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2019年8月23日

2019年8月23日 (金)

日めくりより/「A.D.」は何の略? 日本は明治5年から

 

今日は令和元年8月23日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

紀元を表す「A.D.」はそもそも何の略か?

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いつかは調べようと思っていたけど、

思っただけで調べなかったこと。

  

 

日本が西暦(太陽暦)を採用したのは、明治5年。

明治5年12月3日が、

突如明治6年(1873年)1月1日となりました。

この年の年末は大変ですよね。

12月3日が1月1日になったということは、

師走の12月は2日だけ。

どんな年末年始だったのでしょう?

  

そこで思い出すのが、次の番組。

2015年1月1日放映の

タイムスクープハンター お正月パニック 改暦大騒動」です。

録画してあって手元にあります。

確か見たと思うけど・・・あまり覚えていない。

見たとしても、もう一度見てみよう。

今晩の楽しみ。

北海道開拓 平成・昭和期の開拓物語

 

今日は令和元年8月23日。

  

前投稿の続きで、6月15日放映の

ETV特集  希望の大地 ~北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」より。

  

石川県の二俣からきた移住者の様子を、

厚真町町長の宮坂さんと、ナレーターの説明を聞き書きします。

 

宮坂:私も厚真町で言えば、三代目になります。

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  先祖は、石川県の二俣というところから出てきています。

  (中略)

ナレーター:明治28年。肥沃な土壌と清流に恵まれた土地に

  4軒の家族が、その翌年には35軒が二俣から入植。

  人々は、巨大な木を1本1本切り倒し、道をつけ、

  新天地に希望を託しました。

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宮坂:当時は河川の改修も進んでいませんので、

  堤防もない時代ですからね、ちょっと雨が降ると、

  (川が氾濫して)開墾した耕地が台なしになっていく。

  それにもめげず、もう一度整備をし直す。作づけをする。

  その繰り返しでした。

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  それが厚真町の歴史でしたので、共同意識も共同作業と

  いうことも、経験的に当たり前だったということを、

  繰り返したんだと思います。

ナレーター:入植の3年後には、北海道全域で大洪水が発生。

  厚真でも28人が命を奪われます。

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  川の水を治めようと、開拓者たちは用水路を掘削(くっさく)。

  それが水田づくりの礎となりました。

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  今も厚真の田んぼでは、当時の木の根が出土します。

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  開拓者たちの歴史は自然との闘いの歴史でした。

  そして昭和のはじめ、当時の厚真村は、北海道でいち早く、

  地元産の米をブランド化。

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  本州に出荷するまでになりました。

  当時から変わらず作り続けている厚真最高級の米「さくら米」

  町の誇りです。

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宮坂:(厚真町の)北部山間地の皆さんが元どおり、

  プライドをかけて守ってきたお米作りを、

  今後も再開できるように、継承できるように、

  一丸となっていくことが大切ではないかなと。

  北部山間地を復旧させる意味は、

  厚真町が復興していくための大切な要素だと思っています。

  

     

番組のラストは、昨年の地震で土砂崩れや地割れが起こり、

被害を受けた用水路が復旧して、水が流れるシーンでした。

ことし、厚真町ではお米が作られていると思います。

  

今回の災害で、厚真町では35人の命が奪われました。

でも厚真町ではお米づくりがはじまり、

厚真町の歴史は途絶えることなく動き出しました。

今は明治期の開拓について注目して調べていますが、

今、厚真町の北部山間部で行われていることは、

平成・令和期の開拓に思えます。

番組のタイトルに「開拓」が入っている意味がわかった気がしました。

  

以上で「ETV特集  希望の大地 ~北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」の

読み物化完了。

北海道開拓 厚真町に残る開拓記念碑

今日は令和元年8月23日。

  

「北海道」「開拓」関連の番組を見てきました。

これが最後の1本。

今年の6月15日放映の「ETV特集  希望の大地~

北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」です。

  

昨年の9月27日に、北海道胆振東部地震の被害を受けた厚真町で、

自宅に戻り農業を再開した夫婦、

松平功さん(77)と信子さん(72)。

番組はこの2人の、地震直後から今年の5月までの姿を中心に

紹介していました。

番組の中で、厚真町の開拓の歴史に触れたところがありました。

そこの部分だけ書き留めておこうと思います。

  

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☝ 松平さんの自宅から10分ほどのところにあった

開拓記念碑が、地震で倒れていました。

そこに石川県加賀国河北郡二俣の地名がありました。☟

 

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現在もある金沢市二俣町。☟

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ここからの移住者によって開拓されたのが厚真町でした。

  

開拓記念碑には、当時の移住者の名前が並びます。☟

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最初に書いてある「亀井三四郎」さんが開拓団団長でした。

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北海道への移住を決意した出来事について、

2番目に名前のある「亀井喜久太郎」さんが書き残していました。

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この「覚書」によると、、明治14年に記録的な大雪があり、

紙すきの原料である楮(コウゾ)に甚大な被害が及びました。

やがて窮地に追い込まれていった住民たちは、

村を離れる決断をしたそうです。

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二俣からの移住者の開拓の様子は、次の記事で書きます。

  

つづく 

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