことです。
楽しみです。
話変わって、アフリカがヨーロッパの植民地に
大部分がされてしまった時に、エチオピアは独立国を守りました。
その様子を、わかりやすく教えてくれているサイトがありました。
※Yahoo!知恵袋です。引用します。
エチオピアの場合、数度にわたってイタリアから攻撃を受けているが、
2度にわたって撃退した事が大きい。例えばエチオピア皇帝メリヌク
2世は1896年にアドワの戦いでイタリア軍を撃破している。 欧米列
強の1つであるイタリアを撃破したという結果は大きく、これにより
エチオピアは列強によるアフリカ分割に巻き込まれずに済み、独立を
維持できたとされる。 ただし、イタリアはその後もエチオピアを狙い
続けた。ファシスト党のムッソリーニがローマ進軍を経てイタリア王
国の実権を握り、独裁者となると、エチオピア侵攻を本格化させる。
1936年になってついにエチオピアは敗北し、イタリアの支配下に屈する。
ここにエチオピアはイタリアの植民地となり、「イタリア領東アフリカ」
とされる地域の中核となった。 ただそれから間もなく勃発した第2次大戦で
イタリア軍は早々に劣勢に陥り、1941年になってエチオピア皇帝ハイレ
・セラシエ2世はイギリス軍と共にアディスアベバに帰還を果たし、
1942年に正式に独立を果たした。よってイタリアの支配下にあった期間
はわずか5年程度でしかない。
いい説明でしょ。
生徒に「なぜエチオピアは植民地にならなかったの」と質問されたら、
答えようと思います。
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