「函館の大火」③/不運にも低気圧が減速して、強風が吹いていた
今日は令和元年11月12日。
前投稿に引き続き、
「函館の大火 昭和九年の都市災害」
(宮崎揚弘著/法政大学出版局)より引用します。
この本は、次のような構成になっています。
第一部 函館の環境
第一章 自然環境
第二章 都市空間
第三章 都市社会
第二部 函館の大火
第四章 危機管理と大火の歴史
第五章 大火の日
第三部 鎮火とその後
第六章 後手に回った危機管理
第七章 荒廃と混乱
第八章 責任と被害
第九章 復興
終章 大火の記録
註
証人リスト
状況推移表
あとがき
いよいよ第五章より引用します。
大火のあった日、日本海を低気圧が北上していました。
18時、それは函館の西側の日本海を通過して
北西方向の寿都(すっつ)沖約50キロメートルに達し、
発達して966ヘクトパスカルに達した。
(69p)
そこまで時速90km~63kmというスピードで、
日本海を北東方向に進んでいた低気圧が、
18時までは時速17km、18時から20時までは時速5kmと
急減速しました。
原因は低気圧が高圧帯に行く手をはばまれ、転進を模索して
手間どったから、と思われる。その間、急減速していた
18時から20時の間の18時53分頃、
函館で火災が発生したのであった。
要するに、気圧が速度を減速させ、ほとんど停滞している時であり、
同じような烈風がくりかえし長時間吹続(すいぞく)するという
最悪の条件下にあった時である。それは函館にとって極めて運の
悪い状況であった。
(69~72p)
ゆっくりではあるが低気圧が移動したことで、
函館に吹いた風は、方向を変えます。
最初は南南西でしたが、南西になり、西南西になり、
最後は西風になります。
この方向の変化が、大惨事を招きました。
風速は19時には22m、その後は24m内外だったそうです。
瞬間最大風速は40m近いと推定されています。 参考:72p
函館の大火には、強力な低気圧が関係していたのです。
低気圧は気温も変化させます。
気温も追い打ちをかけた。21日午前中は正午まで5度以下であった。
それが午後上昇し始める。13時に6.7度になり、
17時には8.3度まで上昇する。
その後気温は次第に下降し、出火直後の19時には7.3度、
24時には1.4度に下降する。
22日3時、気温はマイナス0.4度、
火炎の延焼が止む6時にはマイナス1.7度になる。
海に入ったり、川に落ちて濡れた人や烈風で着衣を
剥ぎ取られた人には厳しい状況であった。
(72~73p)
函館の大火による惨事は複数の場であり、
本にも描かれています。
その中で、風向きが変わったことで起こった
大森浜での悲劇を、ブログに書き留めておきたい。
つづく
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