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2019年6月21日 (金)

「収容所から来た遺書」5/1998年「驚きももの木20世紀」

 今日は令和元年6月21日。

  

前投稿で、シベリア抑留のこと、

以前に映像で見た覚えがあるが

うろ覚えだと書きました。

どんな映像だったのか、確かめました。

 

所有している映像のタイトル名で検索すると、

2本の映像がヒットしました。

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1本はビデオテープでした。

驚きももの木20世紀スペシャル~シベリアの奇跡~

収容所から届けられた6通の遺書

 (1998年10月9日放映)

1時間半の番組でした。

昨晩見始めてみました。

 

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番組が始まって、この写真を見た時に、

私はこの番組を確かに見たことを追い出し、

山本幡男さんの顔を思い出しました。

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そのまま1時間半の番組を見続けました。

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収容所(ラーゲリ)からの遺書」がベースなので

出来事をおさらいでき、本の中で出てきた様々な

人の姿がでてきて、イメージが浮かびやすくなりました。

番組の写真を並べます。

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↑ シベリア抑留体験者の佐藤清さんが描いたラーゲリ(ラーゲル)

  

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↑1日の食事量。わかりやすい。これだけだった。

  

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↑シベリア抑留者たちが歌っていた曲。

 

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山本幡男さんの遺書は、次の6人が記憶して、

家族に届けました。

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彼らは、昭和31年12月にやっと日本の地を踏めました。

 

次からは聞き書き。

 

ナレーター:大宮に移り住んでいた山本モジミの家を

  その男が訪ねたのは、昭和32年1月半ばだった。

  男は山村昌雄と名のるとこう言った。

  「私の記憶してきました山本幡男さんの言書を

   お届けにあがりました」

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  (モジミ)「記憶してきた?」「遺書?」

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  モジミが不思議そうな顔をすると、

  (山村)「どうやら私が最初に遺書をお届けしたようですね」

  男はそう言うと、晴れやかな笑顔になった。

  この瞬間、彼の長かった戦争が終わったのだ。

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思い出しました。

山村さんに始まり、次から次に人が山本家を訪ね、

ある時は郵便物で、山本幡男の遺書が家族に届くのです。

涙なくして見れないシーンでした。

 

この番組。21年前に見ています。

収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)を

読んでいる時には、漠然としか思い出せませんでしたが、

たぐれました(思い出すことができました)。

 

 

もう1本の映像は次の投稿で。

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