北海道開拓と「小豆」
今日は令和元年8月20日。
前記事の続きの内容。
さっそく2017年12月8日放映の「歴史秘話ヒストリア
北の大地に夢をひらけ!お殿様の北海道開拓使」を見ました。
「英雄たちの選択」と同様、伊達邦成を中心とする開拓の話。
前記事では、「テンサイ」いついて書き留めましたが、
「歴史秘話ヒストリア」では、「小豆」について詳しく
扱っていたので、ここに書き留めます。
聞き書きです。
ナレーター:明治5年9月。邦成たちに衝撃が走りました。
邦成:突然のことではあるが、そなたたちは皆、
士族の籍を離れ、民籍に入ることとなった。
家臣:平民に。それは何故でございますか。
家臣:我らに何か罪が?
邦成:さにあらず。先ごろ行われた御改革にとものう
ご処置である。
ナレーター:新政府が、「廃藩置県」を断行。
藩は廃止され、主君と家臣という関係も断ち切られます。
それは、伊達家の家臣たちが武士でなくなることを
意味していました。
(北海道に)移住してまで守った誇りを、失ったのです。
なかには、やけになり、酒におぼれる者もいたといいます。
せっかく成功の兆しが見えた開拓が、
振り出しに戻ってしまう。
邦成は決意します。
邦成:この開拓を、我らが生きるためだけではなく、
明治日本の根元を支える大事業にしよう。
さすれば、皆の誇りもきっと。
ナレーター:邦成の策は身近なところから始まりました。
(中略)
邦成はさまざまな苗を植え、
この地に最も適した植物を探しました。
そして、一つの作物にたどり着きます。
小豆です。
このころ多くの日本人が甘いものを口にするようになり、
あんこの材料、小豆が、高値で取引きされていました。
しかし、小豆をたくさん育てるには、土地が足りません。
そこで(中略)※プラウの映像 ☟
プラウは、馬や牛にひかせて土を耕す農機具のこと。
人力の、何と20倍近い効率の良さで、
アメリカの広大な土地を切り開いた実績がありました。
以前から、西洋式農業に注目していた邦成は、
127台のプラウを購入。
効果は絶大でした。
たった5年で、耕作地は激増し、小豆の生産量は、
およそ9倍に。
有珠は、全国で有数の産地となります。
「歴史秘話ヒストリア」では、
小豆が順調に生産されるようになってから
テンサイづくりに着手する様子が描かれていました。
(テンサイについては前記事参照)
北海道の小豆で思い出すのは、
京都の「出町ふたば」の「名代 豆餅(なだい まめもち)」です。
あのおいしい小豆のルーツは、
有珠郡の開拓だったのですね。
つながった。
「出町ふたば」の創業は明治32年。
北海道の小豆は、十分京都にまで供給できたのでしょう。
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