「インビクタス」②南アフリカの国歌について
今日は令和元年12月16日。
前投稿に引き続き、「インビクタス 負けざる者たち」
(ジョン・カーリン著/八坂ありさ訳/NHK出版)より
引用していきます。
マンデラは長いあいだ有名であったが、顔のない存在だった。
(囚人だったため) しかし、いまやその顔は世界の隅々にま
で知れわたり、国内では、時を置かず至るところに姿を現して
いたような気がする。町から町への長旅は、大がかりなパーテ
ィか王の祭典のような雰囲気をもっていた。(中略)
ポップスコンサートの興奮とスポーツの決勝戦の熱狂、大ミサ
の厳かな熱気が入り混じっていたのはどこも同じで、闘争の中
心となったシスルおよび他の指導者とともにマンデラが壇上に
現れると、いっせいに歓声があがった。しかし、そのあとの式
はちょっと変わった順序で進行する。式次第は参加者全員が記
憶していた。
最初に壇上の司会者がコーサ語で「アマンドラ!(力を)」と
叫ぶ。集まった人びとは「アウェトゥ!(民衆に)」と応える
のだが、その声は、3回、4回、5回と連呼するうちに、だん
だん大きくなる。
それから黒人の指導者が「国歌」と呼ぶ「ンコシ・シケレリ」
の合唱。その悲しげな調べに、人びとは右の拳を高くあげ、喜
びと誇りを吹き込んだ。以前の歌声には感じられなかったこと
だ。プロの聖歌隊を思わせるみごとな歌唱は、この日のために
長いあいだ練習を重ねたかに聞こえたが、ある意味ではたしか
にそう。みな、何年間も次から次に抗議集会に出ていたのだ。
12万から20万の人びとが、歌詞を覚えていた。それだけで
はない。男性は自分たちが休んで女性だけに歌わせる箇所を心
得ていたし、女性は低く響きわたる男声にどこを任せればいい
か知っていた。
(124~125p)
マンデラが大統領に就任する前に、南アフリカの国歌は「ディ
ー・ステム」という曲でした。白人が政権を握っていた時代で
した。その時代に、国民は黒人解放および白人支配への抗議の
しるしとして「ンコシ・シケレリ」を歌っていました。そして、
リーダーのマンデラが解放された喜びを集会で上記のように歌
ったのでしょう。
南アフリカの国歌は、「ディー・ステム」と「ンコシ・シケレ
リ」を統合したものになったらしいけど、詳細は不明。
現在の南アフリカ国歌はこれです。いろいろな言語が登場しま
す。☟
YouTube: 南アフリカ共和国 国歌「神よ、アフリカに祝福を/南アフリカの呼び声」 日本語訳/National anthem of South Africa
マンデラが釈放された5日後に、首都プレトリアで白人による
集会が開かれた。(中略)集まった人びとは、いまにも一切合
財(いっさいがっさい)が奪われるような気がしていた。官僚
は職を、商店主は店を、農民は土地を、失うのが怖かった。そ
して、だれもが恐れたのは、自分たちの旗、自分たちの国歌、
言語、学校、オランダ改革派教会、ラグビーを失うこと。表面
下にあってすべてをゆがんで見せていたのは、犯した罪と同等
の報復を受けるのではないか、という恐怖だった。
(127~128p)
ラグビーの存在は、白人にはとても大きかったと、この本で映
画以上によくわかりました。
ANC(アフリカ民族会議)の一部では、自分たちの力でトラ
退治できると、いまだに信じられていた。が、マンデラはでき
はしないと思っていた。敵はあらゆる銃器、空軍、後方支援に
加え、資金にも事欠かない。マンデラの政治行動の指針は、ず
っとまえからーー刑務所にいたときからーー決まっていた。
トラを退治するには飼いならすしかないんだ。ポール・クリュ
ーガーの像の下でうなり声をあげていたアフリカーナーも、ロ
ベン島で服従させたのと実質的には同じ人間だった。
(130p)
ANCはマンデラが所属するグループ。トラは白人をさします。
白人と戦うのではなく、話をして取り込んでしまうというマン
デラの発想。仲間が殺されているにもかかわらずです。それを
27年、刑務所にいる時に気づいて実践したのです。刑務所の
27年を無駄にしなかったすごい人です。
コンスタント・フィリューンについて書かれた文章。
名声を不動のものにしたのは、70年代なかごろに指揮官とし
てアンゴラに遠征していたとき。南アフリカ軍はジョナス・サ
ヴィン率いるアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に味方
して、当地の左翼政府と戦った。これも冷戦の代理戦争のひと
つだったが、この種の争いは世界中で起きていた。アンゴラ政
府を支援したのはキューバとソ連で、UNITAには合衆国が
ついた。南アフリカがこの内戦に加わったのは、アメリカに負
けないくらい指導者が共産主義に反対していたから。そして、
アンゴラ政府がANC(アフリカ民族会議)を支援していたか
らだ。
(136~137p)
この文章を引用したのは、東西冷戦の代理戦争に最近関心が
高いからです。先日、代理戦争の一つ、グレナダ侵攻を
扱った映画「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」
(1986年)を録画しました。まだ録画したのみですが・・・・。
この機会に、アンゴラの位置を確認します。
※ここでも道草 干上がったビクトリアの滝(2019年12月14日投稿)
☝ ここで使った地図を再掲載。
ザンビアのすぐ隣です。
頭の中で、少しずつアフリカの地図を作成中です。
つづく
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