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2020年1月20日

2020年1月20日 (月)

「橙書店にて」⑤ 「道ばたのお地蔵さんのようなものだよ」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

店内も花が咲き乱れている。いただきものの花が重なって、ト

サミズキに梅に椿と、春の花の香りが店内を満たしている。(

入院している)豆子さんが見ているのと同じ梅を、私たちも見

る。トサミズキは初めてもらったが、花の付き方が独特で見飽

きない。黄色い小さな花が連なって下を向いてかんざしのよう

に咲いている。しゃらしゃら、と音がしそうだ。

(190~191p)

  

花の付き方が独特という点に共感。

7年前に記事にしていました。

ここでも道草 H25 3月の花々20 トサミズキ(2013年3月26日投稿)

  

  

店を目指して来てくれるお客さんも、旅行中にいらっしゃるお

客さんも、もちろん嬉しいが、ご近所さんがふらっと来てくれ

るというのはまた違った嬉しさがある。安心感とも言えるかも

しれない。切らした洗剤を買いに来たり、隙間の時間に本を探

しに来たり、もしくはひとこと伝えたいことがあるだけだった

り。

(203p)

  

 

いろいろなお客さんがやってくる小さな本屋。

行ってみたいし、自分もそんな店の店主になりたいと思いました。

  

 

橙書店では朗読会が行われました。

  

今年は”飛び入り朗読会”を店で開催した。正午から夕方五時まで、

店の真ん中あたりに設置したマイクの前で読みたいお客さんが勝

手に朗読する、という催しだ。(中略)

数人が読んだあと、ミチコさんが「なんでもおまんこ」を誰か読

めばいいのに、と言い出した。『夜のミッキー・マウス』という

谷川俊太郎さんの詩集に入っている詩だ。なにせ、店内には谷川

さん直筆の「なんでもおまんこ」の一節がある。他の人たちも話

に乗って来て、やっぱり男の人が読んだほうがいいよね、などと

言っている。もう終わりかけの時間で男性は二人しか残っておら

ず、一人は大学生になりたての若いお兄さんだったからさすがに

みんな遠慮して、陽介くん読みなよ、ともう一人に白羽の矢が立

った。

「なんでもおまんこなんだよ」とはじまる詩だから嫌がるかなと

思ったら、しょうがないなあ・・・といった感じで立ち上がり、

思いのほかすらすらと読んでいた。

(207p)

  

楽しい雰囲気です。私は「なんでもおまんこ」という詩を

知りませんが、何となく予想がつきました。

でも実物を見てみたいと思い、実行しました。

ポエトリージャパン 谷川俊太郎「なんでもおまんこ」

思ったよりリアルで、思った以上に自然を謳歌した詩でした。

終わり方は予想外。

つまり予想は見事にはずれました。

  

  

私は店でいただきものばかり食べている。こんなにモノをもら

う人見たことない、と元スタッフのユキコちゃんに言われたこ

とがあるくらいだ。店など営んでいる人は、結構差し入れをも

らったりする。でも、そう考えたとしても、もらいすぎだと言

われる。たぶん一年のうち、三百日くらいは何かもらっている。

(219p)

もらうたびに、いただいてばかり、と申し訳ない気持ちになっ

ていたが、道ばたのお地蔵さんのようなものだよ、と言われて

からは気が楽になった。

(222~223p)

  

「道ばたのお地蔵さん」!うまいこと言うなあと思いました。

あらためていい雰囲気のお店だと思う記述です。

   

う~ん、これで書き留めるのを終えようと思いましたが、

イメージが残っている文章がもう一つあります。

気になってしまうので、最後にもう一つ書き留めます。

  

 

Aさんは、本屋をはじめてから来るようになったお客さんだ。

年は七十代後半というところか。いつもこざっぱりした服を着

て、ひょうひょうとしている。ブコウスキーやケルアックがお

好みで、浅川マキもごひいきだ。

ここは、みょうなか本ばっかり置いとるけん、つぶれんごつ買

わんといかん。

そう言いながら買ってくださる。売れなさそうな変な本ばかり

並べているから店が成り立たないだろう、つぶれないよう私が

買ってあげようという意味だ。だいたいいつも一冊購入される

が、買いたい本がないときは喫茶だけ利用される。煙草を吸い

ながら、珈琲を一杯。

(67p)

 

こういうAさんのように老後を過ごすのは

いいなと思って読みました。

Aさんのセリフもいい。

でも我が家の近くには、こんな本屋兼喫茶店がありません。

そもそも本屋が歩いて行ける距離にありません。

う~ん、小さな図書館はありますが、

読むスペースが少ない。う~ん。

  

以上で「橙書店にて」からの引用を終了。

「橙書店にて」④ 「うつくしいひと/うつくしいひと サバ?」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

耳元で、とくとくとく、と人間より早い心音がかすかに聞こえ

ると、少しだけさみしくなる。たまに店に連れて行く白猫は、

いつも顔の横にぴたりと寄り添って寝る。二人で寝ているとき

は、必ず真ん中に入ってどちらかに寄りかかる。最初は、ぐる

ぐるぐる、と喉を鳴らす音が聞こえるが、寝入ると静かになっ

て、耳元に小さな心音が聞こえてくる。とくとくとく。人間よ

り心音が早いということは、それだけ自分より早く死んでしま

うということだ。

(132p)

  

猫としっかりお付き合いすると、心音まで聴けるのですね。

とくとくとく。生きている証拠ですが、

悲しい運命も予想されるものでした。

 

  

店にはいろんな人が来る。なぜ来るのだろう、と迎える私が思

うような人も来る。ものぐさだし、店を日々営業するというこ

とがいちばん大事だと思っているから、イベントの企画などを

自ら考えることはほとんどない。でも、行くよと言われるとな

かなか断れない。うれしいし、お客さんも喜ぶ。それで、スケ

ジュールが可能な限り対応していると、いろんな人が来てすご

いよね、とやり手ばばあのように言われることがある。

(140p)

  

谷川俊太郎さんや村上春樹さんも訪れるお店。

こういう人生もいいですね。  

  

  

なんと、行定勲監督の映画のロケ地にもなっています。

 

映画は2016年の3月に菊池映画祭で公開されたのだが、そ

の翌月、熊本自信が起こりチャリティー上映されることになっ

た。撮ったときは、行定さんもスタッフも出演者も、地震が起

こることなんて知る由もない。

タイトルは「うつくしいひと」。そこには、崩れる前の熊本城

の石垣が映っていた。壊れる前の通潤橋も映っていた。そして、

地震前の店内も映っていた。壁はひび割れておらず、天井も壊

れていない。古い建物で、もとから傷んでいたところも多かっ

たが、映画の中でライトであらが見えなくなっている。よく知

っているはずのその場所は、思いがけずうつくしかった。

(149p)

  

熊本地震の後、「橙書店」は被災し、引っ越しました。

そこがまたロケ地となって、

「うつくしいひと」の続編が撮られました。

  

店を移転することになった。夏頃から新店舗の工事をはじめた

のだが、工事中に行定さんが立ち寄られた。ふたたび熊本の街

を撮るためにロケハンをしている、と言う。「うつくしひと」

の続編としてつくるので、移転した橙書店でも撮影したいとお

っしゃった。撮影日を尋ねると、ちょうど工事が終わる予定の

頃だ。地震のあと、工務店さんやいろんな業者さんは休日返上

で働いている人ばかりだ。もしかしたら撮影に間に合わないか

もしれないから、書店の場面は入れないほうがいいのではと言

ったのだが、地震のその後を撮りたいのだとおっしゃった。

地震があっても、ほかの災害があっても、死なない限り暮らし

続ける。なるだけ、普通の日々を続けようとする。そういう人

々の姿を残したいと思われたのだろうか。撮影のあとに地震が

起きたのも、引っ越し直後にふたたび撮影が行われるのも何か

の縁だから、撮っていただくことにした。

(149~150p)

  

人を集める橙書店がロケ地にもなってしまいました。

気になる映画です。

今どきの動画サービスだと、

この映画を見たければ見ることができそうです。

440円。

どうしようかな?


YouTube: うつくしいひと/うつくしいひと サバ?

1

☝ きっとこの場所が「橙書店」だ。

「橙書店」にて③ 「私たちとさほど差異のない人たちなのだ」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

Aさんは、本屋をはじめてから来るようになったお客さんだ。

年は70代後半というところか。いつもこざっぱりした服を着

て、ひょうひょうとしている。ブコウスキーやケルアックがお

好みで、浅川マキもごひいきだ。

ここはみょうな本ばっかり置いとるけん、つぶれんごつ買わん

といかん。

そう言いながら買ってくださる。売れなさそうさ変な本ばかり

を並べているから店が成り立たないだろう、つぶれないように

私が買ってあげようという意味だ。だいたいいつも一冊購入さ

れるが、買いたい本がないときは喫茶だけ利用される。煙草を

吸いながら、珈琲を一杯。

(67p)

  

いいですね、この雰囲気。

そのAさんが、ある時戦争の体験談を話していった。

近所の女の子が空襲で死んでしまった話でした。

  

爆弾は真っすぐに落ちるものだから、空襲のときは道の端に避

ければそうそう当たるものではないという。女の子はその日、

真新しい下駄を履いていた。そして、逃げる最中に、脱げた下

駄を拾いに戻って爆弾に当たった。真新しい下駄を履いていた

ばかりに、女の子は死んだ。

(中略)

Aさんは、たあ世間話だった体(てい)であっさりと帰ってい

かれた。ひとり取り残されて、下駄の鼻緒は何色だったろうか

と想像する。道端の女の子と、離れたところに転がる下駄。そ

れを見ている少年。いつもひょうひょうと話していたが、A少

年のまなこに映ったその姿はいまもなお鮮明なはずだ。少年時

代のAさんになったつもりでその姿を記憶にとどめた。

(68p)

  

私も本を読むことで、その姿を記憶に留めました。

   

本と戦争のことでたっぷり引用します。☟

 

戦争の本を読む、映画を見る、テレビの報道番組を観る。いま

まで、たくさんやってきたことだ。でも、面と向かって体験談

を聞くという体験は、そのどれとも違った。記憶の断片は、そ

の人とともに、私の記憶にしまわれる。少年だったAさんの見

た映像を、何十年という時を経て、Aさんの言葉とその存在で

私の眼球に映してもらった。

何かが起こったとき、居合わせた人の数だけ物語が存在してい

る。こんなふうに話してもらえることはまれだから、本を読む。

過ちを繰り返さぬよう、知りたいから読む。立場が違うと景色

も変わるから、どちら側からも見たい。戦争が起きたとき、権

力者の目と戦う兵士の目は違うものを見る。大岡昇平の『野火』

を読めば、ごく平凡な生活を送ってきた人間が人肉を食べるに

至るという行動を通して、戦場がいかに人を異常な状況に追い

込むかを脳裏に刻むことができる。

テロの続くテルアビブに住むエトガル・ケレット。彼の自伝的

エッセイ『あの素晴らしき七年』を読んだ。それまで漠然と抱

いていたテルアビブのイメージは覆され、奇妙でおかしな出来

事に笑い、見知らぬ場所に住む人たちの気持ちにいつの間にか

寄り添っている。彼らは私たちとそう変わりない。

 

著者の両親はホロコーストを生き延びた。生き残り二世である

彼は、戦時下の街で家族と暮らしている。息子が生まれようと

する病院には、テロで怪我をした人々が担ぎ込まれる。公園で

のママ友との話題は、子どもを将来、兵役につかせるかどうか

だ、だ。イスラエルでは、暴力を見て見ぬふりはできない。で

もその一方で、電話の勧誘をうまく断れない話や。奥様方にま

ぎれてピラィスをする話が滑稽に語られる。暴力で満ち溢れた

世界をユーモアや優しさでかきまぜながら、あるいは社会を風

刺しながら、軽快な筆致で描写していく。遠い異国の戦時下の

話なのに、親戚のおにいちゃんの話を聞いているような親近感

をおぼえる。泣いたり、笑ったりして、酒を呑みながら聞いて

いるように。そして彼らは見知らぬ人々ではなくなる。戦争を

しているのも、テロ行為に及ぶのも、私たちとさほど差異のな

い人たちなのだ。

(70p) 

   

最後の一行のために、たくさんの文章を引用しました。

戦争をしているのも、テロ行為に及ぶのも、

私たちとさほど差異のない人たちなのだ。」

本によって、登場人物の気持ちまで描かれていて、

考えていること、考え方はそんなに差異がないのだと

読書ではよくわかると思います。

その点の力は、映像以上のものがあると感じます。

「橙書店」にて② 書くのと読むのとどちらが好きですか

 

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

いまみたいに、毎日ラインでつながって、顔を見ながら電話

して・・・・そんなことが当たり前でなかった頃、遠く離れ

た誰かと手紙でやりとりすることは、どんなに人と人を近づ

けたろう。パソコンやスマホのフォントで書かれた文字では

なく、あっちを向いたり、はねたりした文字。気が急いて書

いたから、判読が難しい文字。それをじっと見つめた末に、

なんと書いてあるかわかったときの喜び。

(53p)

  

たまに、面倒だからラインやってよと言われるが、不便でも

かまわない。友達も少なくてもかまわない。友達って、友達

になってくださいと言ってなるものではない気がする。

(53p) 

  

私はLINEもフェイスブックもやり始めたけど、

停滞しています。

ブログはうつのは好きだし、コメントのやり取りもいいです。

どうもLINE,FACEBOOKは深入りできません。

  

  

  

この間、お客さんが『バナの戦争』という本を貸してくれた。

バナは、シリア難民だ。

彼女は、戦時下のアレッポで、英語が話せる母の手を借りて

街の様子をツイートしつづけた。

 

わたしたち、しにかけているの。

 

ただ、こわがらずにくらしたい。バナ

  

私たちたちは武器を持っていません。なのに、なぜ殺される

の?バナ

 

ツイートをはじめたときのバナは、たった7歳だった。爆弾

の雨が降る街で、恐怖を感じることが日常となっている場所

で、何も知ろうとしない私たちに語り続ける。まだ、こども

でありたいと。すごくすごく、学校に行きたいと。

(中略)

バナのツイッターアカウントを世界的に有名にした最初のツ

イートは、「今夜、わたしは死んじゃうかもしれない。とて

もこわい。爆弾に殺されてしまう」だこんなこと。こんなこ

とを7歳の少女が言わざるを得ない世の中を、私たちは見て

見ぬふりをしている。

(53~55p)

  

シリアの情報収集をしている私。

「バナの戦争」もチェックですね。いつか読みたい。

  

  

約束はしたものの、やっぱり原稿は遅々として進まない。

(中略)ごはんを食べて風呂に入ってひと段落をしたら書こ

う、と家にたどり着くまでは思っている。でも、部屋には未

読の本が山と積まれている。書くよりも読むほうが断然たの

しいから、パソコンを立ち上げたものの、キーボードは打た

ず頁をめくっている。数行書いただけで電源を落とすことも

たびたびあるが、たまに誘惑に負けずにこうして書いている。

(59p)

 

昨日は書くよりも読むほうが優先した日でした。

ブログを書き上げることなく、次の本「山海記」を

読んでいました。

でも基本的には、私は読むことより書くことの方が

少し楽しいと思っているだろうな。

皆さんはどちらですか。

同僚の先生で「私は読むことが好きだから」と言って、

このブログを読んでくれています。

ありがたいです。

  

  

(編集者の大河さんは)たまにポツリと送る原稿を読んでは、

感想を書き送ったり、さりげなくプレッシャーをかけたりし

てくる。田尻さんの原稿が活力です、などと言われると思い

腰も少しあがる。もちろんそれが彼の仕事なのだが、有り難

いことに変わりなく、それでなんとか少しずつ前へ進むのだ。

世の中には、それぞれの本に大河さんみたいな人がいる。彼

らのおかげで、私たちは本と出会える。

(64p)

   

本は作家さんだけではできあがらないんですよね。

顔の見えない編集者に感謝。

この本、面白かったですよ。

  

つづく 

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楽餓鬼

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