「警官の血」より/炎上する天王寺五重塔の記述
今日は12月30日。
昨日も「警官の血」(佐々木譲著/新潮社)のことを書きました。
今日はこの本を図書館に返す予定。
一部引用しておきます。
天王寺駐在所で、天王寺五重塔の異変を感じた場面。
深夜、清二は目を覚ました。
切迫した声を聞いたような気がした。
女の声もまじっていたようだった。
枕元の時計を見ると、午前二時三十五分だ 。
清二はしばらく耳をすましたが、
声は続かない。
清二はもう一度目をつぶった。
次に目を覚ましたのは、午前三時三十分である。
枕元の目ざまし時計で、その時刻を確認した。
しばらくは、布団の中で耳をすました。
何かがばちばちと割れるような音がする。
それも、さほど遠くではなかった。
音は少しずつ大きくなってゆくようだった。
身体を起こして、もう一度耳をすました。
横で多津も身体を起こした。
清二は、子供たちを起こさぬよう、小声で多津に訊いた。
「聞こえるか?」
「うん」と多津はささやくように答えた。「何か、壊してる?」
「なんだろう」
多津が、あっと小さく声を上げた。
「どうした?」
「匂う。何か燃えてる」
そう言われた直後に、自分も匂いを感じた。近所で何かが燃えている。
外で、こんどははっきりと何かが壊れるような音がした。
清二は立ち上がって窓辺に近寄った。
カーテンを開けて、西側を見ると、
すぐ目の前で白煙が上がっている。
ちょうど天王寺の五重の塔がある場所だ。
「火事だ」と、清二はふつうの声音で言った。「起きろ」
「起きて」と多津は子供たちの肩を揺すった。「早く火事だから」
子供たちふたりが、目をしょぼつかせながら身体を起こした。
(上巻198~199p)
火の手は7月6日午前3時45分ごろに上がったそうです。
燃え上がっていく様子を書いた場面を引用します。
(清二は)駐在所を飛び出して、五重の塔を確かめた。
五重の塔は、駐在所と敷地が隣り合わせだ。
ひとの胸ほどの高さに、コンクリートの塀がめぐらされている。
門扉は通常施錠されていて、
一般のひとが中に入ることはできなかった。
つまり、ここに住み着いている者もいない。
それは昨日の午後にも確認していた。しかし。
ふと深夜に聞こえた声を思い出した。あれはもしかして。
塔の一層目はぐるりに濡れ縁がある。
その一層目の手前、雨戸に隙間ができており、
その奥から白い煙が噴き出していた。
煙の奥で、赤い炎がちらちらしている。
門扉の内側に消火器があるはずだった。
清二はコンクリート塀に近づいた。その刹那だ。
雨戸の一枚が外側に倒れてきた。
中からどっと炎が噴き出してくる。
雨戸が倒れて酸素が吹き込まれたせいか、
内側の火勢が激しいものになった。
清二は駐在所にとって返し、谷中署に電話を入れた。
「天王寺駐在所、安城です。天王寺の五重の塔が燃えています」
電話口に出た巡査が聞き返してきた。
「五重の塔? あれは現住建造物か?」
「いえ。でも、文化財です。応援求めます」
「失火か。放火か」
「わかりません。まだ見当がつきません」
「火事の程度は?」
「燃え盛っています。消防への連絡もお願いできますか」
「わかった。天王寺駐在所が目印でいいんだな?」
「はい。すぐ横で燃えているんです」
多津が、子供たちふたりを連れて、執務室に降りてきた。
清二は言った。
「貴重品だけ持ち出せ。延焼するかもしれん」
「もうリュックを背負ってる」
多津も、昭和二十年の下町大空襲を体験した身だ。
こういうときの心構えはできている。
(上巻199~201p)
昭和32年の7月6日の出来事。
空襲体験者の動きは、今に人たちとは違うだろうな。
一階から火が燃えあがていく様子を書いた場面です。
「五重の塔が火事だ」
その叫びは、いよいよ切迫したものになっていた。
炎は成長し、一層目と二層目とのあいだの天井を突き破って、
二層目に達しようとしている。
(中略)
放水が始まった直後、四人の外勤巡査が谷中署から駆けつけた。
そのときには、炎はすでに三層目に舌をかけていた。
野次馬の数は、いまや五百人はいるだろうかと見える。
天王寺町の住人のおよそ半分ぐらいは、
この場に集まっているのではないかと見えた。
さらに五分後、あらたに11台の消防車が到着した。
そのときには、炎は五重の塔の三層目から四層目にまで達していた。
塔にまつわりつくように白い煙が上がり、
その白煙はすぐに上空で冷えて黒煙と変わっていた。
しかしどうやら、駐在所への延焼は免れたようだ。
(上巻202~203p)
昭和32年7月6日の出来事です。
1957年だからおよそ62年前の出来事。
この文章を読んで、62年前の出来事を想像しました。
そして運よく現場に立つことができたら、
この文章を見ながら再び想像したいです。
↓ 消失前の天王寺五重塔
【濡れ縁】=雨戸の敷居の外側に設けられた雨ざらしの縁側。
※引用:コトバンク
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