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2020年6月28日 (日)

フロントランナー 18人の子を育んだ「かあか」 その2

   

今日は令和2年6月28日。

     

前記事に引き続き、2020年6月17日

朝日新聞朝刊「フロントランナー」より。

  

ーーー初めて里親になったのは28歳。子どもを授からなかったか

らと。

 診察で不妊とわかったことがきかっけでした。こんなに子ども好

きなのに子を持てない私たちと、「どうして自分にはお母さんお父

さんがいないんだろう」と思う子と。似た苦しみを背負っていると

思ったんです。補い合えると。

 でもね、「不妊だから里親になった」と言われるのは気に入らな

いの。世間はわかりやすい理由を求めるけれど、実子がいてもいい

し、60歳からでもいい。

 産んだ人が育てなければいけない決まりなんてないんです。生み

の親が育てられなかったら、できる人にバトンを渡せばいい。育て

られるようになったら、引き継いでもいい。もちろん、子どもは傷

つきますよ。そこはわかってほしいですが。

 「全てを犠牲にして里親に」と言われるのも違和感があります。

犠牲的精神なんて全然ないですよ。この子たちを育てるのが、私の

生きがいなんだから。

  

  

学校で教えることはできても、里親になる決断はできないだろうな。

  

  

ーーー戸籍上親子になる養子縁組ではなく、なぜ里親を選んだので

すか。

 我が家は財産があるわけでもなく、継いでもらう必要はなかった

し。ただ子どものため、自分たちにできることをしたいという思い

でした。それがここまで続くなんてね。

  

ーーー小1から育てていた歩さん(25)と、4年前に養子縁組し

て親子になりました。

 彼には施設にいる家族3人と、行方不明の母親がいる。たとえ十

数年会っていなくても、成人したら全員の生活費が彼に要求される

かもしれない。少しでも守れたらという思いで縁組を提案しました

が、最初は断られました。「僕の家の問題だから、お母さんには関

係ない」って。2歳から育てた「長女」にも「私が名字を変えたら、

本当のお母さんが私を捜せない」と断られた。昔は「くそ―」と思

いましたよ。「こんなに愛情注いでも、やっぱり実の親がいいのか」

って。でもね、子どもにとって、ルーツというのはそれだけ大切な

ものなんです。そこは尊重しなければならない。

  

なるほどです。

Epson362

  

ーーー発達障害や知的障害など、ハンディがある子を多く育ててき

ました。

 引き受ける子引き受ける子、みな何かあった。負わなくていい心

の傷を負って、子どもたちは我が家にやって来ます。傷ゆえの、後

天的な愛着障害の場合もある。でも、障害があろうとなかろうと、

子育てに変わりはないと思います。障害がない子は里子に、ある子

は施設に、というのは違うと思う。

  

 

35年の実績があるからこそ、こう言えるのでしょう。

たくましいです。

「障害のない子は里子に、ある子は施設に」という流れは

現実にあるのだろうか。

  

  

 でもね、子どもたちが社会に出たときに直面する壁、味わう苦し

みは、私たちの何倍もあるの。この子たちが世に出てつまずく石こ

ろが、小さいものだけになるように。大きな石を、私がなるだけ取

り除いてあげたいんです。そのためなら、私は何でもします。

  

里親魂だと思いました。

 

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かつてドラマで有名になったのですね。

 

以上、勉強になった記事でした。

  

 

  

   

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