« 「収容所から来た遺書」4/1953年長期抑留者帰還第一次 | メイン | 「収容所から来た遺書」6/2002年「知ってるつもり!?」 »

2019年6月21日 (金)

「収容所から来た遺書」5/1998年「驚きももの木20世紀」

 今日は令和元年6月21日。

  

前投稿で、シベリア抑留のこと、

以前に映像で見た覚えがあるが

うろ覚えだと書きました。

どんな映像だったのか、確かめました。

 

所有している映像のタイトル名で検索すると、

2本の映像がヒットしました。

Rimg2100

1本はビデオテープでした。

驚きももの木20世紀スペシャル~シベリアの奇跡~

収容所から届けられた6通の遺書

 (1998年10月9日放映)

1時間半の番組でした。

昨晩見始めてみました。

 

Rimg2103

番組が始まって、この写真を見た時に、

私はこの番組を確かに見たことを追い出し、

山本幡男さんの顔を思い出しました。

Rimg2107  

そのまま1時間半の番組を見続けました。

Rimg2090

収容所(ラーゲリ)からの遺書」がベースなので

出来事をおさらいでき、本の中で出てきた様々な

人の姿がでてきて、イメージが浮かびやすくなりました。

番組の写真を並べます。

Rimg2104

↑ シベリア抑留体験者の佐藤清さんが描いたラーゲリ(ラーゲル)

  

Rimg2105

↑1日の食事量。わかりやすい。これだけだった。

  

Rimg2106

↑シベリア抑留者たちが歌っていた曲。

 

Rimg2108

Rimg2109

Rimg2111

Rimg2112

Rimg2113

Rimg2114  

山本幡男さんの遺書は、次の6人が記憶して、

家族に届けました。

Rimg2115

Rimg2116

Rimg2117

Rimg2118

Rimg2119

Rimg2120

Rimg2121

Rimg2122  

彼らは、昭和31年12月にやっと日本の地を踏めました。

 

次からは聞き書き。

 

ナレーター:大宮に移り住んでいた山本モジミの家を

  その男が訪ねたのは、昭和32年1月半ばだった。

  男は山村昌雄と名のるとこう言った。

  「私の記憶してきました山本幡男さんの言書を

   お届けにあがりました」

Rimg2123

  (モジミ)「記憶してきた?」「遺書?」

Rimg2124

  モジミが不思議そうな顔をすると、

  (山村)「どうやら私が最初に遺書をお届けしたようですね」

  男はそう言うと、晴れやかな笑顔になった。

  この瞬間、彼の長かった戦争が終わったのだ。

Rimg2125

Rimg2126

思い出しました。

山村さんに始まり、次から次に人が山本家を訪ね、

ある時は郵便物で、山本幡男の遺書が家族に届くのです。

涙なくして見れないシーンでした。

 

この番組。21年前に見ています。

収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)を

読んでいる時には、漠然としか思い出せませんでしたが、

たぐれました(思い出すことができました)。

 

 

もう1本の映像は次の投稿で。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8263
  • Img_8265
  • Img_8266
  • Img_8262
  • Img_7924
  • Img_8261
  • Img_8034
  • Img_7812
  • Img_7811
  • Img_7809
  • Img_7808
  • Img_7807

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉