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2020年12月 6日 (日)

「孤塁」⑤約半数がうつによる休職を経験

  

今日は令和2年12月6日。

  

前記事に引き続き、

「孤塁」(吉田千亜著/岩波書店)より引用します。

   

津波による行方不明者捜索活動の時のことです。

  

捜索中には、カラスがたくさんいた。カラスがいると、遺体がある。

カラスには嗅覚がなく、視力がよいことを上司に教えてもらった。

ゴミ袋が半透明でも、中身が見えるのだという。カラスには、上空

から遺体が見えていたのかもしれない。不思議と捜索の手助けにな

っていた。

(174p)

  

体験者だからわかることです。

  

災害現場で二次災害を受けるのは消防だ、と富樫正明は話す。国・

県・東京電力の被害想定やマニュアルは、「安全」の上にあるただ

のシナリオでしかない。惨事ストレスやPTSDなどの職員へのメ

ンタルヘルス対策も事故前は準備されていなかった。原発事故から

2~3年の間に、係長以上の職員のうち、約半数がうつによる休職

を経験した。

(179p)

  

放射線被ばくの恐怖、捜索による遺体の発見は、

消防士の心を蝕んだと思います。

  

 

この本で涙を流したのは、「エピローグ」でした。

そこの話は引用しません。

またこの本と再会した時に読みたいです。

  

  

ふたたび「あとがき」からの引用をします。

  

初めて双葉消防本部に行った時に話をしてくれたのは、今は退職さ

れた渡邉敏行さんだった。その渡邊さんが、「全員から話を聞いて

もいいよ」と言ってくださったのを真に受け、「本当に全員の方か

らお話を伺いたい」とお願いした。郡山市から浜通りに何度も通っ

たが、双葉消防本部のみなさんが、川内村からどういうルートで郡

山市に搬送したのか、あるいは川内村からどういうルートで大熊町

の現場に向かったのかを、その往復によって私自身が理解する手助

けにもなった。中通りから浜通りに抜けるには、山を越える。「郡

山市への搬送

」や「浜通りへの出勤」は、一言で言えば簡単に聞こえるが、つま

り、1~2時間ほどかけて毎回、山越えをしているのだ。

(205~206p)

  

郡山から浜通りへの往復は、2月の旅行で体験しています。

私にもわかります。山越えでした。

予想以上に時間がかかりました。

  

  

あるシンポジウムで宇都宮大学の清水奈名子さんが、「原発事故に

おいても、男性はかくあれ、というものを押し付けられてしまった」

とジェンダーの視点から示唆してくださった。自らの命や家族を思

い、内心では恐怖を感じ、「逃げたい」と思っていた消防士もいた

ことも改めて考えさせられた。

(207p)

  

そうか、こういう視点もあるのだと思いました。

  

  

以上、最近にはない量の文章を引用しました。

時間はかかりましたが、これぞ道草。

私の時間の使い方だと思います。

 

東日本大震災についていい勉強ができました。

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