「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」② 永田が唱える「軍民一致」
今日は令和2年9月5日。
9月3日の金曜日の晩に、この本を一気に読んでしまいました。
面白くて、自分としては夜ふかしの
12時くらいまで読んでいました。
「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」
(早坂隆著/文春新書)
引用していきます。
諏訪市の東岸に位置する長野県諏訪市が、永田鉄山の故郷である。
文禄元年(1592年)、日根野高吉によって高島城の築城が始
まった。慶長6年(1601年)以降は諏訪氏の居城となり、寛永
3年(1626年)からは徳川家康の六男である松平忠輝が過ごし
たことでも日本史に名を残す。
(11p)
少し前にテレビ番組で、松平忠輝のことを見たばかりだったので、
この文章にピピッときました。
そうでなければ、さらりと読んでいたでしょう。
縁(偶然)は大切にしたいです。
明治28年(1895年)4月17日、日清講和条約(下関条約)
が締結された。戦勝国となった日本は、清国から遼東半島や台湾な
どの領土を獲得。その他、多額の賠償金を得ることもできたが、そ
れらは開国以降、国力の増強に邁進してきた日本が手にした初めて
の具体的な成果であった。
然(さ)して、日本国内は戦勝に沸いた。
鉄山はそんな時代性の中で、少年時代を過ごしたことになる。
しかし、その直後、フランス、ドイツ、ロシアによる「三国干渉」
の結果、日本は遼東半島を清国に返還せざるを得なかった。強力な
軍事力を背景とする三国の恫喝により、日本は血の代償として獲得
した地を強引に奪われたのである。東アジアの利権を巡り、欧米各
国の思惑が激しく交錯した時代であった。
この不条理なる三国干渉という決着点に対して、日本の世論が激
昂したのは当然のことである。
日本国内では「臥薪嘗胆」が、一種の流行となった。
(18p)
今から125年前に、日本で生きていたら、
私も激昂したのでしょうか。冷静ではなかっただろうな。
無論、永田とて戦争を好んでいた訳ではない。寧ろ、その悲惨さ
は欧州滞在の経験を通じて、誰よりも深く理解していた。永田は戦
争を厭(いと)うからこそ、軍事に関する研究や分析を重ね、準備
の肝要なることを繰り返し説いたのである。
(68p)
この本では、永田鉄山については、
このような性格で描かれていました。
永田が唱える「軍民一致」とは、聞きようによっては剣呑(けん
のん)な表現に受け取られるかもしれない。
しかし、これこそが「軍部独裁」ではなく「デモクラシー時代の
軍隊のあるべき姿」であることを永田は定義していた。寧ろ、「国
防を一部の軍人だけが担う」という体制こそ、軍事力が暴走する危
険性を内包するのであり、「国防は国民全体で行う」という国家の
形が最も「民主的」なのだと永田は説くのである。
これが彼の考える「公正」でもある。
永田が長きにわたる欧州滞在で痛感した事柄の一つに、「ヨーロ
ッパ国民の国防に対する意識の高さ」があった。
それに比して日本では、大正デモクラシーという耳触りの良い流
行の中で、「軍人が石を投げられる」ような風潮さえ広がっていた。
国民の国防意識をどうすれば高めることができるのか、永田は深く
苦悩した。
(80~81p)
最近「大正デモクラシー」のことを授業で教えたが、
軍人が軍服を着て街中を歩くのをはばかられたとか、
石をなげつけられたとか、その時代の風潮がわかりました。
この文章のつづきが、また興味深いです。☟
誤解を恐れずに言えば、このような動静の基盤は、現代社会にも
通じる側面があろう。「国防を他人任せ」のように考える日本国民
の声は、今も珍しくない。
(81p)
ふだん全く「国防」について考えていない私は、
確かに他人任せにして、他のことに時間を割いています。
さらに続く。☟
戦後の日本社会において、安易な「平和主義」を鼓舞する層の中
には、永世中立国であるスイスの例を持ち出して国防を語る者が少
なからずいる。しかし、実際のスイスは「非武装中立」ではない。
現今のスイスは「有事の際には、焦土作戦も辞さない」という国
家意志を明確に表明している。国民皆兵が国是であり、徴兵制度が
採用されている。男性の大半が予備役軍人であるため、多くの家庭
で自動小銃が管理されている。
狭い国土の各所には、岩山をくり抜いて建設された軍事基地が張
り巡らされ、国境地帯の橋やトンネルには、有事の際に国境を封鎖
する目的から、解体処分用の爆薬を差し込む設備が整えられている。
2006年までは、家屋の建築時に核シェルターを設置することも
義務づけられていた。
以上のような国防体制は、抑止力としても大きな効果を発揮して
いる。スイスに存する美景と秩序は、こうした国防体制を土台とし
て守られている。
而(しか)して、斯(か)かる国家の形こそ、永田が唱えた「軍
民一致」の正体だったのではないだろうか。スイスは戦前から「非
武装中立」ではなく「武装中立」であったが、この国に駐在した経
験を持つ永田が、こうした姿に自らの理想を重ね合わせたとしても
何ら不思議ではない。
永田の「総動員体制」という思想の内実を理解するための手掛か
りは、スイスの国防体制にあると思われる。
(81~82p)
スイスが参考になっていたことがよくわかりました。
日本の今の平和は、「自分たちで守る」という意識は低いです。
大正デモクラシーの時の庶民もそうだったのではないかと予想します。
他国に囲まれたスイスのような気持ちには
なりにくい国だと思います。
つづく
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