くじけない後醍醐天皇その4/後醍醐天皇陵は北向き/尊氏の弔いの言葉
今日は3月2日。
前投稿に引き続き、2011年2月2日放映の
「歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない
~風雲!後醍醐天皇がゆく~」より。
奈良県吉野にある如意輪寺。
このお寺の裏手に後醍醐天皇は葬られています。
後醍醐天皇が葬られている後醍醐天皇陵
「塔尾陵(とうのうのみささぎ)」です。↓
この天皇陵は、北を向いています。
これは天皇陵としてはほとんどないそうです。
なぜ北を向いているか?
ここから聞き書きです。
ナレーター:崩御する直前、後醍醐天皇は、
こう遺言したと言います。
玉骨(ぎょっこつ)は縦(たとい)
南山(なんざん)の苔(こけ)に埋(うずも)るとも
魂魄(こんぱく)は常に
北闕(ほっけつ)の天を望まん
※「北闕」は「京都」を指します。
たとえ我が亡骸(なきがら)は吉野の山の苔に埋まろうとも
魂は北、京の都の空を常に見ていようと思う。
京都に向けて作られたこの御陵は、
まさに後醍醐天皇の最後まであきらめないという気概を
現代に示し続けているのです。
それでは最後にもう一つ。
後醍醐天皇が亡くなった後、とても意外な人物から
その人柄を懐かしがられています。
その人物とは誰でしょうか?
授業では、ここで一時停止して、生徒に聞きました。
「誰だと思う?」
けっこう当たっていました。
ナレーター:京都市西部、嵐山。
後醍醐天皇の死後、その御霊を弔うお寺が建てられました。
美しい庭園で名高い天龍寺。
創建したのは、後醍醐天皇と争ったあの足利尊氏です。
尊氏は、天龍寺を京都で最も格の高い寺院のひとつと位置づけ、
厚く保護し続けました。
何事もなければ、一(いち)武将で終わったであろう尊氏の運命は、
後醍醐天皇の挙兵に応じることで、大きく変わりました。
人生の転機をもたらしてくれた後醍醐天皇を尊氏は、
弔いの場でこう懐かしんでいます。
自分はいまや室町幕府の将軍になりました。
もともと一人の武士にすぎなかった自分が、
ここまでなれたのは、帝のおかげです。
どうして感謝しないでいられましょうか。
あきらめない生涯を貫いた後醍醐天皇。
その生き方で、本当に動かしたのは、
人の心だったのかもしれません。
聞き書きは以上です。
足利尊氏の弔いの言葉が印象的です。
後醍醐天皇の実行力が、尊氏の人生を変えました。
後醍醐天皇が動かなければ、
そのような人生をたどらなかったと思います。
人との出会いは大事です。
そんなことを思った言葉です。
天龍寺については、かつて少しだけ調べました。↓
※ここでも道草 4連休の話/夢窓疎石が庭園を設計した永保寺(2017年12月3日投稿)
天龍寺の庭の設計をしたのは、夢窓疎石(むそうそせき)という方でした。
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