「数学教師 井本陽久」を見る/無責任ではない「ありのままでいい」
今日は令和2年3月19日。
また勉強になる番組を見ました。
勉強になり、再確認することができた番組でした。
本年1月7日放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀
数学教師 井本陽久(はるひさ)」です。
見ただけではもったいないと思った言葉を聞き書きしました。
ここに書き留めます。
井本:自分がとにかく授業で一番大切にしていることは、
できるできないじゃなくて、
理解する理解していないじゃなくて、
今考えているかどうか、
ということだけを見ているので、
そうすると授業って変わりますよね。
少なくともずっと黒板で正解をずっと書く授業って
何にも考えてないわけだから。
授業中に生徒が考えている状況をつくるために工夫する。
自分の考えをもつように仕向けていくこと。
今までも気をつけてきましたが、井本先生のように、
時間をたっぷり使う考える時間も生み出したいですね。
授業が終わっても考えているような・・・
社会科ならどのような問いだろうか。
井本:正解か不正解か。
そこで評価するのはあんまり意味が無いというふうに思いますね。
学校でつける評価っていうのは、
求めた答えを出せるかどうかってことなので、
それを正確に再現する力はつくかもしれないけど
別の壁がポンと立ちはだかったときに、
自分でどうにかするってことはできないですよね。
なぜかって。試行錯誤を知らないから。
「施行錯誤」もキーワードだと思います。
そこにはうまくいかない失敗もあるわけです。
失敗をしても、あきらめずに成功に向けて行動することは、
社会人にも大切な力です。
井本:(相手に)用があって、何かするって、
ちょっと(関係が)遠いじゃないですか。
でも用もないのに、訳の分からないことをするっていうのが、
純粋にその子に興味をもっているっていうことですよね。
たぶん興味を持っているよっていうのを、
つまり好き好きっていうのをペタペタって貼りたいっていうのが
たぶん僕の根底にあるんだと思いますね。
不思議なのは、好き好きってペタペタ貼っていると、
もっと好きになるんです。
やってみるといいです。
井本先生、通りすがりの生徒に盛んに触れています。
小突いています。
私にとって「くすぐり(擽り)」は、子どもたちに関心があるぞ、
好きだよという表現だと思います。
勤務校は、ボディータッチ禁止のルールがありますが、
私の大事な指導方法なので、学級ではやっています。
※参考:ここでも道草 この1年間のキーワードは「くすぐり」(2018年3月23日投稿)
井本:学校とか世間っていう評価軸とか取っ払っちゃえば、
(子どもの)魅力はたくさんあるんですよね。
特に自信のない子ほど周りの評価軸を気にするじゃないですか。
だから子どもにとっての大人の意味って、
(子どもが)何かやっていて、ふっと大人の顔を見た時に、
ほほ笑んでもらえることだと思います。
子どもがふっと見たときにほほ笑み返せる、返すこと。
あの瞬間って、めっちゃ大きいですよ。
具体的に大人の態度を示してくれました。
賛成です。
子どもにとって、大人がにこにこして見守ってくれているのは、
安心感が得られてプラスなのでしょう。
微笑みを返すことぐらいしないとね、大人は、教師は。
ナレーター:こうあるべきという社会が決めた評価や価値観。
それにとらわれず、今、目の前にいる子だけを見つめると
井本は決めている。
井本:今のこの子がここにいるのにね、
この子のままでダメなはずがない。
井本:こういう力が必要だ、ていうことを目的に置いて、
教育をするのが教育だとすれば、
子どもは見えなくなるんですよ。
だって見ているのは”こうなってほしい(目標)”というところだから、
それ(目標)を見て、その子を見たなら、
これが足りているか足りていないかという視点でしか、
(子どもを)見れないんですよね。
その子自身が見えない。
なるほどと思います。
目標に重点が置かれると、その子の足りないところに目が行き、
その部分を教育することが目的になってしまいます。
この番組で知った新しい視点です。
さらに次のような視点を示してくれました。
井本:たとえば将来、未来の「社会」っていうのは、
「社会」が先にあるんじゃなくて、
彼ら自身が(将来)暮らしているのが「社会」。
「社会」がこうだから、彼らを(教育しようというのは)、
めっちゃあべこべですよね。
息苦しくないですか。
それって変ですよね。
だから「社会」なんて見なくていいと思います。
「社会」は彼らがつくるものであって、
こちらが(教師が)先に規定するもんじゃない。
そんな感じがするんですね。
井本先生は、手振り身振りで話をしたものなので、
この文面を読んだだけでは意味が通じないかもしれません。
簡単に言えば、「社会に出たら挨拶が必要。しっかり挨拶をしよう」
「社会に出たら我慢が大事。姿勢よく人の話を聞こう」
「社会」はこうだから、こうしようというのはおかしい。
将来の「社会」を作るのは、
その時代に暮らす子どもたちであるという考え方。
この考え方は、数か月前に、尾木直樹先生、西郷孝彦先生が、
テレビ番組で話していました。
私にとっては新鮮な発想でした。
井本先生は、養護施設にもかかわっています。
22年間、月に2回、養護施設に通い、
夕食後、勉強を見ているそうです。
どういうきっかけがあったかは知りませんが、
子どもを教えることが好きなんだと思います。
井本先生はこう言っています。
井本:大人を独占するって経験がたぶん少ないじゃないですか。
お互いに大事にされて、うれしいって感じじゃないですか。
僕も結局そうなんで。
私も養護施設の子どもとかかわります。
お互いに大事にしあえる関係を作りたいです。
ナレーター:井本さんは、いつもありのままでいいと口にする。
それは後悔の中で、子ども達から教えてもらった信念。
井本さんの担任している子で、自殺したいという子がいました。
話を聞くと、優しく優等生の子ども。
その状態をキープするために、他人を気にして、
評価を気にして、疲れてしまったようです。
この体験を経たことで・・・・
ナレーター:井本さんは世間の評価や価値観が、
いかに子どもたちを追い込むかを痛感した。
しかし、痛恨の出来事があった。
その出来事とは。
問題のある子どもを自分の学級で引き受けた井本さん。
その子がかわいい子であるとは思いつつも、
担任としての責任感で、無事卒業させたいという思いで、
「勉強をしろ」「素行を直せ」を言い続けてしまいました。
1年後、その子は学校を去りました。
井本:教師としての責任感みたいなものが、
入っちゃうとだめなんですよ。
見えなくなるんですね。
ナレーター:あれほど憎んでいた、子どもたちを縛る評価や価値観。
それにとらわれ、押しつけてしまった自分。
井本さんは大好きだった学校に通うことができなくなった。
井本:朝起きて、熱を測ると熱があるんですよ。
学校に電話して、きょうはすみません、休みますって言って、
電話切って、しばらくすると熱が下がるんですよ。
”不登校”ってこれだなと思って。
井本先生は不登校になってしまったのです。
それほどの体験だったわけです。
立ち直った井本先生は次のように考えます。
井本:自分がもっている価値観っていうんですかね。
そういうどうしようもない価値観っていうものを
捨ててみたいな、こうじゃなきゃいけないみたいなものを
どんどん子どもを通して捨てさせてもらったので。
本当に子どもたちを通してですよね。僕は完全に。
ナレーター:いつしか心から思えるようになった。
そのままでいい。
そのままがいい。
ナレーター:ありのままでいいというのは、きれいごとで、
無責任のように思える。
でも井本さんの言葉はそう聞こえない。
それは今も自分の中で闘っていて、ありったけの勇気を込めて
伝える言葉だから。
「ありのままでいい」に説得力があるんだろうなあ。
私も目指したい。
それは自分自身にも言えることだと思います。
他人に言うように、自分自身にも「ありのままでいい」と言いたい。
ありのままじゃいけないと思って無理する自分は、
もう見たくないです。
井本先生の発言。
ナレーター:自分の中から追いやったはずの、
できるできないという評価や価値観。
今でもとらわれそうになることがある。
井本:彼ら(こどもたち)を信じるっていうこと、
信じる?重いなあ。
信じるじゃなくて、
いや、もうダメな子なんかいないですよ。
そういう感じですかね。
ダメな子なんかいない。
井本先生は、「プロフェッショナル」とは?と聞かれて、
次のように答えています。
井本:今の君も、これまでの君の人生も
ぜんぶOK、大丈夫。
心から思ってあげられること。
愛ですね。
子どもたちを肯定して、期待している先生だと思いました。
この先生の教育は、異端ではなく、
もうこのような流れになってきていると感じます。
私もこの流れに飛び込んでいきたい。
番組を見ていませんが、
学級経営目標、教職員評価目標等々、
目標ばかりで息苦しく感じてしまいます。
井本さんの考え方、すてきですね。
残りわずかの教員生活、井本さんのようなスタンスでありたいと思いました。
投稿: ハマコウ | 2020年3月22日 (日) 13:31
ハマコウさん、コメントをありがとうございます。
私も残り2年、周囲の評価軸に振り回されないように、
自分らしくやっていきたいです。
思ったこと、実行したことは、
このブログに書き留めて、確認しながら
進めていくつもりです。
贅沢にたっぷり休んでの、2年間。
うまく生きたいです。
投稿: いっぱい道草 | 2020年3月22日 (日) 15:13