『日本外史』が三好長慶の評価を下げた?
今日は令和元年9月12日。
『日本外史』という本について、
ブログに書きたいと思っていたら、
今読んでいる「石狩川」(船山馨著/河出書房)に
登場しました。ビックリ。
椿の花の下で、山陽の日本外史を読み耽(ふけ)り、
胸をときめかした。
(265p)
「石狩川」は明治初期のお話。
『日本外史』は、Wikipediaには次のように書いてありました。
『日本外史』(にほんがいし)は、江戸時代後期に
頼山陽が著した国史の史書(外史とは民間による歴史書の意)。
源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史で、
すべて漢文体で記述されている。
文政10年(1827年)、山陽と交流があった
元老中首座の松平定信に献上され、2年後に大坂の秋田屋など
3書店共同で全22巻が刊行された。
明治以後、日本語口語体に訳された本も数社から刊行されている。
幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書である。
「石狩川」の記述は、Wikipediaの説明と合致します。
では、なぜ『日本外史』を書きたいと思ったかというと、
次の番組を見たからです。
6月19日放映の「信長より20年早かった男
最初の『天下人』三好長慶(ながよし)」です。
「天下人」というのは、戦国時代には、
京都を含む五畿内を支配した武将の肩書でした。
戦国時代最初の天下人は織田信長であり、
それを継いで豊臣秀吉、徳川家康と3人の名前が浮かぶのは
もう当たり前のことになっています。
しかし、信長よりも先に天下人となり、
信長よりも早く鉄砲を導入したり、
キリスト教を保護したりと革新的なことをしたのが
三好長慶でした。
もしかしたら、将来、歴史の教科書に載ってしまう人かなと
予感してしまう人でした。
それではなぜ、そんな三好長慶のことを、
私たちは知らないのか?
(アナウンサーが、自問していました)
番組によると、江戸時代中期までは、評価は高かったようです。
☝ この文献の様に、三好長慶は高く評価されていました。
三好長慶の評価を下げたのが、実は『日本外史』だと
考えられているのです。
『日本外史』は織田信長に重きを置いて書かれていました。☟
☝ 信長の無慈悲な性格も肯定していました。
しかし、三好長慶については、次のような記述。☟
『日本外史』が読まれれば読まれるほど、江戸末期・明治時代に
織田信長の評価は上がり、三好長慶の評価は下がり、
三好長慶は戦国時代に何も功績をあげていないと思われて
今に至っているというのです。
坂本龍馬が今のように高く評価されたのは、
司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」がベストセラーになったからだと
聞いたことがあります。
歴史は流動的です。
三好長慶がどのような人物だったのか、
これを機会に勉強していきたいと思いました。
さっそくいい番組があります。
9月16日午後10時からBS-TBSで放映される
「にっぽん!歴史鑑定 信長よりも先に天下人になった男
三好長慶」です。
テレビ番組はいつも私の味方です。勉強、勉強。
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