« 2020年3月9日 | メイン | 2020年3月11日 »

2020年3月10日

2020年3月10日 (火)

「ひきこもり支援 石川清」⑤ 取材者から支援者になった

  

今日は令和2年3月10日。

  

前記事の続きで、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

石川さんは小さい時から、みんなで一緒に何かをすることが

苦手だったそうです。

学校ではひどいいじめ受けて、人間不信となります。

石川さんは大学を休学して、逃げるように国外へ。

何とフィリピンのマニラ、貧困のスラム街に住みつきます。

ビックリです。

その行動力に驚きました。

   

ここで石川さんは転機となる体験をします。

石川さんは高熱を出して寝込んでしまいます。

そこに周囲の人たちが貴重な食料を持って、

次々に見舞いに来てくれました。

最初は、自分のところにあるものを盗みに来たのかと

疑ったりもしましたが、

彼らの行為は見返りを求めてのものではなく、

どこまでもやさしかったそうです。

  

「人はそれほどひどいものではないかもしれない」

石川さんの心にそんな思いが宿ります。

人をもっと掘り下げたいと、大学卒業後テレビ局に入社して

記者になります。

しかし、組織になじめない石川さんは3年で退職。

フリーで活動するようになります。

そして34歳の時・・・・・ 以下は聞き書きしたものです。

  

ナレーター:家にひきこもる人たちの存在を知る。

  何気なく取材を始めたが、膝をつき合わせて話を聞くうちに

  慄然(りつぜん)とした。

石川:その苦しみたるや、僕が思ったのは

  「フィリピンのスラムの人たちよりも全然苦しんでいるぞ」

  て思いました。

Rimg2123

  物質的には極めて豊かなこの国で、

  しかもそれだけの苦しみを感じている人たちが

  しかも周りの人に気づかれずに暮らしているわけですよね。

ナレーター:周囲から助けもなく絶望する人たち。

  自分に重なるものがあった。

  すい寄せられるようにひきこもる人に次々に会った。

  そんな時、一人のひきこもりの男性と出会った。

  医療機関や支援団体からも見放され、死にたいと訴えていた。

  見て見ぬふりはできなかった。

石川:「どうせ死ぬんだったら、死んでもいいから、その前に

  東南アジアの奥地に行こうか」

  「楽しいよ、おもしろいよ」

  「そういうことを見てから死んだ方がいいじゃないの?」

  みたいな話とかして・・。

Rimg2124

ナレーター:旅に出て3週間ほどたった頃、石川さんの何気ない言葉に

  男性が反応し、突然笑い始めた。

石川:何かが楽しくなっちゃって、

  「笑いの止め方がわかりません」とか言って

  寝っ転がって笑ってみたいなことをやって、

  それで我に返った瞬間、

  「生まれて初めて笑いました」

  「初めて笑ったので、どうやって笑っていいかも分からなければ、

  笑いの止め方のわかりませんでした」

  みたいなそんなこと言っていましたね。 

Rimg2125

ナレーター:その日を境に男性はみるみる変わっていった。

  自分と関わることで、人が死ぬのを止めて、

  生きる希望を見出してくれた。

  自分自身も救われた思いがした。

Rimg2126

  気がつけば、取材者から支援者になっていた。

  専門知識はなく、ただ向き合うのみ。

  「俺で商売するんじゃねえ!」「偽善者野郎!」

  心ない言葉を幾度となく浴びせられた。

  でも彼らを憎む気にはなれなかった。

石川:僕自身もまだまだ元気になりたいと言うか、

  僕自身も決して人に施しを与えるとか

  そういう立場では全然ないですからね、まだね。

  やっぱり一緒に元気になりたいっていう気持ちはすごくありますね。

  突き詰めて言うと、自分も元気になって、できることをやって、

  ひきこもりの子が同時に元気になって、

  これを両立できるから、この瞬間が最高ですよね。

  

  

話しているものを聞き書きしているため、

わかりにくいところもあると思いますが、

番組を見た時にジーンときたシーンです。

自分がかかわったことで、相手がよい方向に進みだすことは、

教師としてはとてもいいことです。

「癒やす」というのがいいです。

究極、人は癒されたいのだと思います。

  

また教壇に立つことができます。

教壇に立つ決心をしました。

できることをやって、

「人を癒やし、人に癒やされる」を体験したい。

 

 

石川清さんの風貌は、向山洋一先生を思い出します。

話し方も似ているかな。

「ひきこもり支援 石川清」④ 「解決は容易ではない」「人は、人に癒される」

今日は令和2年3月10日。

  

昨日の記事の続きで、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

ナレーター:一人の人と心を通わせるには、

  想像を絶するほどの時間と労力を要する。

  たとえひきこもり対策の予算を倍に増やしたとしても、

  解決は容易ではないと石川は言った。

  

それだけひきこもりの人たちの人数が多いということ。

どのような人たちや団体が、ひきこもりに対して動いているのか

私はまだまだ知りません。

この番組をきっかけに勉強をしていきたいです。

私の身近にもひきこもりの子はいます。

何かしてあげたい。

  

  

Rimg2121  

石川さんは言います。

 

石川:ひきこもりの人は、他の人にとって普通と思われることが

  できないんですもん。

  やっぱり情けなくなるし、自分なんて消えてしまいたくなるっていう、

  心理的には飢餓状態となります。

  そういう人たちに必要なのは癒されることなんですね。

  いろんな人と接する機会を持ってもらって、

  その中にいろんな人間いますし、いいことたくさんありますからね。

  それを肌で実感してほしいです、

  五感六感で全部。

  シャワーのように受け取ってほしい気はしますね。

Rimg2122

  

番組では、石川さんは、4年をかけて言葉を交わすことができた

ひきこもりの男性を、沖縄に連れて行きます。

そして石川産の知り合いとの飲み会に出席させます。

そこで、ひきこもりの男性は、優しい言葉をかけてもらいます。

「人は、人に癒される」

男性は、一人沖縄に残って旅を続け、

新しい出会いを楽しむことができました。

彼は癒されて、前進を始めることができたようです。

  

  

なぜ石川さんは、ひきこもりの支援者になったのか。

番組では、石川さんの過去にさかのぼって紹介しています。

次の記事で。

 

 

「独ソ戦」① 空前絶後の第二次世界大戦の主戦場

今日は令和2年3月10日。

  

次の本を読みました。

71fpfpirgl amazon

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)

  

冒頭部分を引用します。

  

1941年6月22日、ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊は、

独ソ不可侵条約を破って、ソヴィエト連邦に侵攻した。以後、

1945年まで続いた、この戦争は一般に「独ソ戦」と呼ばれ

る。ドイツ、ないしは西欧の視点から、第二次世界大戦の「東

部戦線」における戦いと称されることが少なくない。いずれに

せよ、この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、

まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろ

う。

独ソ戦においては、北はフィンランドから南はコーカサスまで、

数千キロにわたる戦線において、数百万の大軍が激突した。戦

いの様態も、陣地に拠る歩兵の対陣、装甲部隊による突破進撃、

空挺作戦、上陸作戦、要塞攻略等々、現代の陸戦のおよそあら

ゆるパターンが展開され、軍事史的な観点からしても、稀な戦

争であった。

(i P)

 

「独ソ戦」というと、映画でも見た「スターリングラードの

戦い」をうを思い出します。

でもこの本を読んで、独ソでのたくさんの戦闘のなかでの、

ひとつにすぎないことがわかりました。

それはそれは、ドイツもソヴィエトも多くの死傷者を出した

過酷な戦争だったことを知りました。

  

  

独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大き

さだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼ

されるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、

それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の

本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイ

ツとソ連とのあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代

以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ

思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。

(ⅱ~ⅲp)

  

  

なぜこのような惨酷な闘争が行われたのか。

まずはドイツ側。

  

こうした悲惨をもたらしたのは何であったか。まず総統アドル

フ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に

優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するため

の戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争と

規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世

界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなけれ

ばならないとした。

1941年3月30日、召集されたドイツ国防軍の高級将校た

ちを前に、ヒトラーはこのように演説している。

  

対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等し

いボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は

未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識

を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかった

し、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題とな

る。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なる

ほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義

いう敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしてお

くことになる戦争などしない。

(ⅳ~ⅴp) 

  

ヒトラーがめざしていたのは「みな殺しの闘争」すなわち

絶滅戦争でした。

それではソヴィエト側はどうか?

  

次の記事で書きます。  

最近の写真

  • Img_9524
  • Img_9523
  • Img_9522
  • Img_9520
  • Img_7972
  • Img_7971
  • Img_7969
  • Img_9488
  • Img_9481
  • Img_9480
  • Img_9479
  • Img_9478

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉