「なぜ『通じない』のか」④ 情報は、先に入った方が、あとの情報を規定する。
今日は令和2年1月5日。
前記事に引き続き
「あなたの話はなぜ『通じないのか』のか」
(山田ズーニー著/筑摩書房)より引用します。
自分なりの「決め」を打ち出す習慣をつければ、自ずと論理力
はついてくるのだ。まずは、「ああもいい、こうもいい」から
脱却し、「自分はこう考える」を打ち出すことから始めよう。
問いを立てる、考える、わからないことは調べる、を地道にや
っていけば、恐れることはない。
(88p)
このブログ上でも、「決め」を打ち出す努力はしてきたい。
感覚で通じ合えないときは、修飾語禁止で話してみることだ。
修飾語に頼ると、どうしても事実関係が甘くなる。感治課長が、
「とことん」の4文字ですませようとしたコミュニケーション
に、理子さんは約120字の字数をさいている。修飾語に頼ら
ず、「いつ?だれが?何を?どうした?」で伝える。これなら、
背景が違う人にも、どんな人にもブレがない。
(99p)
これはブログを書く時にもこころがけたいと思います。
つい使ってしまう修飾語を減らしていきたい。
情報は、先に入った方が、あとの情報を規定する。
私たちは、イメージに惑わされ、情報に踊らされる。みな悪気
があるのではない。ただ、選ぶ側の疲れというか、持久力のな
さというか、何かを判断するのにかける時間、手間、意欲、粘
りが、すりへっている。みんな、忙しすぎるのだ。
(122~123p)
人との関係で、最初のイメージが大事だということです。
正直な理由です。
正論を拒むのは、人間の本能かもしれないと思うようになった。
正論は強い、正論には反論できない、正論は人を支配し、傷つ
ける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう
関係性の中で言うか?」を考えぬくことだ。それは、
正論を言うとき、自分の目線は、
必ず相手より
高くなっているからだ。
教えようとする人間を、好きになれない。相手の目線が自分よ
り高いからだ。そこから見下ろされるからだ。そして、相手の
指摘が、はずれていれば、それくらいわかってる、バカにする
なと腹が立ち、相手の指摘があたっていれば、自分の非が明ら
かになり、いっそう腹が立つ。
(126p)
会議で正論を言われた時にはなかなか辛かったです。
こうやって説明されるとよくわかります。
やはり本能が拒んでいたのでしょう。
少なくとも、自分は正論を言いたくありません。
そのためには、相手と「問い」を共有し、
一緒に考えながら思いを言いたい。
望んでもいない相手に、正論をふりかざすのは、道行く人の首
根っこつかまえるような暴威だ。まして、あなたと対等でいた
い、あなたより立場が上でいたい、と思っている相手なら、無
理やりその座から引き摺り下ろし、プライドを傷つけ、恥をか
かせる。
だから、相手は、あなたの言っていることの効能を理解するよ
りずっとはやく、感情を害してしまう。理性より感情の方が、
ずっとコミュニケーションスピードが速い。相手は、あなたを
「自分を傷つける人間だ」と警戒する。正論をかざすことで、
あなたの相手に対する「メディア力」は下がってしまう。
(126~127p)
「理性より感情の方が、
ずっとコミュニケーションスピードが速い。」
こういう視点で会話を考える人もいるのですね。
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