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2018年12月30日

2018年12月30日 (日)

「警官の血」より/刑事柴田三郎 「谷中暮色」が見たい

今日は12月30日。

  

前投稿の続き。

警官の血」を読んだことで、

ますます映画「谷中暮色(やなかぼしょく)

(2009年公開)が見たくなりました。

※参考:ここでも道草 昭和32年7月 東京都天王寺五重塔炎上(2018年12月15日投稿)

↑ ここで予告編を見ることができました。

 

ここに映画「谷中暮色」のサイトがありました。↓

Deep in the Valley「谷中暮色」

Photo_2  

さらに別の紹介映像を見ることができました。↓

「谷中暮色」TRAILER

Photo_3  

いつかこの映画を見たいです。

天王寺五重塔炎上のことがもっとわかりそうです。

何か情報をおもちの方は教えてください。

  

 

今日返す「警察官の血」(佐々木譲著/新潮社)より

もう少し引用します。

  

捜査二課の刑事、柴田三郎が気になりました。

 

車の急停車の音がした。

振り返ると、目黒署の警察車だった。

ふたりの私服の男たちがすぐに降りてきた。

和也も名前を知っている、刑事課の捜査員たちだ。

年上の巡査部長が、柴田三郎、

その部下の巡査が、稻垣影だった。

 

柴田が、角刈りの男に近づいて訊いた。

「何をやってるんだ?」

柴田は、腫れぼったい目をした、風采の上がらぬ男だった。

こわもてでもないし、切れ者という雰囲気も感じさせない。

服装は、スーパーマーケットの衣料品売り場で揃えたように見える。

若い女ならば、からかいの対象にしかねない中年男だった。

 

角刈りの男は、その柴田が近づくのを見て、

露骨に嘲(あざけ)りの笑みを見せた。柴田が事情を問うと、

男はいましがたと同様、せせら笑うような表情で言い分をロにした。

(下巻 186p)

 

柴田三郎刑事の姿は馬鹿にされやすいものだったようで、

実際に、暴力団の角刈りの男は、

柴田刑事を見て嘲りの笑みを見せました。

これが11月のこと。

しかし、よく年の2月。

その柴田刑事が、嘲りの笑みを見せた角刈りの男を含めた

詐欺グループを一斉検挙してしまいます。

  

柴田たちは、大澤弁護士と渡辺工業の過去を洗い、

一見合法的に土地建物を乗っ取られた被害者に接触して、

いくつかの乗っ取り事件の全容を把握した。

そのうえで、浅見進との一件では、

詐欺と恐喝、威力業務妨害、それに公正証書原本不実記載、

同行使が成立すると突き止めたのだ。

四ヵ月にわたる内偵捜査の結果、十分な証拠をもとに

渡辺工業社長や難波篤司(角刈りの男)らの逮捕状を請求、

下りたところで、この日の逮捕劇となった。

その話を聞かされて、和也は柴田の捜査員としての能力に驚嘆した。

このように複雑で、法律の隙間を縫ったような犯罪を、

見事に刑事事件として立件してしまったのだ。

並の想像力や粘りでできることではないし、

並の頭で可能だったこととも思えなかった。

風采で損をしているひとだ、とも思った。

しかし、彼はコロンボ·タイプの刑事なのだとも言える。

警視庁の捜査員は、必ずしも石原裕次郎のプロダクションの

俳優たちに似ている必要はないのだ。

 

三日後、大澤泰樹弁護士が逮捕された。

このとき和也は、大澤弁護士が柴田と稲垣の

ふたりの捜査員にはさまれて目黒署に入ってくるところを目撃した。

 

柴田と目が合った。柴田は、例のとおりの、

どこか眠そうな目のままだった。退屈そうにも見えた。

 

和也が敬意をこめて気をつけの姿勢を取ると、

柴田は一瞬だけ口元をゆるめた。

ふいに、捜査二課、という言葉が思い浮かんだ。

これまで将来の配属先として考えたことはなかったが、

柴田のように仕事ができるならば、選択肢のひとつになる。

自分の適性を考えても、合っている方面かもしれない。

(下巻 205p)

  

いいですね、柴田三郎刑事。

格好いいじゃないですか。

風采で損をしていても、仕事ができる人は、

やっぱり格好がいいと思います。

頭の良さと粘り。特に粘りを見習いたい。

たとえ最初は嘲りの笑みをされても、

いちいち怒らない。

勝負は仕事。

  

「警察官の血」の中で、柴田三郎刑事が登場するのは、

下巻の186~205pの中の、さらに一部ですが、

私には印象に残った登場人物でした。

 

 

「警官の血」より/炎上する天王寺五重塔の記述

今日は12月30日。  

  

昨日も「警官の血」(佐々木譲著/新潮社)のことを書きました。

今日はこの本を図書館に返す予定。

一部引用しておきます。

  

天王寺駐在所で、天王寺五重塔の異変を感じた場面。

 

深夜、清二は目を覚ました。

切迫した声を聞いたような気がした。

女の声もまじっていたようだった。

枕元の時計を見ると、午前二時三十五分だ 。

清二はしばらく耳をすましたが、

声は続かない。

清二はもう一度目をつぶった。

  

次に目を覚ましたのは、午前三時三十分である。

枕元の目ざまし時計で、その時刻を確認した。

しばらくは、布団の中で耳をすました。

何かがばちばちと割れるような音がする。

それも、さほど遠くではなかった。

音は少しずつ大きくなってゆくようだった。

 

身体を起こして、もう一度耳をすました。

横で多津も身体を起こした。

清二は、子供たちを起こさぬよう、小声で多津に訊いた。

「聞こえるか?」

「うん」と多津はささやくように答えた。「何か、壊してる?」

「なんだろう」

多津が、あっと小さく声を上げた。

「どうした?」

「匂う。何か燃えてる」

そう言われた直後に、自分も匂いを感じた。近所で何かが燃えている。

外で、こんどははっきりと何かが壊れるような音がした。

清二は立ち上がって窓辺に近寄った。

カーテンを開けて、西側を見ると、

すぐ目の前で白煙が上がっている。

ちょうど天王寺の五重の塔がある場所だ。

「火事だ」と、清二はふつうの声音で言った。「起きろ」

「起きて」と多津は子供たちの肩を揺すった。「早く火事だから」

子供たちふたりが、目をしょぼつかせながら身体を起こした。

(上巻198~199p)

 

Wikipedia 谷中五重塔放火心中事件によると、

火の手は7月6日午前3時45分ごろに上がったそうです。

 

燃え上がっていく様子を書いた場面を引用します。

  

(清二は)駐在所を飛び出して、五重の塔を確かめた。

五重の塔は、駐在所と敷地が隣り合わせだ。

ひとの胸ほどの高さに、コンクリートの塀がめぐらされている。

門扉は通常施錠されていて、

一般のひとが中に入ることはできなかった。

つまり、ここに住み着いている者もいない。

それは昨日の午後にも確認していた。しかし。

ふと深夜に聞こえた声を思い出した。あれはもしかして。

塔の一層目はぐるりに濡れ縁がある。

その一層目の手前、雨戸に隙間ができており、

その奥から白い煙が噴き出していた。

煙の奥で、赤い炎がちらちらしている。

門扉の内側に消火器があるはずだった。

清二はコンクリート塀に近づいた。その刹那だ。

雨戸の一枚が外側に倒れてきた。

中からどっと炎が噴き出してくる。

雨戸が倒れて酸素が吹き込まれたせいか、

内側の火勢が激しいものになった。

  

清二は駐在所にとって返し、谷中署に電話を入れた。

「天王寺駐在所、安城です。天王寺の五重の塔が燃えています」

電話口に出た巡査が聞き返してきた。

「五重の塔? あれは現住建造物か?」

「いえ。でも、文化財です。応援求めます」

「失火か。放火か」

「わかりません。まだ見当がつきません」

「火事の程度は?」

「燃え盛っています。消防への連絡もお願いできますか」

「わかった。天王寺駐在所が目印でいいんだな?」

「はい。すぐ横で燃えているんです」

多津が、子供たちふたりを連れて、執務室に降りてきた。

清二は言った。

「貴重品だけ持ち出せ。延焼するかもしれん」

「もうリュックを背負ってる」

多津も、昭和二十年の下町大空襲を体験した身だ。

こういうときの心構えはできている。

(上巻199~201p)

  

昭和32年の7月6日の出来事。

空襲体験者の動きは、今に人たちとは違うだろうな。

  

一階から火が燃えあがていく様子を書いた場面です。  

  

「五重の塔が火事だ」

その叫びは、いよいよ切迫したものになっていた。

炎は成長し、一層目と二層目とのあいだの天井を突き破って、

二層目に達しようとしている。

(中略)

放水が始まった直後、四人の外勤巡査が谷中署から駆けつけた。

そのときには、炎はすでに三層目に舌をかけていた。

野次馬の数は、いまや五百人はいるだろうかと見える。

天王寺町の住人のおよそ半分ぐらいは、

この場に集まっているのではないかと見えた。

さらに五分後、あらたに11台の消防車が到着した。

そのときには、炎は五重の塔の三層目から四層目にまで達していた。

塔にまつわりつくように白い煙が上がり、

その白煙はすぐに上空で冷えて黒煙と変わっていた。

しかしどうやら、駐在所への延焼は免れたようだ。

(上巻202~203p)

  

昭和32年7月6日の出来事です。

1957年だからおよそ62年前の出来事。

この文章を読んで、62年前の出来事を想像しました。

そして運よく現場に立つことができたら、

この文章を見ながら再び想像したいです。

 

↓ 消失前の天王寺五重塔

Ph_sendagi26 東京都教育委員会HP

 

【濡れ縁】=雨戸の敷居の外側に設けられた雨ざらしの縁側。

 ※引用:コトバンク

解決 店名「East Orange」の由来

今日は12月30日。

  

即今着手。

「East Orange」について動きました。

ここでも道草 店名「East Orange」の由来は何だろう?(2018年12月22日投稿)

 

この記事を書いた5日後の12月27日。

忘年会後の2次会で「East Orange」に行きました。

お店は幸い私たちのグループだけだったので、

時間的に大丈夫と思い、

マスターに上の記事を見せながら、店名の由来を尋ねました。

 

ボブディランの歌詞に「East Orange」が出てきて、

そこからとったことを

歌詞の載った本を見せてくれながら教えてくれました。

曲名は「Talking(Talkin') New York」

その最後に出てきます。

 

So long,New York

Howdy,East Orange

Rimg1345  

さらば、ニューヨーク

こんにちは、イースト・オレンジ

Rimg1343

ニューヨークに別れを告げて西に向かうシーン。

確かにニューヨークから西に向かうと、

イースト・オレンジがあります。

(上の記事に地図あり)

  

曲も聴くことができました。


YouTube: Bob Dylan - Talkin' New York

Photo  

この動画の3分頃に

Howdy New York

を聴くことができます。

  

このお店というか、このマスターらしい店名の由来でした。

翌日の12月28日が、お店の誕生日だと言っていました。

元々は他の場所で20年ほどやっていて、

今の場所に来て2年・・・だったと思います。

 

また行くだろうなあ。

  

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