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2020年2月21日

2020年2月21日 (金)

パラリンピック〈22〉 「パラアスリート」⑨  道下美里選手と防府読売マラソン

 

今日は令和2年2月21日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラマラソンランナー 道下美里 みちした・みさと】

  

ふたり(道下美里と夫の孝幸)は、孝幸の地元である福岡に新

居を構えることになった。左目でわずかに光を感知できる道下

は、買い物から料理まで、家事の大半をひとりでこなしている。

料理には黒と白、2枚の俎板(まないた)を使う。白っぽい食

材は黒い俎板に、色の濃い食材は白い俎板にのせると食材の輪

郭がはっきりする。その輪郭を頼りに包丁を入れていく。

(176p)

  

この克服の仕方がすごい。

人はどうにかするものなんだと、人間の力を思い知りました。

  

  

ブラインドランナーとはいえ、2時間56分14秒という世界

記録をもつ道下は相当に速い。サブスリー(3時間切り)が夢

と言われる市民ランナーのレベルで道下の高速練習のパートナ

ーを務めるのは難しい。

(179p)

  

道下美里さんは、先日世界記録を更新しました。

ここでも道草 パラリンピック〈13〉 道下美里選手優勝(2020年2月3日投稿)

  

  

長い距離をひとりで走り抜くマラソンは、孤独な競技という印

象が強い。しかし、不空の伴走者と走るブラインドマラソンは、

健常者のマラソンとは質的に異なるスポーツ、つまりチームス

ポーツなのかもしれない。そして、伴走という行為は、想像以

上に高度なスキルが要求されるものなのかもしれない。

(183p)

   

これも新しい視点です。

ブラインドマラソンは、競技中であってもチームスポーツ。

  

  

(チーム道下のキャプテン)樋口(敬洋)によれば、、道下は

2012年の防府読売マラソンへの参加を、最初は断られたの

だという。伴走者つきで走るという前例がなかったため、安全

を保障できないというのが拒否の理由だった。

「僕(樋口)は頭にきて、『そんな大会に出なくていい』と言

ったのですが、道下さんは江口さん(大濠公園ブラインドラン

ナーズクラブメンバー)の伝手(つて)で自ら防府市長に会い

に行って、市長の心を動かしてしまったんです」

以降、防府読売マラソンはブラインドランナーの参加に積極的

になり、いまや女子ブラインドマラソンの日本選手権大会とし

て位置づけられるまでになった。

(191p)

  

昨年の12月の防府読売マラソンを道下選手は走っています。

道下選手と防府読売マラソンとの関係が知れてよかったです。

それと、「防府」をずっと「ぼうふ」と読んでいました。

「ぼうふ」ではなくて「ほうふ」なのですね。

第50回記念 防府読売マラソン大会HPより ☟

5  

「(兼)第20回日本視覚障がい女子マラソン選手権大会」

とあります。

20回?

防府では少なくとも2012年より前は視覚障害の大会は

行っていません。

20回はいろいろな会場での大会の積み重ねと予想されます。

その歴史が知りたい。

ネットで調べた限りでは、

「防府読売マラソン大会(兼)日本視覚障がい女子マラソン

選手権大会」となったのは、

第48回防府マラソンの時までさかのぼれました。

日本視覚障がい女子マラソン選手権大会は第18回です。

第17回以前がいつどこで行われたのかは

今のところ不明です。

  

樋口の長男は広汎性発達障害という病を抱えている。いわゆる自

閉症である。中学3年生で身長は180センチもあるが、樋口と

も幼児なみのコミュニケーションしかとれない。ストレスがかか

ると奇声を発してパニックを起こしてしまうという。

「知的障がい者に対する理解は、身体障がい者に対する理解より

ももっと低いと思います。でも僕は、道下さんの生き方に出会っ 

て、人間、こんなに変われるんだって驚いたんです。だって6,

7年前まで普通の女の子だった彼女が、いまや世界のトップアス

リートなんですよ。そのことが僕自身の希望になっているし、息

子の未来を信じる力にもなっているんです」

樋口は自閉症への理解を広めるため、多忙な歯科医業の傍ら、全

国を飛び回って講演活動を続けている。

(192p)

 

こんな方でした。☟

effect 正真正銘のサポートランナー//〈TEAM 道下〉樋口 敬洋さん    

  

パラリンピック〈21〉 「パラアスリート」⑧ ボッチャの普及について

 

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【ボッチャ選手 江崎駿 えざき・しゅん】その2

  

(駿の父親の)泰秀が言う。

「初めてボッチャって聞いたときは、かわいい名前だなと思っ

たものですが(笑)、いまはパラスポーツのなかでも特別な競

技なのだと思っています。パラアスリートには『俺は障がい者

じゃない』と主張する人が多いし、実際、健常者がかなわない

運動能力の持ち主はたくさんいます。でも、ボッチャはあくま

でも障がい者のスポーツであり、ボッチャの選手はアスリート

ではあるけれど、あくまでも障がい者なのだと思うのです。健

常者に勝とうとするのではなく、障がい者として自分ができる

ことをやろうというのが、ボッチャの世界ではないでしょうか」

多くのパラスポーツは健常者を障がい者向けにアレンジしたも

のだが、ボッチャはそもそも障がい者のためにつくられたスポ

ーツであり、それゆえに高齢者や子どもも参加できる「間口の

広さ」をもっている。それこそが、ボッチャの魅力であり可能

性でもある。

(142~143p)

  

なるほどなるほどです。

  

  

現在、千葉県立東金(とうがね)特別支援学校に勤務している

古賀(稔啓/としひろ)は、日本に初めてボッチャを”輸入”し

た人物である。

(中略)

古賀は1997年に日本ボッチャ協会を設立して理事長に就任

すると、1999年に第1回の日本選手権を開催している。世

界的に見れば、ボッチャはすでに1992年のバルセロナパラ

から正式種目に採用されているが、日本代表が初めてパラリン

ピックへの出場を果たしたのは2008年の北京パラ。古賀が

協会を設立してから、実に11年後のことであった。

(150p)

  

私のブログで、「ボッチャ」が初登場したのは、

2015年の6月でした。(いい機会なので再読します)

ここでも道草 特別支援学校に行ってきました(2015年6月11日投稿)

まだ日本では20年ほどのスポーツです。

しかし、リオパラリンピックでの日本チームの活躍で、

有名になりました。

  

  

奥田(邦晴/大阪府立大学教授)が目指そうとしているボッチ

ャの世界とは、いったいどのようなものだろうか。

「2020年までのショートタイムで言えば、とにかく勝たせ

ることですね。日本代表が金メダルを取ることによってボッチ

ャがメジャーになり、障がい者がリスペクトの目で見られるよ

うになる。しかも、ボッチャは障がい者だけでなく高齢者でも

子どもでもできるスポーツですから、強制社会の実現に貢献で

きる。ボッチャには社会を変えていく力があるんですよ」

ボッチャが誰にでもできるスポーツであり、やってみると面白

いことはすでに体験済みだ。奥田は競技ボッチャではなく誰も

が楽しんでやれるボッチャのことを「i -BOCCIA」と名付

けて、その普及にも取り組んでいる。i には intimate(親しみ

やすい)、inclusion(共に)、interest(面白い)という3

の意味があるという。

(154p)  

  

(ボッチャの)普及活動の中心にいる村上光輝に話を聞いた。

「(中略)いくら競技団体がガツガツ広めようとしたって、楽

しくないスポーツは広まりません。リオパラで日本代表が銀を

取ったことで、たしかにボッチャの名前は広まりましたが、『

重度障がい者のスポーツ』という部分だけが有名になって、実

際にどんなスポーツなのかほとんど浸透しませんでした。私は

ボッチャから『重度障がい者の』という枕詞を外したいのです」

(中略)

「ボッチャは障がい者と健常者が一緒にプレーできる数少ない

スポーツのひとつですから、いずれ世界中からフルオープンで

(障がいの有無に関係なく)選手を招く国際大会を開きたいで

すね」

協会は、こうした大会のひな型である「東京カップ」という大

会を、すでに2017年から準備している。東京カップは障が

いの有無に関係なく参加できる「国内初の本格的インクルーシ

ブ大会」であり、ボッチャ以外のオリ・パラの選手で構成され

るアスリートチームや企業のボッチャ部、そしてボッチャの日

本代表選手で構成される火の玉JAPANなど、多様なチーム

が参加している。現在は国内大会だが、ゆくゆくはこの大会を

国際的なフルオープンの大会にしたいと村上は言うのである。

(155~157p)

  

  

小学校の特別支援学級担任の時には、

学級でボッチャをやりました。

「インクルーシブ」か~。

インクルーシブ教育の一環として、

ボッチャをするのもいいなと思いました。

これは比較的たやすく実行に移せます。

私はその視点でボッチャと関わりたくなりました。

 

  

そういえば、まだボッチャのデザインの

Tシャツは手に入っていません。☟

ここでも道草 ボッチャのTシャツは手に入ったかい?(2016年9月24日投稿)

小説「熱源」が読みたくなりました

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の朝日新聞朝刊の「天声人語」は

書き留めておきたいと思いました。

  

「豪州の日」と呼ばれる記念日がある。1788年1月26日

に英国の船団が上陸したことを祝う。豪州国民の休日だ。しか

しそれは先住民からすれば「侵略の日」に他ならない。祝賀行

事をやめる自治体が出ていると、先日の紙面にあった▼ある市

長からは「先住民の追放、言語や文化の破壊の始まりだった」

との発言もあったという。どこに視点を置くかにより、歴史は

その像をがらりと変える。直木賞に選ばれた歴史小説『熱源』

は、明治以降の近代化をアイヌ民族の目から描いている▼樺太

から北海道の石狩川沿いに集団移住させられた主人公の少年は、

学校で「文明人たれ」と教えられた。アイヌ民族を未開人扱い

することと同義である。そんな和人の国は列強から野蛮人扱い

されないよう、富国強兵へともがいていた▼文明とは何か。ア

イヌ集落の長に作者はこう語らせる。「馬鹿で弱い奴は死んじ

まうっていう、思い込みだろうな」。その帰結として、日露戦

争そして第2次大戦の戦場がある▼北海道と樺太を軸に、東京、

ロシア、南極にまで小説の舞台は及ぶ。作者の川越宗一さんは、

旅行で訪れた北海道で歴史に触れ、いちから調べたという。読

んでいて、登場人物たちと同じ時代を生きているような気持ち

になる▼他者の目で歴史を見る。そのことに私たちは慣れてい

ない。だからこそ文学の力が、大きな助けになる。「日本は一

つの民族が続いている」などと口走っていた政治家は、手にと

ってみただろうか。

   

  

「北海道」「石狩川」「集団移住」という用語が、

私の好奇心のアンテナにピピッと来ました。

『熱源』の著者は、北海道の旅行がきっかけで

この本を書いたという点も注目です。

そのきかっけについて、次のサイトで著者が語っています。

小説丸 川越宗一さん『熱源』

  

九州にルーツを持ち大阪で生まれ育った著者が、北海道の先住

民族たちの物語を書くことになったきっかけは、夫婦旅行だっ

た。妻のリクエストで二〇一五年夏に北海道へと足を運んだと

ころ、知られざる歴史と出合った。「たまたま室蘭から足を延

ばして、白老町のアイヌ民族博物館へ立ち寄ったんです。そこ

に、ブロニスワフ・ピウスツキという人物の銅像があったんで

すよ。説明書きには、一九世紀末から二〇世紀前半にかけて活

躍したポーランド人の民族学者で、アイヌを研究していたと記

されていました。彼はわざわざ地球を約半周してきて、北海道

の少数民族研究の先駆者になった。その歴史的事実に不思議さ

というか違和感を覚え、ピウスツキについて調べ始めたんです。

その過程で樺太出身のアイヌ、いわゆる〝樺太アイヌ〟であり、

日本初の南極探検隊に参加した山辺安之助という人物の存在を

知りました。ピウスツキと山辺安之助が出会い、二つの人生が

交差したポイントを軸に、物語を生み出せないだろうかという

構想が生まれたんです」

  

 

違和感から始まった小説でした。

ワクワクします。

小説によって、隠れていたものが表に出てきたのです。

これぞ歴史小説。

読んでみたくなりました。

  

もうじき復職で、あわただしくなると思いますが、

読書は続けたいなあ。

読んだっていいですよね。

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楽餓鬼

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