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2019年1月26日

2019年1月26日 (土)

カタジュタに関心をもった図

  

今日は1月26日。

  

前投稿に続いて、ウルルについて。

  

今までの記事で紹介してきた動画の中で、

「カタジュタ」という場所の名前が出てきました。

 

Youtube オーストラリア ☆ エアーズロック

Photo_14 

Youtube [世界遺産!] ウルル エアーズロックに登ってみた! オーストラリア

Photo_15  

 

あまり「カタジュタ」に関心を持ちませんでしたが、

次の図を見たら、好奇心に引っ掛かりました!

 

Schema_kata_tjuta_uluru ジャングルタイムズ

  

カタジュタは、ウルルと同じ地層だったの?

それはすごい。

この図の威力は並ではありません。

カタジュタとウルルは30㎞離れているそうです。

それなのに、同じ地層がちょうど突き出たところだったのです。

ちなみに「sandstein」は「砂岩」の意味。

  

  

グーグルアースで、カタジュタにも迫っておこう。

グーグルアース カタジュタ

Photo_16  

こんなところなんだ。

さらに、一つの画面にウルルとカタジュタを並べてみます。

グーグルアース カタジュタ/ウルル

Photo

  

以上です。

今晩はここまで。

おやすみなさい。

明朝、腰痛がウソみたいに治っていてください。

  


後記・・・「ジャングルタイムズ」に掲載されていた図は、

もとはWikipediaウルルに掲載されていた図でした。

ドラマ「みかづき」スタート/アボリジニの悲劇の歴史を知る

今日は1月26日。

  

今晩放映されたドラマ「みかづき」は良かった。

Photo_13 NHK

高橋一生さんはまた教師(塾の講師)役。

教えることが似合っている人に見えてきました。

知的で楽しそうな雰囲気がいいなと思います。

ドラマの原作者は森絵都さん。

この人なんだ!

小学校教師ならば、この作者名にピンとくると思います。

615cbdt4y6l_3 Amazon

ね、ピンと来たでしょ。

  

  

前投稿に引き続き、アボリジニについて書いていきます。

アボリジニの先住権や土地の所有権が、

かつてはどうだったのかに疑問を持ち、調べました。

そしたら、とんでもない歴史にぶつかりました。 

  

ジャングルタイムズより引用します。

 

なぜ、本来のウルルという言葉があったのに、

わざわざエアーズロックという名前を付けたのか?

様々な理由があるとは思われるが、

その理由の一つはアボリジニたちの悲しい歴史につながっている。

  

数万年もの太古よりオーストラリア大陸で生活してきた

先住民『アボリジニ』たちは、侵略してきたヨーロッパ人たちによって

大量虐殺された過去を持っている。

18世紀、オーストラリアに到達したヨーロッパ人たちは、

オーストラリアの先住民であるアボリジニの人々と出会った。

  

1788年1月26日、初代総督アーサー・フィリップ率いる

海兵隊らが流刑者と共にオーストラリアに上陸。

彼らは、狩猟採集民として自然と共存しながら

移動を続けるアボリジナルたちの存在を知ると

「アボリジニたちはオーストラリアの定住者」ではないとした。

すなわち「オーストラリアには誰も住んでいないから

勝手に使っていいよね!」と主張したのだ。

入植者たちは、自分たちの土地占拠を合法化しつつ、

アボリジニたちが自分たちの土地を不法に占拠しているとして

迫害していくこととなる。

  

イギリス人によるオーストラリアへの入植は、

1788年1月26日。(今日は偶然にも1月26日)

たった、231年前のこと。

アボリジニは約6万年前から、オーストラリアに住んでいました。

それなのに、イギリス人は、アボリジニは「住んでいない」

としたのです。

先住権も、土地の所有権も無視したのです。

  

さらに引用します。

  

さらに、アボリジナルたちは追い出されるだけに留まらず、

入植者たちのスポーツハンティングの対象とされたことも分かっている。

  

現存する当時の日記には

「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」との記述があるほど。

遊び感覚で日常的に虐殺が行われていたのだ。

現在エアーズロックと呼ばれている岩山は、

アボリジニたちの言葉でウルルと呼ばれていたわけだが、

友好的な関係を築こうとしなかったヨーロッパの人々が

彼らの言葉を使うことは無かった。

  

 

さらにWikipedia アボリジニから引用します。

  

西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、

50万人から100万人ほどのアボリジニが

オーストラリア内に生活していた

言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。

しかし1920年には約7万人にまで減少した。

人口減少の最大の要因はヨーロッパ人が

旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)

の流行によるものと考えられている。

それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、

アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである。

 

1788年からのイギリスによる植民地化によって、

初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚は

スポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した

「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記が

サウスウエールズ州の図書館に実際に残されている

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。

入植当時3000〜7000人の人口であったが、

1830年までには約300人にまで減少した

虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、

組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという

数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、

水場に毒を流したりするといったことなども行われた

  

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、

イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。

捕らえられたアボリジニたちは、ブルニー島のキャンプに収容され、

食糧事情が悪かったことや病気が流行したことから、多くの死者が出た。

  

 

まだアボリジニの悲劇の歴史は続くけど、

引用はこれぐらいで。もう十分でした。

晩に教材研究をしていて、

教科書の2行が気になって調べていたら、

このような歴史とぶつかってしまいました。

ドキドキしてしまいました。

いつも午後10時前後に寝てしまうのに、

この日は「本当にあったことなのか?」と

いろいろなサイトで調べていて、12時近くまで起きていました。

ネットだけ十分ではなく、本も探しました。

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この本がいいぞと思い、深夜でしたが、

ネットで図書館に予約しました。

この本で、またアボリジニの歴史を確認したいです。

  

  

Wikipediaから再び引用します。

  

ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、

先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。

同日の議会には約100人の先住民らが傍聴する中で、

同首相は「Sorry」の語を3度使い謝罪した。

議事堂の外には全国から詰めかけた数千人が

テレビを通じて謝罪の言葉を聞いた。

  

 

アボリジニの歴史は、生徒にも伝えました。

  

まだまだ知らないこと多し。

副題を思い出しました。

「明日迄の命の気持ちで、人生を!/ 不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

  

  

「ウルル」のことをもう一つ書きたい。

つづく

「エアーズロック」はなぜ「ウルル」となっていったのか

今日は1月26日。

  

前投稿に引く続き、まずはウルルのことを書いていきます。

pixabayより。

Photo_10

Photo_11  

 

かつては「エアーズロック」と呼ばれていたウルル。

「エアーズロック」については、次の理由で名前がつけられました。

 

『エアーズロック』という名称は、

19世紀に入りヨーロッパ人たちが

オーストラリア大陸に進出してきた後に付けられた名前だ。

1873年、イギリスの探検家『ウィリアム・ゴス』は、

オーストラリア大陸を探索中に巨大な一枚岩を発見した。

古来よりアボリジニたちは、この一枚岩のことを

『ウルル』と呼んでいたのだが、

ヨーロッパ人たちは『エアーズロック』という

新しい名称を付けたのだ。

エアーズロックの『エアーズ』の部分は、

当時の南オーストラリア植民地の首相であった

『ヘンリー・エアーズ』の名前にちなんで付けらた。

Photo_12 ↑ エアーズロックの名前の由来となったヘンリーエアーズ

「エアーズロックというくらいだから何か空気と

関係があるのだろう。」と思っていたのだが、

エアーズロックの英語のスペルは『Ayers Rock』であり、

空気を意味する『Air』とは何の関係もないようだ。

引用:ジャングルタイムズ

   ↑今日見つけたサイト。なかなか勉強になります。

 

もともとは、先住民アボリジニが呼んでいた「ウルル」は使わずに、

「エアーズロック」で呼ぶようになり、

日本でも「エアーズロック」が普及しました。

 

『ウルル』は、古くからエアーズロックの周辺で生活してきた

アボリジナル・ピープルに伝わる『ピチャンチャチャラ語』。

引用:ジャングルタイムズ(上記)

  

オーストラリアで「ウルル」が使われ始めたのは

1980年頃からだそうです。

それは、先住民の人権がオーストラリアで認められるようになった

現れであると思います。

前投稿で紹介したYoutube オーストラリア ☆ エアーズロック

ではこう言っています。

  

1985年、はるか昔から岩を聖地としてあがめてきた先住民

アナング族のもとへこの地は返還され、岩は「ウルル」という

かつての名前に改められた。

 

地理の教科書にもこう書いてあります。

Epson003↑「新編新しい社会 地理」(東京書籍)110p

オレンジのアンダーラインを引いた文章がとても気になりました。

では、アボリジニの先住権は、それまではどうだったのだろう?

アボリジニの土地の所有権はどうなっていたのだろう?

そんな疑問を持つようになりました。

そして調べました。

そしたら、とんでもない歴史とぶつかりました。

 

つづく

ウルルに登れるのは10月まで/ウルルはなぜできた?

 

今日は1月26日。

なかなか道草できない日々でした。

やらない理由づけは、なんかかあかできるもので、

今週は振り返ってみて、腰痛が大きな理由だったように思えます。

夕方以降は、腰痛がひどく、集中力がなく、

3晩連続早寝してしまいました。

この土日は、少しでも道草したいですね。

  

  

オーストラリアのウルル(エアーズロック)に

グーグルアースで行ってみます。

グーグルアース ウルル

Photo_16

 

このウルルには登ることができます。

登山口と思われる場所に、ストリートビューで迫ります。

ストリートビュー ウルル 登山口

Photo  

実際に登った人の映像です↓


YouTube: [世界遺産!] ウルル エアーズロックに登ってみた! オーストラリア [Vlog]

なかなか厳しい登山のようです。

今までも転落死は40人ほどあったようです。

  

 

厳しい登山であることからも、ウルルは、

諸条件がそろわないと登れない場所だそうです。

360日あったら、300日は登れないそうです。

例えば、次のような時には登れません。

 

・最高気温が36度以上にあがると予報された

・風速25ノット以上ある

・雨が降っている

・表面が濡れている

・雷がなっている

・曇っている

・アボリジニの祝日やその他先住民の要請

  

引用:Mountain city

 

さらに、2019年10月26日からは登山禁止になるそうです。

先住民の聖地への登山ははばかられるようになったのでしょうか。

今年は話題になるでしょうね。

  

なぜこのような地形ができたか?

次の動画にヒントがありました。

その部分の聞き書きをします。

  

ナレーター:この岩は、実は堆積岩の地層の端が

  上を向き、地上に飛び出た部分なんです。

  岩の表面には、上を向いてしまった地層のすじを

  見ることができます。

Photo_2

Photo_3

  今から3億年以上前のこと、

  地中にあったウルルアルコース?と呼ばれる堆積岩の層、

  大地のうねりによって、いくつかに分断され、

  ゆがめられていきました。

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  その後、ゆがんだ堆積岩の層の片端が、

  地上に突き出ました。

  この堆積岩の層は、何億年もの間、地中で圧力を受け、

  驚くべき硬さになっていたので、

  周囲の大地が風雨にさらされ、平坦になっていく中、

  浸食に耐え、このようにポツンと残されたのです。

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かつては「エアーズロック」と呼ばれた岩。

今は「ウルル」と呼ばれます。

そのことなどを次の記事に書きます。

  

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