「ペリリュー・沖縄戦記」① ジャップが壕に飛び込んできた時に役立つナイフ
今日は令和4年7月12日。
この本を半分読みました。
「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ著
伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)
ペリリューでの戦いと沖縄での戦いを生き残った
アメリカ軍兵士の体験記。
こんな激しい2つの戦いを生き抜いた人が体験したことは
どんなことなのだろうと思って読み始めました。
今晩までで、ちょうど半分を読みました。
ペリリューの戦いで生き延びて、船に乗ってペリリューを
離れていくシーンまで読みました。
今回は読むのが遅くて、図書館に本を返す日が迫っています。
一度返して、後日また借りて、沖縄での戦いを読みたいです。
引用していきます。
私はアメリカ第一海兵団第五連隊第三大隊K中隊の一員として、中
部太平洋にあるパラオ諸島のペリリュー島と、沖縄の攻略戦に参加
した。本書はその訓練期間と戦場における体験を記したものである。
戦史でもなく、また、私一人だけの個人的な体験談でもない。私と
いっしょに戦争という深淵に吞み込まれていった戦友たちのために、
彼らに代わって語り継ぎたい、そう思って書いたものだ。戦友たち
が評価してくれることを願っている。
(3p)
「はしがき」の冒頭の文章です。
戦友に代わって語り継ぎたいという発想は共感できます。
この戦友の中には、戦争で命を落とした人もたくさんいると思います。
生き残った者の責任として、語ったのだと思います。
ほとんどの者が歩兵に指名され、キャンプ・エリオットかキャンプ・
ペンドルトンの基地へ向かった。だが、仲間の手を借りてトラックに
乗り込んだそのとき、なぜこれほど多くの者が歩兵部隊に所属するこ
とになったのか、その理由に思いいたった者は皆無だった。実のとこ
ろ、われわれはこの先、死傷者が右肩上がりに増えているライフル中
隊あるいは前線部隊の補充要員として、太平洋の戦場へ送られること
になっていたのだ。最前線で戦う運命がわれわれを待っていた。われ
われは、まさしく砲弾の餌食となるべき一兵卒にすぎなかったのだ。
(28p)
訓練が行われる前、まだ戦場の大変さは、わかっていなかったのです。
訓練は徹底を極めたが、初めて実弾を扱ったときはかなり緊張した。
丘の中腹に並べられた空のドラム缶に向かって発射したところまでは
よかった。だが、前方180メートルほどのところで最初の一発がド
カーンと鈍い音を立てて炸裂したとき、私はすぐに、自分がなんとも
恐ろしい兵器を取り扱っていることに気がついた。弾着点から雲のよ
うな黒煙が上がる。鋼鉄の破片が飛び散り、8メートル×16メート
ルほどの範囲で塵の煙を舞い上げた。3発続けて撃ち込むと、約32
メートル四方の範囲に鉄片が飛散した。
「あんなに鉄片が飛んできたら、ジャップもかわいそうなもんだな」
と、気の優しい仲間の一人がつぶやく。
「そのとおり。ずたずたになる。だが敵もすばやく撃ち返してくるこ
とを忘れるな」と軍曹が言った。
そこが戦争と狩猟の違いだと、私は思った。
(34~35p)
兵器の怖さ、戦争の怖さが伝わってくる文章でした。
われわれは「ケイバ―」と呼ばれるナイフのことも学んだ。少人数ご
とに塹壕にひそんで夜をやり過ごすには欠かせない、海兵隊員の友だ。
ケイバ―社が製造しているこの強力なナイフは、幅4センチ弱、刃渡
り18センチほどの刃を備えており、13センチほどの把手(ハンド
ル)は、革を固く重ねたレザーワッシャーでできている。上部ハンド
ガードの刃の側には「USMC」(合衆国海兵隊)の文字が刻印され
ている。大きい割に軽く、見事にバランスがとれたナイフだ。
「歩兵部隊が携帯しているーーーあるいは携帯するのが望ましいーー
ー見てくれのよいナイフの数々についてはいろいろ聞いているだろう。
投げナイフ、短刀、短剣だのだ。だが、ほとんど役立たずだ。このケ
イバ―も、ジャップを切り裂くより、携帯口糧の缶詰を開けるのに使
うほうが多いかもしれない。しかし、いざジャップが壕に飛び込んで
きたら、ほかのどのナイフよりも頼りになる。頑丈で、最高のナイフ
だ。敵がドイツ軍なら戦闘ナイフなど必要ないだろう。しかしジャッ
プが相手となると話は別だ。戦争が終わるまでには、自分か、隣の壕
にいるやつが、侵入してきたジャップ相手にきっとこのケイバ―を使
うことになるだろう。それは保証してやる」。実際、教官の言うとお
りだった。
(37p)
最後の一文が印象的でした。「実際、教官の言うとおりだった」
そこには、狭い塹壕で格闘し、殺されていった日本人兵士が浮かびます。
つづく
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