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2019年3月

2019年3月 3日 (日)

20190223報告その5/キミヤーズ塾 素数は数の中の結晶 遊び心・創造性・反骨精神

今日は3月3日。

  

前投稿に引き続き2月23日の報告。

  

キミヤーズ塾で勉強になったことを書き留めます。

  

〇村上公也先生は、「素数は数の中の結晶」で、

 数字の中で輝いて見えると表現していました。

 ※なるほどと思いました。

〇村上先生の国語。

 言葉をもてあそび、その言葉に体臭をつけていくこと。

 ※創作熟語などの学習で、漢字の意味について調べ、

  他の漢字と組み合わせて、新しい熟語を作ったりすることで、

  その漢字に親しみが出てきます。身近な漢字になってきます。

  テストの時に覚えるだけの漢字ではなくなります。

  そういうのが「体臭をつける」ということだと思いました。

 ※これは社会科でも言えます。

  絵画作品や彫刻作品も十分に見ていないのに、

  作者名を覚えても、身につきません。

  作品を見て、その人の生涯を知ったりすることで、

  その人物が身近になってくるのです。

  地理でも同じです。

  場所を地図に確認し、生活の様子を写真や映像で見ると、

  だんだん身近になってきます。

  一番いいのは、そこに実際に行って、見てくること。

  授業で、時間的に空間的に制約がある中で、

  生徒にどこまで事象に関わらせるか。課題ですよ。

      最近、私は後醍醐天皇が身近になりました。

〇教師の大事なことは子どもを「その気にさせること」

 ※懐かしい。最初に村上公也先生の講座に出た時に

  印象に残ったこと。

  ここでも道草 11月24日の講座4/「その気」になりにくさが障害の本質(2013年12月1日投稿) ・・・村上先生との最初の出会いは2013年11月でした。

  「その気」が「やる気」になっていくのです。

〇赤木先生:教師って、個別指導が効率的でいいと

 思っていませんか。

 ※思っていますね。実際、今年度支援級で10人~11人で社会科の

  授業をやってきましたが、きつかったですね。

 赤木先生:学習だといつも効率的なのに、行事になると

 「みんな一緒に仲良く」という雰囲気が作られます。

 ※村上先生は、学習でも「みんな一緒」を

  できるだけ実行しようとします。

  

〇キミヤーズの3本柱を復習。

 ・笑顔

 ・考える

 ・つながる

 ※学習でも、メンバーに役割をふったりして、一緒に行うことで、

  「つながる」のです。

 ※でも人数が多いと一斉授業中心になってしまいます。

  もう少し人数が少ないと、1人1人が見えて、

  その子にあった学習ができるのになあと思っていた1年でした。

  

〇赤木先生:できたことほめると、自己肯定感は上がる。

 しかし、これでは、できないとほめられない。

 子どもが自分のやりたいことや表現したことを、

 「そうきたか」と損得抜きで面白がってくれる大人がいるのがいい。

 そうすることで、アイデアが湧いてくる。

 役に立つことをほめたら、だんだん先細りになる。

 しょうもないこともOKを出していくと、

 やはりアイデアが湧いてくる。

 

村上先生が著者の一人として名を連ねる本が、

久々に出版されました。

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ユーモア的即興から生まれる表現の創発

(赤木和重編著/クリエイツかもがわ)

  

さっそく購入しました。

  

その中で、奈良女子大学の麻生武先生が

村上先生について書いている部分から引用します。

  

村上先生のどこがすごいのか。

私は、村上先生に卓越している点が三つあると思っている。

一つ目は、「遊び心」である。

二つ目は、「創造性」である。

三つ目は、「反骨精神」である。

それらを三つ持っいること自体は、それほど特異なことではない。

それらは、「教育」にかかわる人には必須のものである。

先生が並外れているのは、それぞれの質というか、そのパワーである。

一般的に言うと、「子育て」に必要なのは、「遊び心」と「創造性」。

「反骨精神」は必要ではない。

「学問(研究)」に必要なのは、「反骨精神」と「創造性」。

「遊び心」はスパイスになるが、必ずしも必要ではない。

「芸術(アート)」に必要なのは、「創造性」と「反骨精神」と

「遊び心」。

「学問(研究)」と似てはいるが、「遊び心」が必要な点が異なっている。

「教育」に必要なのは、まず「遊び心」と「創造性」。

その点は「子育て」と共通である。

少し違うのが「反骨精神」も必要だという点である。

教育される側の「創造性」を高めようとするならば、

教える側の「反骨精神」が不可欠だからである。

(120~121p)

 

「遊び心」とは何か、簡単に説明しておきたい。

「遊び心」のルーツは、哺乳類の親が子どもを可愛がる心にある。

私はそう考えている。

子どもを可愛く思い、子どもの旺盛な探索活動を魅力に感じ、

攻撃性を抑制する心が「遊び」の原点だ。

ところが、人はその気持ちを子どもに投影して、

子どもを「遊ぶ」存在だと思ってしまうのである。

だが、実は、子どもが「遊んでいる」と思うのは、

大人の「遊び心」のなせるわざなのである。(中略)

「遊び」はそのような哺乳類の「心」から生まれた

特殊な心的態度だ。

よって、「子育て」や「教育」に「遊び心」が必要なのは

当然のことと言える。

ところが、残念なことにそのことを理解していないというか、

「遊び心」がやせ細ってしまった親や先生が増えているのである。

さまざまな折に、子どもを可愛く思うには、哺乳動物として

ヒトが培ってきた「力」が必要である。

なぜこの子は〇〇が分からないのだろう、

なぜこの子は〇〇が分かるのだろう。

どちらであれ、それを不思議に思う心が、

子どもを可愛く思う「遊び心」に他ならない。

(121p)

  

引用したけど、この文章で不明なところがあります。

「遊び心」がやせ細ってしまった親や先生は、

どういう行動をとってしまうんだろう?

結局子どもの反応を待てない、ゆっくり見られないと

解釈してもいいのだろうか。

思うように子どもが行動しないと、すぐに矯正してしまう。

子どもの反応を楽しめない大人ということかな?

こうしたら、子どもがどんな反応が返ってくるかを楽しむ。

そう考えたら、確かに教師には「遊び心」が大事だと思います。

口答えする子どもにだって、「遊び心」があれば、

怒ることなく楽しめます。

  

村上先生の「反骨精神」こそが、村上先生の並外れた

「遊び心」と「創造性」の起爆エンジンなのだ。

単なる、漢字の書き取りの反復学習なんて、

反吐が出るほど嫌いだ。

「せんせい、あのね、どうぶつえんに行ったよ。

ぞうは大きかった。とてもたのしかった。」といった

定型的作文指導なんて、子どもの豊かな発想を型にはめる

最悪の指導だ(ときっと思っているに違いないと、

私は勝手に想像している)。

村上先生はとにかくラディカルだ。

もっと子どもたちの主体性を尊重し、

彼らの豊かな創造性を発揮させて、

もっと授業空間を、創造的な協働作業の場に変える必要がある。

そう感じているからこそ、「うんち文字」「創作熟語」

「ローテーションカード」「見えない積み木」など、あっと驚く

「遊び心」に富んだ「創造的な」教育的な取り組みがどんどん

ひねり出されたのだ。

(122p)

  

疑問に思うことは、日々の指導でもあります。

こんな面白い歴史を、たった1時間で伝えなければならない。

無理!

じゃあどうするか?

現時点では、テレビ番組を巻き込んだ実践を

昨年春から実行中。

しょうがないと思わずに、村上先生の反骨精神を見習って、

これからももっともっと考えていきたい。

 

村上先生の反骨精神を示す、

村上語録から四つの語録を紹介しておこう。

「『正しい』ということほど『怪しい』ものはない」

「偉そうにしたら、それでもう人間終わりだ」

「権威、権力に逆らわず、徹底的に避難すべし」

「オリジナリティにこそ真価を見出すべきだ」

これが村上魂である。

(122p) 

  

特に4つ目の言葉がいいですね。

私が村上先生の元に通うようになった理由です。

  

  

今回がキミヤーズ塾10回目の参加。

5回目、10回目と言うように、

5回ごとに次回無料参加券をいただけます。

今回もらうことができました。

その時に「なぜ、そんなに参加するのですか?」と

みんなの前でF先生に聞かれました。

その時に思い浮かんだ言葉を言いました。

  

「クセになってしまったからです」

  

何度でもキミヤーズ塾の雰囲気を味わいたいのですね、きっと。

私以上に常連のH先生から、

「それではまた夏に」と言われました。

今年の9月に、無料参加券を使って参加しているでしょうね、きっと。

クセになっていますから。

  

以上でキミヤーズ塾の報告を終了。

   

  

   

   

 

20190223報告その4/キミヤーズ塾 教室に「生きやすさ」を創りたい

 

今日は3月3日。

  

前投稿に引き続き2月23日の報告。

  

キミヤーズ塾で勉強になったことを書き留めます。

  

〇少ない数の場合は、パッと見て数字が言えるようにします。

 数えないとわからない数字になって初めて「数える」。

 ※目の前にいる中1の子どもは、少ない数でも数えていることに

  最近になって気がつきました。

  パッと数が言える練習をしたいですね。

〇個別課題と一斉指導の両立

 ※村上先生の目指しているところです。

〇創作熟語 覚えるのではなく、意味を考える。

 教え込むのではなく、表現を引き出す。

 ※「表現を引き出す」は村上先生らしいところ。

 この点は真似してきたところだし、これからも真似していきたい。

  

危険だ!社会に役立つ人材育成

 可愛がられる労働者になんかなるな!

 役に立つ、立たないという基準は大きな危険性をはらんでいる。

 定型の社会に貢献することが「役に立つ」という意味の

 勘違いが起こるから。

 非定型の人も社会の一員として、

 自らの幸せを追求する存在であるべきである。

 (後略)

 ※中学校勤務になり、特別支援学級の担任になってみて、

  子どもたちが社会に出る時間が迫っていることを感じました。

  そのため、指導の中で、社会に「通用する」人に

  なってほしい気持ちが強く出てきました。

  言葉遣いや片付けなどなど、注意する回数が増えてきました。

  村上先生の書かれた上記の文章は考えさせられました。

  赤木先生の解説に救われます。赤木先生は次のように書いています。

 私たち(教師)のあふれんばかりの硬直した「正しさ」

 (=まじめに・ちゃんと)の押しつけが、彼らを生きづらく

 させているのではないだろうか。

 あふれんばかりの正しさをもつ教師

 「子どものために」とは思っている。

 でもどこか、自分の「正しさ(定型の価値基準)」を

 子どもにあてはめようとする。そして子どもを追いつめる。

 子どもの生きづらさは、障害のせいでも、

 ましてや能力の足りなさでもなく、

 「硬直した正しさ・ちゃんと・まじめに」を求める

 教育のせいにあると思う。

  

〇赤木先生は、村上先生がなんで、「遊んで、ふざけて、嘘ついて」

 学ぶことにこだわるのかという理由を3つあげています。

 ①楽しいから

 ②考えるから

 そして3つ目として 

 ③教室のなかに「生きやすさ」を創りたいから

 としています。例として、小2の高機能ASD児が、

 漢字のプリントで「雪」をまちがえて、体を震わせて

 「ごめんなさい」とあやまっている姿。

 これはそれまで漢字をまちがえて注意されてきた体験から

 来た反応だと考えられます。

 ※ここが難しいところです。

  教室が楽しく、考える場所であり、そして生きやすい場所であること。

  特別支援学級だけでなく、通常学級でも必要なことだと

  思います。でも、これらを二の次にして、「正しさ」に

  当てはめようとして、注意したり追いつめたりしています。

  (う~ん、している可能性があります)

  不登校の生徒が出てしまう理由になっているかもしれません。

  勤務校でも不登校の生徒のことが大きな課題になっています。

  村上公也先生の実践が、参考になると思いますが、

  実際にどのようにやったらいいかが見えてきません。

  思いついても、今の学校の雰囲気の中、

  こんなことまでやっていいのかと、自分でブレーキをかけてしまいます

  

 

〇キミヤーズスタッフによる実践発表が今回もありました。

〇漢字カードで2字を出して、どっちが好きなのか、

 好きな理由まで言わせる実践がありました。

 この実践に対して、村上先生は次のような解説をしていました。

 好きな理由は何でもOK。何を言ってもいい雰囲気の中で、

 子どもたちは考えます。今の学校は、記憶しておいて、

 正解を言わせることが多く、考えていないと。

〇評価札「すばらしい」「よかった」他を使った実践がありました。

 評価札という具体物でまずは自分の評価を発表しておいて、

 その後に話すのは言いやすい。   

〇F先生が特別支援学級小1で、数の概念(0はない、1はある)、

 数えないでパッと言える(1~6)を1年間繰り返し徹底的に

 やったという実践発表がありました。

 ここをおろそかにすると、将来どん詰まりになって

 進まなくなると思って、実践したそうです。

 さらには、数が目に見えていないと把握できない状態も

 ダメだと考えて、対処したそうです。

 ※教科にはそのような大基本みたいなところがあると思います。

  そこをおろそかにすると、将来にわたって子どもが困る内容が。

  目の前の中学生が困っているのには、

  何かあるのではという視点をもちたい。

  障害に理由を求めず、教育に理由を求めたい。

つづく。

    

  

    

20190223報告その3/キミヤーズ塾 数列や循環小数を教えるのは自己中だから

 

今日は3月3日。

  

2月24日の記事の続きです。

 

キミヤーズ塾に参加しました。

ちょうど10回目です。

2月23日のことでした。

もう1週間経ってしまいました。

思い出して、勉強になったことを書き留めておきたいです。

  

バーレスク(風刺劇)で、村上公也先生の実践を

裁判する3回目でした。

練習をかなりしたようで、演技の質がとても高かったです。

裁判員としてどの罰を与えるか3択でした。

①無期懲役

②教育活動の停止

③無罪

私は隣の人と相談して、無期懲役に挙手しました。

思ったより少なかったです。

  

②はもったいないと思いました。

やはり村上先生のこれからやることを見ていたいという

気持ちは強いです。

会場で圧倒的に多かったのは無罪でした。

でも本当に無罪かと思った時に、

嘘を教えたり、話を聴く姿勢はどうでもよかったりと、

目の前の子どもたちが社会に出た時に「通用する」かという

視点で見ると、不安を感じます。

社会に出て困ってしまう子どもが想像されるので、

それはやはり罪なのではと思いました。

だから私は無罪を選びませんでした。

  

赤木先生が、「教師って誰もが罪を犯していませんか」と

この日のどこかで言われました。

ハッとしました。

子どもをどう導くかは、教師によって様々です。

本当に教えるべきことを教えていますか?

目の前の子どもは、社会に出て「通用する」子どもに

成長していますか?

どこか無責任で、成長しないのは子どものせいだと

逃げていませんか?

正しいことを本当に教えていますか?

忙しい日々、教材研究を疎かにして、

教える内容の真偽も確かめず、ただ伝えていませんか?

伝えるだけでなく、自分の主義を無理強いしていませんか?

給料をもらっている分のことをしているのでしょうか?

税金の無駄使いをしていないでしょうか?

 

そんな自問をしていくと、誰だって無罪ではないように思えます。

村上先生の実践がわかりやすいだけのことのように思えます。

  

  

〇キミヤーズ塾は16回目。

 私は10回目。連続ではありません。一度休みました。

 教員免許状更新の研修会があったためです。

 つまり私は6回目からの参加となります。

〇キミヤーズ塾のテーマに「正しいということを、

 再考してみよう」と言うのがあります。

 ここが上の話とだぶります。教師は思いこみでやっていて、

 正しいと思ってやっていることが、実はおかしいのでは。

 だからキミヤーズ塾で再考してみようというわけです。

〇特別支援の目的は、定型の子どもたちに近づけることか?

 普通に近づけることか?

〇考えない定型の子どもが多すぎる。

〇「欠点も長所も一体のもので、上辺の欠点をなくせば、

 中身の大切なものもなくなるかも!・・・注意深く考えて」

〇「『正しいこと』を、そぉーっと強制すな!」

 

 

〇ネガティブ・ケイパビリティ=答えの出ない事態に耐える力

 ※初めて聞く言葉。その例として「数列の規則性を考え出す」実践。

〇循環小数を分数に変換  そのやり方を教えてもらう

 0.22222222・・・・の場合。

 X=0.22222222・・・

 10X=2.2222222・・・

 10XーX=2

 9X=2

 X=2/9(9分の2)

  

 0.123123123・・・・の場合

 X=0.123123123・・・・

 100X=123.123123・・・

 100XーX=123

 99X=123

 X=123/99(99分の123)  

 約分して41/33(33分の41)

〇この日麻生武先生が言っていました。

 どの先生も、数列や循環小数を子どもに教えたいとは思わない。

 でも村上先生はこれが面白いと思っているから、生徒に教えています。

 いかに面白いか伝えたくて仕方がない。

 この自己中心的(ジコチュー)なのが村上先生。 

 ※今の私にはテレビを見て社会を勉強することが面白いと思い、

  とにかく社会科の授業ではそのことをベースにして教えています。

  授業だけでなく、家でテレビを見て勉強をするといいと勧めています。

  このやり方を後押ししてもらう発言でした。

 ※こういうジコチューなところが、その先生の「らしさ」

  大切に、そして貫き通したいところ。

〇ニキリンコ「私には背中がない。みんなは背中があるけど」

 見えないものはないと考えてしまう。自閉症の障害。

 ※ニキリンコさんについて興味をもちました。

 さっそくこの本を図書館で予約しました。↓

02498059_1

自閉っ子、こういう風にできてます!

(花風社)

 

〇「マッハの自画像」の話が出る。

 どんな絵であるかは知りません。さっそく調べてみました。

Photo_2 なんとなくサンネット日記

これが「マッハの自画像」です。

上の話とのつながりで、自閉症の人は

見えるものを認識できるけど、

見えないものは想像できないこともあるということでである

この絵が紹介されたと思います。

「自画像」というと、鏡に映った姿を描くのが普通ですが、

この「自画像」は、左目から見える自分を描いたものです。

 

この絵を描いたのは19世紀末に活躍した

物理学者であり哲学者であるエルンスト・マッハ。

昔からあった絵だと思いますが、やっと出合えました。

  

  

つづく

 

 

2019年3月 2日 (土)

くじけない後醍醐天皇その4/後醍醐天皇陵は北向き/尊氏の弔いの言葉

 

今日は3月2日。

  

前投稿に引き続き、2011年2月2日放映の

歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない

~風雲!後醍醐天皇がゆく~」より。

  

奈良県吉野にある如意輪寺。

このお寺の裏手に後醍醐天皇は葬られています。

Rimg1686  

後醍醐天皇が葬られている後醍醐天皇陵

塔尾陵(とうのうのみささぎ)」です。↓

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この天皇陵は、北を向いています。

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これは天皇陵としてはほとんどないそうです。

なぜ北を向いているか?

ここから聞き書きです。

 

ナレーター:崩御する直前、後醍醐天皇は、

  こう遺言したと言います。

  

  玉骨(ぎょっこつ)は縦(たとい)

  南山(なんざん)の苔(こけ)に埋(うずも)るとも

  魂魄(こんぱく)は常に

  北闕(ほっけつ)の天を望まん

  ※「北闕」は「京都」を指します。  

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  たとえ我が亡骸(なきがら)は吉野の山の苔に埋まろうとも

  魂は北、京の都の空を常に見ていようと思う。

   

  京都に向けて作られたこの御陵は、

  まさに後醍醐天皇の最後まであきらめないという気概を

  現代に示し続けているのです。

  

  それでは最後にもう一つ。

  後醍醐天皇が亡くなった後、とても意外な人物から

  その人柄を懐かしがられています。

  その人物とは誰でしょうか?

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授業では、ここで一時停止して、生徒に聞きました。

「誰だと思う?」

けっこう当たっていました。

  

ナレーター:京都市西部、嵐山。

  後醍醐天皇の死後、その御霊を弔うお寺が建てられました。

  美しい庭園で名高い天龍寺。

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  創建したのは、後醍醐天皇と争ったあの足利尊氏です。

  尊氏は、天龍寺を京都で最も格の高い寺院のひとつと位置づけ、

  厚く保護し続けました。

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  何事もなければ、一(いち)武将で終わったであろう尊氏の運命は、

  後醍醐天皇の挙兵に応じることで、大きく変わりました。

  人生の転機をもたらしてくれた後醍醐天皇を尊氏は、

  弔いの場でこう懐かしんでいます。

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  自分はいまや室町幕府の将軍になりました。

  もともと一人の武士にすぎなかった自分が、

  ここまでなれたのは、帝のおかげです。

  どうして感謝しないでいられましょうか。

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  あきらめない生涯を貫いた後醍醐天皇。

  その生き方で、本当に動かしたのは、

  人の心だったのかもしれません。

   

  

聞き書きは以上です。

足利尊氏の弔いの言葉が印象的です。

後醍醐天皇の実行力が、尊氏の人生を変えました。

後醍醐天皇が動かなければ、

そのような人生をたどらなかったと思います。

人との出会いは大事です。

そんなことを思った言葉です。

  

天龍寺については、かつて少しだけ調べました。↓

ここでも道草 4連休の話/夢窓疎石が庭園を設計した永保寺(2017年12月3日投稿)  

天龍寺の庭の設計をしたのは、夢窓疎石(むそうそせき)という方でした。

  

  

くじけない後醍醐天皇その3/井伊谷の宗良親王

  

今日は3月1日。

  

前投稿に引き続き、2011年2月2日放映の

歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない

~風雲!後醍醐天皇がゆく~」より。

  

建武の新政が始まって2年、

後醍醐天皇と足利尊氏の争いが起こります。

話はそこから。

  

ナレーター:戦いを制したのは足利尊氏でした。

  京都を占領した尊氏は、次の天皇を擁立。

  新たに室町幕府を開きます。

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  後醍醐天皇は、再び京の都で幽閉され窮地に陥りました。

  ところが、やはりここで終わらないのが、後醍醐天皇です。

  その反撃は、またもや都から脱出することから始まりました。

  天皇が逃れたのは、大和の国、今の奈良県吉野。

  後醍醐天皇はここで尊氏側の天皇とは別の朝廷、南朝を開きます。

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  京都の北朝と吉野の南朝が相争う南北朝の争乱の始まりです。

  この時、近畿の武士の大半が、北朝足利尊氏についたため、

  南朝はきわめて不利でした。

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  しかし、後醍醐天皇は奥の手とも言うべき策をうっていたのです。

  それは、自分の子ども、皇子たちを、遠い地方に派遣することでした。

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  静岡県浜松市の井伊谷宮(いいのやぐう)。

  皇子のひとり、宗良親王(むねよししんのう)が祭られている神社です。

  南北朝の動乱が始まるや、後醍醐天皇は、

  宗良親王を東に向けて派遣。

  ここ井伊谷は、親王が最初に拠点にした所縁(ゆかり)の地です。

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  この地にたどり着いた親王には、地元の武士、井伊氏が味方し、

  北朝方との戦いを始めます。

  その後、親王は各地を移動しては、武士を味方につけ、戦い続けたのです。

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  こうして後醍醐天皇は、6人の皇子を、北は東北から、

  南は九州まで、次々に派遣します。

  皇子たちによる戦いの火の手が、続々と上がりました。

  皇子派遣のねらい、それはかつて後醍醐天皇自身が、

  楠木正成たちを味方にした時と同じ状況を各地に

  作り出そうとするものでした。

  中でも、東北では伊達政宗の先祖伊達一族を従えて、北朝側と激戦。

  やがて京の都に攻め上ろうと、関ケ原付近まで到達しました。

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  しかし、京都に近づくにつれ、北朝室町幕府の軍勢は

  厚みを増していきます。

  大軍を前に、南朝側は苦戦。ついに皇子までもが

  命を落とす事態まで追い込まれ、敗退しました。

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  後醍醐天皇の策は行き詰まります。

  北朝にも天皇がいる今、劣勢続きの後醍醐天皇が、

  いくら権威をかざしても、自分の損得を優先する武士たちには、

  通用しなくなっていました。

  あらゆる逆境にもくじけなかった後醍醐天皇。

  でも、今度は時間がありませんでした。

  

  「こととはむ 人さへまれに 成りにけり

        我が世のすゑの 程ぞしらるる」

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  私が話しかける相手も今や稀となってしまった。

  人生に終わりが見えてきたのだろうか。

  

  それから間もなく、後醍醐天皇は、吉野で世を去りました。

  享年52。まさに激動の生涯でした。

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  後醍醐天皇の死後も、南北朝の動乱はおよそ50年続きます。

  しかし、南朝が世を治める日が来ることはなかったのです。   

  

  

南朝ができて以後、後醍醐天皇側がこんなに奮戦していたことを

この番組で初めて知りました。

ナレーターの言った「やはりここで終わらないのが、後醍醐天皇ですが、

この番組を見るとよくわかります。

  

驚きは井伊谷と宗良親王とのこと。

2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放映された時に、

直虎所縁の地として井伊谷を訪れています。

※参考:ここでも道草 ゆかりの場所巡り その1/8時間で回った場所一覧(2017年2月21日投稿)

※参考:ここでも道草 20180203観音山報告その6/井伊直宗正室の墓他(2018年3月17日投稿)

その時に「宗良親王」という名前にも出合っていますが、

残念ながらその時は勉強不足。

宗良親王が、後醍醐天皇の息子であって、南朝に味方する武士を増やすために

井伊谷に来たことを知っていたら、もっと意識して見学したのになあ。

無知はもったいない。でもまた行こう。幸い近いので。

 

  

後醍醐天皇の和歌もいい。

 

「激動の生涯」だった後醍醐天皇。

52歳で亡くなったのですね。

私よりも年下。

後醍醐天皇よりも長生きしていることを幸せだと思いたい。

後醍醐天皇は、もっと生きたいと思ったであろうに。

  

つづく。

  

書き出したのは3月1日でしたが、もう2日になってしまいました。

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