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2019年3月 2日 (土)

くじけない後醍醐天皇その4/後醍醐天皇陵は北向き/尊氏の弔いの言葉

 

今日は3月2日。

  

前投稿に引き続き、2011年2月2日放映の

歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない

~風雲!後醍醐天皇がゆく~」より。

  

奈良県吉野にある如意輪寺。

このお寺の裏手に後醍醐天皇は葬られています。

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後醍醐天皇が葬られている後醍醐天皇陵

塔尾陵(とうのうのみささぎ)」です。↓

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この天皇陵は、北を向いています。

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これは天皇陵としてはほとんどないそうです。

なぜ北を向いているか?

ここから聞き書きです。

 

ナレーター:崩御する直前、後醍醐天皇は、

  こう遺言したと言います。

  

  玉骨(ぎょっこつ)は縦(たとい)

  南山(なんざん)の苔(こけ)に埋(うずも)るとも

  魂魄(こんぱく)は常に

  北闕(ほっけつ)の天を望まん

  ※「北闕」は「京都」を指します。  

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  たとえ我が亡骸(なきがら)は吉野の山の苔に埋まろうとも

  魂は北、京の都の空を常に見ていようと思う。

   

  京都に向けて作られたこの御陵は、

  まさに後醍醐天皇の最後まであきらめないという気概を

  現代に示し続けているのです。

  

  それでは最後にもう一つ。

  後醍醐天皇が亡くなった後、とても意外な人物から

  その人柄を懐かしがられています。

  その人物とは誰でしょうか?

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授業では、ここで一時停止して、生徒に聞きました。

「誰だと思う?」

けっこう当たっていました。

  

ナレーター:京都市西部、嵐山。

  後醍醐天皇の死後、その御霊を弔うお寺が建てられました。

  美しい庭園で名高い天龍寺。

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  創建したのは、後醍醐天皇と争ったあの足利尊氏です。

  尊氏は、天龍寺を京都で最も格の高い寺院のひとつと位置づけ、

  厚く保護し続けました。

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  何事もなければ、一(いち)武将で終わったであろう尊氏の運命は、

  後醍醐天皇の挙兵に応じることで、大きく変わりました。

  人生の転機をもたらしてくれた後醍醐天皇を尊氏は、

  弔いの場でこう懐かしんでいます。

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  自分はいまや室町幕府の将軍になりました。

  もともと一人の武士にすぎなかった自分が、

  ここまでなれたのは、帝のおかげです。

  どうして感謝しないでいられましょうか。

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  あきらめない生涯を貫いた後醍醐天皇。

  その生き方で、本当に動かしたのは、

  人の心だったのかもしれません。

   

  

聞き書きは以上です。

足利尊氏の弔いの言葉が印象的です。

後醍醐天皇の実行力が、尊氏の人生を変えました。

後醍醐天皇が動かなければ、

そのような人生をたどらなかったと思います。

人との出会いは大事です。

そんなことを思った言葉です。

  

天龍寺については、かつて少しだけ調べました。↓

ここでも道草 4連休の話/夢窓疎石が庭園を設計した永保寺(2017年12月3日投稿)  

天龍寺の庭の設計をしたのは、夢窓疎石(むそうそせき)という方でした。

  

  

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