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2019年11月8日

2019年11月 8日 (金)

「温暖化」をどう考えるか⑥/これから意見形成をやっていく

  

今日は令和元年11月8日。

   

前記事の続きで、

異常気象と人類の選択」(江守正多著/角川SSC新書)から

引用します。2013年9月刊行の本です。

 

温暖化に向けて何か政策を考え実行する際の、

注意点について述べています。

   

問題によっては、たとえば地域固有の問題に

長年付き合ってきた市民は、専門家よりもよほど、

その問題と付き合うための知恵を持っている場合があるでしょう。

そのような知恵を「ローカル知」とよんで、

専門家の持つ「専門知」と対比することがあります。

専門家と市民がローカル知と専門知を相互に学び合うことによって、

判断に必要な知識が充実するということがありえます。

(167p) 

  

  

政治が判断を行う場に、国民の意見を届ける方法が必要になります。

ただし、この際の意見とは、ブームや気まぐれや政治的動員で

決まるようなものではなく、国民一人一人が十分な情報を与えられて

熟慮した結果であるべきです。

これは、言うのは簡単ですが、実際にはとてもたいへんなことだと

思います。これを最初から完璧にやることは不可能えすが、

それに向けた実際の取り組みとして僕の目に留まったものを、

3つ紹介します。

(179p)

  

  

その3つを書き並べます。

気候変動に関する世界市民会議 2009年9月

 デンマーク技術委員会のよびかけ

 今でも世界市民会議は開催されています。2015年の様子。☟


YouTube: 世界市民会議「気候変動とエネルギー」

 

エネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論 2012年 

 民主党政権下 国家戦略室による

   ※国家戦略室 エネルギー・環境会議 ☟

Photo_2 ☝ このページを開いて、紫色の「いただいたご意見」を押すと、

膨大な量(9万件近く)の意見を見ることができます。

著者の江守さんの意見の番号は46435です。

実際に今でも読むことができました。

 

英国2050 Pathways Calculator 2010年

 イギリスのエネルギー気候変動省で開発されたソフトウェア。

 現在、アクセスしても、見つかりませんでした。  

  

  

あなたがこのような意見を真剣に形成しようと思えば、

多くの専門的情報を得たり、人と議論したりする必要があります。

一般に、ある問題への自分の意見を真剣に形成しようと思うと、

手間暇がかかります。

意見形成のコストといってもよいでしょう。

世の中にさまざまな重要な問題がある中で、

本書で論じた「地球規模で長期の温暖化政策」の問題に

あなたが意見形成のコストをかけるかどうかは、

あなたの自由です。ただし、判断された結果に文句を

言いたいのであれば、しっかりしたあなたの意見を形成して、

何らかの方法でそれを表明してほしいと思います。

(206p)

  

意見形成のコストをかけ始めました。やっと。

  

次に多くの国民が温暖化について考えるときには、

「省エネは大事だけど、それだけでは温暖化は止まりません」

という正直なメッセージをみんなに知ってもらったほうがよいと

僕は思っています。

子どもたちを含めて、省エネすればあとは誰かが

何とかしてくれると思っていた人たちには悪いですが、

「えっ、それだけでは止まらないの?」

と一度驚いていただいたうえで、

「じゃあ、どうしたらよいのだろうか」とみんなで考える段階に

バージョンアップしなければいけないと思います。

これは、いってみれば、「温暖化ブーム2.0」です。

そして、そこで求められる市民の最も重要な仕事は、

省エネよりもむしろ、「意見形成」なのです。

(208p)

 

台風15号、19号の被害は、多くの人が温暖化について考える

きっかけになったと思います。

私は、これを機会に、いろいろ情報に触れて

意見形成をしていきたいと思います。

  

以上で「異常気象と人類の選択」からの引用を終えます。

「温暖化」をどう考えるか⑤/温暖化への適応策

  

今日は令和元年11月8日。

   

前記事の続きで、

異常気象と人類の選択」(江守正多著/角川SSC新書)から

引用します。2013年9月刊行の本です。

  

もう一つ、重要な対策の考え方として「適応」があります。

これは「2℃」などの目標達成のための対策ではありませんが、

ついでに説明しておきます。

温暖化への「適応策」は、温室効果ガスの排出量を削減する

「緩和策」とは違い、実際に生じてしまった気候の変化に対して、

なるべく悪影響を受けないように、あるいは良い影響を

引き出すように、社会の側でさまざまな対応をすることです。

たとえば、農業への悪影響を減らすために

品種改良や農業技術の改良を行ったり、

熱中症の被害を減らすために保健指導を行ったり、

洪水の被害を減らすために治水対策を強化したり、といったことです。

 

適応策は、気温上昇を何℃に抑えるにしても、

多かれ少なかれ実施する必要があります。

適応は、発展途上国の開発や防災対策と一石二鳥になることが

多いので、ある程度は積極的に推進することに意味があります。

しかし、一般的にいって、気温上昇がどんどん大きくなり、

したがって温暖化の影響が大きくなると、適応策では

しのぎ切れなくなる限界があるでしょうから、

適応策だけに頼ればよいというものではありません。

それに、適応策の種類にもよりますが、適応策にもコストが

かかることに注意が必要です。

また、ダムなどの治水対策が生態系破壊につながったり、

適応の名目に便乗して開発が大盤振る舞いになると、

実際にはあまり役に立たないインフラをたくさん作って

しまったりする心配もあるでしょう。

(145~146p)

  

あらためて書きますが、台風15号、19号の被害は、

適応策ではしのぎ切れないことを突き付けられたように思います。

6年前の本ですが、今年のことを予言したような感じです。


YouTube: 長野市の新幹線車両センターが水没 JR東日本(19/10/13)

Photo

  

 

温暖化問題において人類が置かれたこの状況を

病気にたとえると、慢性の生活習慣病を放っておいたら、

大手術をしないと完治しないというところまで

病状が進行してしまった、という状況に近いと思います。

手術するしかないじゃないか、と思うかもしれません。

しかし、手術が失敗して病状が悪化するかもしれないし、

莫大な治療費がかかります。

では、病気の進行を受け入れて、苦しい症状が出ないことや

画期的な新薬が開発されることを祈るほうがよいでしょうか。

この状況で、何が正しい判断かは自明でないと思います。

(148p)

  

  

6年前にこう考えていたのですね。

そして6年経って今があります。

 

 

  

つづく

「温暖化」をどう考えるか④/理念主導では世の中は簡単に変わらない

 

今日は令和元年11月8日。

    

前記事の続きで、

異常気象と人類の選択」(江守正多著/角川SSC新書)から

引用します。2013年9月刊行の本です。

  

  

まず、気温上昇が「2℃」を超えたら本当にいけないのでしょうか。

温暖化の影響については、僕は多くの専門家の方々と共同で

『地球温暖化はどれくらい「怖い」か?』(技術評論社)という

本になるべく書きましたので、詳しくはそちらをご覧ください。

温暖化の悪影響として心配されていることには、

熱波や大雨などのいわゆる異常気象の増加、海面上昇、

地域によっては水不足、農業への悪影響、

これらによる人の健康への悪影響、

野生生物種の絶滅が加速することなど、

さまざまなものがあります。

寒冷地での健康や農業など、地域や分野によっては、

よい影響もあるでしょう。

しかし、全体的には悪影響がよい影響を凌駕するという認識で、

話を進めます。

(132p)  

  

今年の台風15号、19号の被害を見ると、

さらなる気温上昇は、悪影響が心配されます。

 

  

化石燃料を使いながらも、二酸化炭素を大気中に

排出しないための技術が重要な意味を持ってきます。

それが、炭素回収貯留(CCS)と呼ばれる技術です。

つまり、化石燃料を燃やした際に発生する二酸化炭素を、

地下の帯水層などに注入して封じ込めるというものです。

(138p)

  

そうかこういう発想もあるのですね。

しかし、課題は多いです。

  

  

産業構造の変化なんていうものは、新技術の出現、

少子高齢化、新興国の台頭などによって、

放っておいても起こるでしょう。

特に、新技術の出現は誰も予想していなかったような

速さで社会を大きく変えしまうことがあります。

いわば、技術イノベーションがもたらす社会イノベーション、

あるいはその両者の相乗効果です。

そして、その場合は既得権益を持った人が抵抗しようとしても

その流れを押しとどめることはできません。

(デジカメの出現で仕事がなくなった写真屋さんは、

きっと抵抗のしようがなかったことでしょう)

先ほど触れたスマートグリッドや再生可能エネルギーの

大量導入も、予期せぬ技術開発の成功によって、

技術主導であっというまに進む可能性も、

なくはありません。しかし、逆に、そのような技術主導の

変化が起こらなかった場合に、「社会はこうあるべきだ」という

「理念」の主導でそのような変化を起こすのは、

たいへんなことだろうと思います。

(143~144p)

 

デジカメの例えはすごくわかりやすいです。

  

産業革命は技術主導で起ったため、

機械に仕事を奪われた労働者がどんなに抵抗しても

その流れに抗(あらが)うことはできなかったでしょう。

一方、共産主義革命は理念主導の革命でした。

世界規模で大きな権力闘争と対立を何十年にも

わたって引き起こした末に、世界的に見るとその失敗が

証明されたといっていいでしょう。

これにならえば、「環境革命」「エネルギー革命」の場合も、

予期せぬ技術イノベーションがあれば不可避的に進むことが

ありえるでしょうが、理念主導ではこれを成就させることは、

なかなか難しいと覚悟しておくべきだと僕は思います。

(144p)

  

なるほどです。

こういう世の中にすべきという理念だけでは、

それが良かれと思っても、世の中は変わらない可能性が高いのです。

  

  

「温暖化」をどう考えるか③/対策積極派と対策慎重派

 

今日は令和元年11月8日。

    

毎週木曜日が、心療内科の通院日。

昨日行ってきました。

1週間、心穏やかだったので、正直に言いましたが、

薬の減量はありませんでした。残念。

「微量でも減らしていきませんか、先生」と言いたかったけど、

言えませんでした。また1週間、心穏やかに過ごしたい。

  

昨日の記事の続きで、

異常気象と人類の選択」(江守正多著/角川SSC新書)から

引用します。2013年9月刊行の本です。

   

自分ではなるべく首を突っ込まないようにしながら

温暖化政策論争を外側からずっと眺めていた結果、

僕が観察したのは次のようなことです。

 

対策積極派の主張では「温暖化の影響は将来の人類のみならず、

今生きているわれわれにも莫大な損失を与えるこのである一方、

大規模な対策は実現可能であり、対策の経済的コストは

それほど大きくないどころか、対策を推進することで

ビジネスチャンスも生まれる」ということが、

科学的なデータや権威ある人の発言に裏付けられる形で、

説得力をもって語られます。

 

片や、対策慎重派の主張では、「積極派が言っているような

大規模な対策には膨大な経済的コストがかかる上に、

コスト以外にもさまざまな問題があるので、

現実的ではない一方、温暖化の影響にはよいことだってあるし、

悪い影響もそれほど深刻なものであるかは疑わしい」

ということが、これまた科学的なデータや権威ある人の発言に

裏付けられる形で、説得力を持って語られます。

  

この二つの主張は、一方が他方を明確に否定しているので、

素朴に考えると、両方とも同時に正しいということはなさそうです。

では、どちらか一方が正しくて、もう一方は間違いなのでしょうか。

その場合、正しいのはどちらなのでしょうか。

両陣営が対峙すると、お互いに、自分の主張の裏付けをより多く

提示したり、相手の主張の裏付けを批判的に検討したりといった

議論が行われます。しかし、こうなってくると話は難しい各論に

入っていき、傍で見ている素人には議論を評価することが

次第に困難になっていきます。

(104p)

  

   

温暖化政策論争の場合も、「動機」の存在が論争の決着を

阻んでいるように思います。

つまり、人がこの問題を論じるとき、

まず証拠や理論を客観的に評価してから自分の意見を

形成するのではなく、先に動機に基づいてどちらの陣営に

つくかが決まり、それから証拠や理論を

見始めるのではないかと想像します。

(106p)

  

  

僕の観察では、多くの対策積極派の人の根底にある気分は

「行き過ぎた現代文明の見直し」であり、

人によってそれに「自然への畏怖」が加わるのだと思います。

(108p)

  

  

対策慎重派の人たちの動機はどうでしょうか。

こちらは、僕の観察の範囲でいえば、ある程度共通する感覚は

「現実主義」ではないかと思います。

確かに現代文明にいつかは限界が来るかもしれませんが、

それでも当面は化石燃料を使い続けなければ、

われわれの社会は立ちゆかないでしょう。

これからどんどん経済発展する新興国や発展途上国が、

化石燃料を手放すとはとうてい考えられません。

代替エネルギーの導入も、急いで大量に進めようとすれば

大きなコストがかかりますし、インフラも作り直さなければ

いけません。このように、「現実的な」規模とスピードでしか

対策はできないと認識するべきだ、という感覚があるのだと

思います。

(109p)

   

  

対策積極派と対策慎重派の比較の文章を引用しました。

 

まだつづく。

サンマはどれでしょう? ①鰍 ②鰶 ③魛 

今日は令和元年11月8日。

  

6日のNHKの「まるッと!」という

ニュース番組で、次のようなクイズが出ました。

「サンマ」は漢字で「秋刀魚」と3文字で書きますが、

漢字一文字で書くと次のどれでしょう?という問い。  

 

①鰍 ②鰶 ③魛  以上の3択でした。

 

どれだと思いますか?

  

  

  

 

  

  

私はすぐに①番!と答えました。

でも違いました。

正解は②鰶でした。

なぜ魚偏に祭でサンマなのか?

いいサイトがありました。

macaroni 秋の味覚の謎!「さんま」の漢字だけ一文字じゃないのはなぜ?

 

ここから引用します。

「鰶」は江戸時代に使われていたようです。

  

この漢字の由来には、さんまが市場にたくさん並ぶと

庶民が大よろこびしてお祭り騒ぎになったという説や、

さんま漁の船の中は大変忙しく、大勢の漁師さんが

一度に動き回ってお祭り騒ぎになったという説があります。

この「鰶」という漢字は、元々中国でニシン科の

「コノシロ」という魚を表していました。

当時の中国ではさんまを食べる文化がなく、

さんまには魚へんの漢字一文字の名前が

与えられていなかったんだとか。

日本ではさんまを「鰶」と表記して、

コノシロには「鮗」という漢字を与えることにしました。

冬が旬の魚、という意味を持っています。

しかし、その後さんまは「秋刀魚」という漢字が

当てられるようになります。

現在では、「鰶」も「鮗」もコノシロを表す漢字として

認められています。

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いい勉強になります。

さらにこのサイトは、興味深いことが書いてあります。

おなじみの「秋刀魚」は大正時代から広く使われていたそうです。

  

私たちがよく知る「秋刀魚」という表記は、

大正時代から広く使われるようになった新しいものです。

「秋」が旬の「刀」のような「魚」なので、

「秋刀魚」という当て字がされたのですね。

それ以前は漢字が定まっていなかったようで、

当て字遊びが好きだった夏目漱石は「我輩は猫である」の中で

「三馬」という表記をしています。

この表記には、魚市場のセリでサンマの「サ」の音があまり響かず、

「ンマ」「ウマ」と呼ばれていたので、

当て字として「馬」が使われたという由来があります。

   

   

ちなみに、私が「サンマ」だと思った②鰍は「カジカ」

③魛は「タチウオ」でした。

 

  

勉強のきっかけはあちこちにあります。

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