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2018年9月23日

2018年9月23日 (日)

国語の教科書に載っていたクニマス/もう一つの水路を発見

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、クニマスの話。

  

同僚の先生が教えてくれました。

新しい中学校の国語の教科書に、

クニマスの話が載っているよと。

1kxoxkl0_400x400 光村図書

幻の魚は生きていた」(中坊徹次著)です。

164~170pに載っていました。

  

中坊さんは、さかなクンにクニマスの絵を描いてよと

頼んだ人です。

ここでも道草20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿) 

2010年のクニマス発見に大きくかかわった人です。

  

この教科書の文章を読むと、

なぜ玉川の水を田沢湖に流したかの理由がわかりややすい。

  

クニマスは地元の民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や文化に根ざした大切な

存在だったのだ。

にもかかわらず、クニマスが絶滅したのには、

次のような背景がある。

 

田沢湖の南に広がる一帯は、大きな川が少なく、

農業用水を確保することが難しかった。

近くを流れる玉川は、水量はあるが強い酸性の水で、

農業にも、また多くの生物の生活にも適さなかった。

 

ところが、その田沢湖一帯を巡る事態が

変わり始める。

1934年、東北地方を大凶作が襲うと、

食料の増産が人々にとって切実な課題となった。

そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、

それを農業用水として使うこと、また、

電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に

利用することが計画された。

酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の

生物に打撃を与えてしまう。

しかし、人々の生活のためにはやむをえず、

1940年、玉川の水は田沢湖に引き入れられたのである。

(166p)

  

ね、わかりゃすいでしょ。

さらに、教科書166pに載っていた図が

またよかった。

Epson865 前投稿で、玉川と田沢湖を結ぶ水路は、

田沢湖の北にあるのを見つけました。

しかし、田沢湖の南東にもありました。

きっとこれは、田沢湖から玉川に

流れ出す水路と思われます。

 

Yahoo!地図で探してみます。

ヒントは鉄道と玉川がクロスしている場所です。

そこには施設がありました。

生保内(おぼない)発電所です。

田沢湖をダム湖の代わりにしてできたという

発電所です。

Hatu04 秋田県・歴史・観光・見所

ここに田沢湖から水が流れ出て、発電に使われ、

そして玉川に流れ出る仕組みなのでしょう。

田沢湖から流出する場所と水路を予想して、

地図上に書いてみました。

Photo_11  

「おそらくここが流出口」をYahoo!地図の「写真」で

アップにしてみます。

Photo_12  

可能性大です。

いつか行くことがあったら確かめたいですね。

きっといつかは行く!

  

  

再び教科書の文章を引用します。

 

2012年、クニマスが西湖の湖底を悠然と泳ぐ姿が

テレビ放送された。

世界で誰も見たことがない野生のクニマスの映像であった。

(169p)

  

2012年の番組何であったか調べました。

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)にも、

この番組については書いてありました。

NHK取材班による撮影とありました。

それだけわかれば十分。検索しました。

判明しました。

 

2012年6月3日放映の

ダーウィンが来た 生きもの新伝説 

生きていた絶滅魚 クニマスを追え」でした。

もしやと思って、我が家の録画番組一覧表を見たら・・・・

自分を褒めたくなりました。

ちゃんと録画してあったのです。

すごいぞ自分!

Epson866_2

まだその番組を見ていません。

近いうちに見て、またブログに書いてみたいです。

 

 

田沢湖に玉川の水はどこから流入しているのか

今日は9月23日。

  

内容は前投稿の続きです。

田沢湖に玉川の水を導入している水路がどうなっているのだろう?

気になったので調べました。

  

このサイトが参考になりました。

廃線リポート 玉川森林鉄道  その3

  

廃線を探索していた方が、

玉川から分岐して田沢湖に導水している水門に

遭遇していました。

Photo_4

Photo_5  

この水門がある場所を、地図で探しました。

見つけました。

Yahoo!地図で示します。

Photo_6

玉川の水は導入口より取り入れられ、

地下を流れて田沢湖へは「流入口」から流れ込みます。

「流入口」より「流出口」の方がよかったかな?

  

Yahoo!地図の「写真」で「玉川流入口」付近のアップ。

Photo_7

青い矢印で示したようにして、玉川の水は導水路に導かれます。

 

今度は「流入口」付近ののアップ。

Photo_8  

何と、ちょうど玉川の水が勢いよく

田沢湖の流入いている最中でした。

 

次はグーグルアースで迫ります。

ストリートビュー 玉川導入口付近

Photo_9  

中央の遠くに見えるのが、「廃線レポート」の写真にある

水門と思われます。

次は、「流入口」付近をストリートビューで迫ります。

ストリートビュー 流入口付近

Photo_10  

この時には流れ出ていませんでした。

  

「廃線レポート」さんのおかげで、

玉川の水を導入している水路が判明しました。

感謝。

自宅に居ながら、このようなことができる

インターネットのおかげでもあります。

  

最後に玉川温泉の「大噴(おおぶけ)」を

動画で。


YouTube: 玉川温泉「大噴」

 

 

なぜ「毒水」が田沢湖に導入されたのか?なぜ今でも導入が止まらないのか?

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)より引用します。

  

田沢湖の湖水酸性化によって、クニマスは絶滅します。

酸性化には戦前の水力発電所建設という国策が関係します。

引用します。

  

水力発電所を建設する計画とは、

国力を強化する目的で、田沢湖を発電および灌漑のための

ダム湖にするというもの。

そして、田沢湖から流出する湖水をまかなうため、

玉川の水を引き込むというものでした。

(47p) 

  

この「玉川」が問題でした。

  

玉川は全長が103キロで、雄物川の支流としては

最長の川で水量はあるものの、玉川温泉か非常に強い

酸性の水が流れこんでいます。その源は玉川温泉の

「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口で、98度の温泉が

毎分8トン以上も噴き出していました。

この玉川の「毒水」が田沢湖に導水されたら、

一体どうなるのでしょうか。湖がどのように変化するかは、

だれでも容易に想像できることでした。

この計画には、漁師だけではなく、地域の人たちだれもが

憤慨せずにはいられませんでした。

 

久兵衛の父の正善さんと祖父の金治郎さんは、

丸木舟の修理をしながら、息をひそめて話をしています。

「新しいダムを造るとなれば、かなりの費用が必要になるし、

何年もかかる。だから、田沢湖が目をつけられたわけだ・・・・。」

「電力会社は、田沢湖には60本もの沢の水が流れこんでいて,

 『毒水』が十分に薄められるから問題はねえと考えているらしい。」

「でも、それをだれが保証できる?『毒水』の毒は

徐々にたまっていくはずだし、魚はいずれ死に絶えてしまうんでねえが。」

「これは、国を挙げての計画だ。国に逆らって反対の声を上げれば、

国賊とか非国民とか言われ、どんな処分を受けるかしれねえ。

家族も親族も巻きこんで、大変な迷惑をかけることになってしまう。」

「大きい声では言えねえが、田沢湖に『毒水』を入れるなんてことは、

断じて許されねえことだ。でも、今は何もかもが戦争のため、

お国のためだと言われる。どうすればいいんだべ・・・・。」

「お国のためか ・・・・。」

どこにも怒りのぶつけようがなく、ふたりの心は深く沈んでいきました。

  

日本は戦時体制のもと、総力を結集しなければならない時期。

戦車や軍艦、鉄砲や弾丸などを作るためには,

大量の電気が必要とされていました。

(中略)

国も県も、田沢湖の地元の人々が反対し嘆き悲しんでいることを

知りながら、いっさい取り合ってくれませんでした。

当時は、田沢湖の自然よりも、そこに生きる魚類の命よりも、

国力の強化が何よりも優先されている時代だったのです。

(中略)

しかも、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、

長くなることが予想され、また、その翌年に「国家総動員法」が

導入されたことにより、政府の統制はさらに厳しくなりました。

そんな中、玉川水系を利用した電源開発は計画通り進められることになり、

生保内(おぼない)発電所と神大(じんだい)発電所の工事が

次々に始まりました。

(48~51p) 

  

  

今だったら、

玉川の水が田沢湖に入る可能性はなかったでしょう。

戦争前、戦争中だったから行われたことだと、

この文章で思いました。

  

玉川の水を田沢湖へ導く水路が気になります。

現在もなぜか玉川の水は流入しているそうです。

なぜ?

 

田沢湖の南に広がる仙北平野穀倉地帯は、

玉川の水を田沢湖で薄めて農業用水として利用

することで栄え、「米どころ」の秋田を支えてきました。

けれども予想以上の速さで湖の水が酸性になったため、

湖から魚が姿を消したばかりか、

周辺の土壌も酸性化してしまい、稲の病気が発生したり、

米の収穫が減少したりしました。

(139p) 

   

ここにまだ玉川の水の田沢湖への流入を止めることができない

理由があるように思えます。

やはり酸性の玉川の水を薄める効果が

期待されているのでしょうか。

 

 

1989年(平成元年)10月に「玉川酸性水中和処理施設」が

完成し、1991年4月から本格運転が始まっています。

石灰石を毎日約40トンを使って、酸性水を中和する施設です。

この施設のおかげで田沢湖のpHは改善はされているようですが、

しかし、現在も田沢湖はクニマスが住むには、

向いていない状態だそうです。

 

田沢湖を玉川の「毒水」が引き込まれる前の姿に

よみがえららせようと、住民団体の

「田沢湖に生命(いのち)を育む会」が結成されたのは、

2002年(平成14年)1月のことでした。

(中略)

当時、石灰石を使った中和処理により、

湖のpHは少しずつ改善しているものの、

石灰成分が湖に沈殿したり、

湖の透明度を低くしたりする

恐れがあるのではないかとの声がありました。

そのため、会員たちは、田沢湖を元に戻すには、

酸性水の源である玉川からの導水をただちに止め、

何十年、何百年かかろうとも、自然の力で

湖が復活するのを見守るのが最良の方法ではないかと

提言をしたのです。

(141p)

 

  

「田沢湖に生命を育む会」の提言する玉川からの

導水停止は、依然、実現していません。

問題を解決するのは容易ではないということを、

会員たちは深く受け止め、

解決の道を模索し続けています。

「クニマスが生きていることがわかった今が、

田沢湖の環境を見つめ直す、言わば最後の機会と

言えるのではないか。」

「今こそ、田沢湖の復活を真剣に呼びかけていかなければ・・・。」

西湖で70年ぶりにクニマスが発見されたことは、

会員たちの田沢湖再生への思いをより強いものにする

できごとでした。

(143p)

 

  

クニマスのこと、田沢湖の水質だけを考えたら、

玉川からの導水ストップは可能でしょう。

でも何か事情があるのでしょう。

この本から感じたのは、米作りの灌漑に今も

利用しているので、止められないと推測します。

課題図書だった「クニマスは生きていた!」読破

 今日は9月23日。

  

西湖の畔にあったクニマス展示館に寄ったのがきっかけで、

2冊の本を読みました。

※参考:ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)

Photo_3 amazon

釣りキチ三平 平成版1 地底湖のキノシリマス

(矢口高雄作/講談社)

 

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クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)

  

「クニマスは生きていた!」は第64回(2018年)

青少年読書感想文全国コンクールの課題図書でした。

ブログにクニマスのことを書いたことで、教えてもらいました。

小学校勤務だと、課題図書がなんであるかは、

目に入りやすかったのですが、中学校勤務になって、

全く疎かったです。

  

この2冊を読んで、クニマスの歴史がだいぶわかってきました。

2010年の西湖でのクニマスの発見が、

たいへんな出来事だったことが、いまさらながらわかってきました。

  

「クニマスは生きていた!」には、「地底湖のキノシリマス」について

書いてあるところがありました。引用します。

  

「釣りキチ三平」は、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身の

漫画家・矢口高雄氏の代表作で、1973年(昭和48年)から

約10年間に渡って「週刊少年マガジン」に連載されました。

 

その連載が終了してから18年後の2000年(平成12年)、

矢口氏の「漫画家生活30周年」を祝うパーティーで、

多くの関係者やファンから「三平君に会いたい」というアンコールを

受けたことから、「平成版・釣りキチ三平」が再始動されることになりました。

(中略)

  

この漫画「地底湖のキノシリマス」が単行本として

出版されたのは2002年(平成14年)でしたが、

実際に西湖でクニマスが発見されたのは、

それから8年後の2010年(平成22年)のこと。

クニマスの卵が別の湖に移植されていたこと、

また、クニマスが人知れず命をつなぎ、

何十年も経ってから発見されたことなどが報道されると、

「釣りキチ三平のドラマが現実になった!」

「まるで今回のことを予見していたようだ」と、

大きな反響を巻き起こしました。

 

メディアの取材に対して、矢口氏は

「クニマスは必ずどこかに生きていると思っていた。

その願いを託して漫画にしたのだが、思い通りになって、

うれしい限り。田沢湖への里帰りを早く実現させてほしい」と

語っていました。

(114p)

  

 

  

西湖でのクニマス発見の8年前というのがいいなあ。

ドラマチックです。

その「地底湖のキノシリマス」にも登場していた三浦久兵衛さんの

ことも、「クニマスは生きていた!」で詳しく書かれていました。

「最後のクニマス漁師」と呼ばれている人でした。

西湖にクニマスの卵を送ったという証拠も、

久兵衛さんが持っていました。

本栖湖と西湖の漁業組合から田沢湖のふ化場に届いたはがきとか、

卵10万粒が西湖へ送られた時の荷物受領証です。

この資料があって、田沢湖と西湖が正式につながったのです。

久兵衛さんが、代々クニマス漁をしてきた三浦家に保管されてきた

資料を探したことで、発見されたものです。

地味ですが、こういう活動が大事なのだと思います。

  

久兵衛さんは西湖とか本栖湖などの湖に出向き、

クニマスがいないか探したそうです。

 

「湖を殺した」「魚を殺した」という後ろめたい歴史を

背負いながら、資料を繰り返し読んでいた久兵衛さんは、

古い文献を調べれば調べるほど、クニマスに

生きていて欲しいという思いが募りました。

(71~72p)

  

では、久兵衛さんは、西湖でのクニマス発見(2010年)を

知ることができたのか・・・・

  

2006年(平成18年)5月20日、心臓の病気が原因で、

84歳で静かに息を引き取りました。

クニマス漁師として働いたのは、ごくわずかの年数でしたが、

クニマスに関わり続けた人生でした。

(89p)

  

 

残念です。

でもきっと将来まで、クニマスの歴史に欠かせない人として、

語り継がれることでしょう。

でも不思議です。

2010年の大発見に関わったはずのさかなクンが、

この本にも登場しません。

マスコミは取り上げましたが、

それ以外の研究者はあえて名前を書かないのかな?

避けているのかな?

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